面影の焼残り

 東山の花に暮らし、広沢の月に明かし、浮世の悲しき事を知らず、上長者町に酒造り込み、春夏は暇なるたのし屋あり。久しく子を願ひしに、娘一人儲けて、乳乳母をとりて育てしに、今十四歳になりしが、いづれを難言ふべき事もなき美女なれば、諸人の思ひ入れも深かるべし。
 母の親の才覚にて遅からぬ事を取り急ぎ、縁付の手道具までも残る所もなく拵へ、あなたこなたの言ひ入れも合点せず、「都の花を。」と聟見比べし折節、「風邪の心地。」と悩みけるに、京中の薬師に掛けて様々看病すれども甲斐なく、惜しや、眠るが如く世を去りける。二親の歎き、限りもなし。
 その日も暮れて、ひそかに野辺の送りをして、千本の三つ鐘に無常覚めて煙をかくる時、下々の女までも同じ火に飛び入るばかりの思ひをなして帰るに、春の闇さへ辛きに雨の降り出でて、殊に哀れを残す。
 その夜の明け方、七つの時取りをして灰寄せに行くに、乳参らせたる乳母が男、我が宿よりすぐに人よりも早く墓原に行くに、道すがら人も見えず。三月二十七日の空、宵の気色より猶もの凄く、焼き場に行けば、何とも見分け難き形、足元へ踏み当て、「これは。」と驚き、燃えさしを上げて見れば、死人は疑ひなし。「いかなる亡者ぞ。」と念仏申し、さて娘御の火葬を見るに、早桶、焚き木の外へこけて出でけるに気をつけ、かの死人を見れば、髪頭は焼けても風情は変はらず。
 いまだ幽かに息遣ひのあれば、木の葉の雫を口に注ぎ、我が一重を脱ぎて着せ参らせ、跡へはよその白骨を入れ置きて、それより負ひ奉り、土手町の貸し屋敷に行きて、年頃目をかけし者を叩き起こし、「忍びて養生をする病人。」と申し、一間なる所へ立て込み、夜明けて見るに、惣身、黒木の如し。再び人間にはなり難き有様なれども、脈に頼みあれば、普段の医者を呼びに遣はし、初めを語りて、忍び忍びに薬を盛れば、次第に目を開き足手を動かし、自然に見苦しき事も止みぬ。
 半年も過ぎて様子を聞けども、かつて物を言はねば、うつつの人に会へる如し。これは薬師も合点行かず、「占はしても見給へ。」と安部の某を呼びて八卦を見るに、「この人、何ほど薬を尽くし給ふとも、効く事更にあるまじ。子細は、親類中に、浮世になき人の弔ひ事をし給ふ故ぞ。」と見通す様にぞ申しける。
 「今は、かくして叶はじ。」と長者町に行きて、二親に段々この事を語れば、夢の覚めたる心地して、「たとへ姿はともあれ、命さへ世にあらば、嬉しさ、これぞ。」と俄に仏壇の位牌を砕き、仏事をやめて、精進を魚類に引き替へて、祝言に勇みをなせば、忽ちその日より物を言ひ出だし、この程の恥を悲しみ親達の歎きを思ひ遣り、よろづの心ざし、常に違ふ事なし。「我無事、末々は出家になして。」と一筋に思ひ定め、その後は親にも一門にも会はず。
 かくて三年も過ぎて、昔に変はらず美女となりて、常々願ひ通り、十七の十月より身を墨染の衣になし、嵐山の近くなる里に一つ庵を結び、後の世を願ひける。又ためしもなきよみがへりぞかし。

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校訂者注
 1:底本は、「近(ちか)なる里(さと)」。『新釈日本文学叢書 第十巻』(日本文学叢書刊行会 1929)に従い改めた。