お霜月の作り髭

 大上戸の同行四人、いつとても諸白二斗切りに呑み干しける。このお寄り坊主、初めの程は雫も嫌はれしが、人々に勧められて、諸々の小盃を振り捨てて、阿波の大鳴門小鳴門と名付けて渦巻く酒を喜ぶ。いづれも子供に世を渡し、年に不足もなければ、何か思ひ残する事もなし。「楽しみは呑み死に。」と定め、折節十月二十八日、「今宵、お取り越し。」とて殊勝にお文を頂き、有り難きお談合に涙を流し、後は例の大酒になつて、前後を知らず小歌まじりに慰みける。
 その次の間に近所の若い者ども、親父達の騒ぎ可笑しがり、これを聞き寝入りにして居る中に、その夜更けてから沙汰なしに聟入りをする男ありしが、嬉し顔に内にも居られず、ここにその時分を待ち合はすを、かの法師の見つけて、「この男めは今晩聟入りをすると、かねて聞いたり。先の娘の美しさ、昔の浄瑠璃御前も及ぶまじ。憎や、あいつめが御曹司やうに髪月代をし澄まして、呼ばぬ先から女房自慢なる顔付きに、さらば、祝うて釣り髭。」と、墨磨り筆に染めて、ものの見事に作りければ、年寄ども、その筆を奪ひ合ひて、我も我もと作る程に、顔一つ手習ひの如く書き汚しける。
 その後けはしく宿に帰り、袴着るまでも人の気もつかず、その姿にて聟入りせしに、先にて興をさまし、差添を提げて駆け出だすを、舅、留めて申すは、「この上は、各々堪忍あそばしても、我等聞かず。もはや百年目。」と、死に出で立ちになりて行くを、両町聞きつけ、様々に扱へども聞かざれば、やうやう四人に作り髭をさせ、頭に引き裂き紙をつけ裃を着し、日中に詫言。良い歳をして、孫子のある者ども面目なけれど、死なれぬ命なれば是非もなき事なり。中にもすぐれて可笑しきは、御坊の上髭ぞかし。

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