蚤の籠ぬけ
富士颪の騒がしく、府中の町も用心時の年の暮れになりぬ。世を渡るよろづの事も不足なく、武道具も昔を捨てず、歴々の浪人津河隼人と申せしが、いかなる思ひ入れにや、下人なしに只一人、少しの板廂を借りて住みけるに、十二月十八日の夜半に盗人大勢忍び入りしに、夢覚め枕刀を抜き合はせ、四、五人も切り立て追つ散らし、何にても物は取られず、沙汰なしにして近所も起こさず済ましぬ。
その夜また同じ町外れの紺屋に夜盗入りて、家を荒らし染め絹懸け硯を盗りて行くに、亭主、鎗の鞘外して出で合ひけるに、七、八人も取り巻き、主を斬りこかし、思ふまま諸道具までを盗つて行く。
夜明けての御詮議に下々の申すは、「皆髭男の大小を差して参つた。」と言ふ。かかる折節、かの浪人の門に血の流れたる、世間より申し立て、様々の申し分け、その証拠もなければ、是非なく牢舎してありける。「昔は如何なる者ぞ。」と御尋ねあるに、「この身になつて名はなし。」とうち笑つて申す。
何とも難しき詮議にて年月を重ね、七年過ぎて駿河の籠者残らず京都の牢に引かるる事あり。又この内に交じり都の憂き住まひ、武運の尽きなり。あまた人はあれども、その身に科をおぼえて、今さら公儀を恨みず命を惜しまず。
或る雨中に鉄の窓より幽かなる明かりを受け、蛤の貝にて髭を抜くもあり、塵紙にて仏を造るもあり、色々芸尽くし、一人も鈍なる者はなし。その中に髪白く巻き上がり、さながら仙人の如くなるが、薄縁の糸にて細工に虫籠を拵へ、この内に十三年になる虱、九年の蚤なるこれを愛して、食物には我が太股を喰はしける程に、勝れて大きになり優しくも懐きて、その者の声に虱は獅々踊りをする、蚤は籠抜けする。悲しき中にも可笑しさ増さりぬ。
後は石川五右衛門より伝授の昼盗みの大事、又は高名話になつて、ちよろりの新吉といふ男に片耳の無い子細を聞く人に語るは、「我、険しき事に出合ひしは四十三度、一度も手を負はざりしに、或る時に駿河にて浪人方へ押し込みしに、手ばしかく切り立て、皆々、命をやうやう拾ふ。一代にこれ程すかぬ目に遭ひつる事はなし。それにも懲りず、その夜染物屋へ入りて、主を切り殺して、」とありのままに語るを聞きて、「我こそその浪人の隼人と申す者ぞ。その方どもの仕業、我が難儀となるなり。かかる身となりて、さらさら命を惜しむにはあらず。侍の悪名取つて相果つる{*1}事の口惜し。何とぞこの難の晴るるやうに。」と申しければ、盗人聞き分け、「我々はそれのみならず、この度は女を殺しての科、かれこれ逃るる事なし。御身の事、御訴訟申さん。」と牢番を頼み、両人、あらましを申し上げければ、久しく済まざる事の埒明き、浪人を召され、「永々の難儀の段思し召し、何にても望みを叶へ下さるべき仰せなり。」
浪人、有難く存じ、「しからばこの二人が命を申し請けたし。最前は彼等故の難に遭ひ候へども、この度の申し分けにて武士の名を埋づまぬ事の嬉しさ、」重ね重ね言上申し、助けけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「相果(あいはつる)の事」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。
コメント