紫女
筑前の国袖の湊といふ所は、昔詠みぬる本歌に替はり、今は人家となつて肴棚見え渡りける。
磯臭き風をも嫌ひ、常精進に身を堅め、仏の道の有り難き事に思ひ入り、三十歳まで妻をも持たず、世間向きは武道を立て、内証は出家心に普段座敷を離れ、松柏の年ふりて深山の如くなる奥に一間四面の閑居を拵へ、定家机にかかり二十一代集を明け暮れ写しけるに、折節は冬の初め、時雨の亭の古を思ふに、ものの淋しき突き揚げ窓より優しき声をして、「伊織様。」と名を呼ぶ。
女の来る所にあらねば、不思議ながら有様を見れば、いまだ脇あけし衣の色、紫を揃へて、さばき髪を真ん中にて金紙に引き結び、この美しき事、何とも譬へ難し。
これを見るに、年月の心ざしを忘れ、ただ夢のやうになつてうつつを抜かしけるに、この女、袖より内裏羽子板を取り出だして一人羽をつきしに、「それは嫁突きか。」と申せば、「男も持たぬ身を嫁とは、人の名を立て給ふ。」と切戸押し開けて走り入り、「誰でも触はつたら抓める程に。」としどけなき寝姿、自然と後ろ結びの帯解けて、紅のふたの物ほのかに見え、細目になつて、「枕といふ物欲しや。それがなくば、情知る人の膝が借りたいまで。辺りに見る人はなし、今鳴る鐘は九つなれば、夜も深し。」と言ふ。
嫌と言はれぬ首尾、俄に身をもだえて{*1}、「いかなる御方。」と尋ねもせず若盛りの思ひ出、はや曙の別れを惜しみ、「さらば。」と出でて行くを幻の如く悲しく、又の夜になる事を待ちかね人には語らず、契りを籠めていまだ二十日もたたぬに、我はおぼえず次第に痩するを、懇ろなるくすしの咎めて脈を見るに、思ふに違はず陰虚火動の気色に極まり、「さりとは頼み少なき身の上なり。日頃は嗜み深く見え給ふが。さては隠し女のあるか。」と尋ねければ、「さやうさやう、さやうの事はなき。」と申されける。
「我に知らせ給はぬは不覚なり。命の程も迫るなり。『常々別して語り、そのままに見捨てて殺しける。』と世の取り沙汰も迷惑なり。今より御出入り申すまじき。」と立ち行くを留め、「何をか隠し申すべし。」と段々初め{*2}を話せば、道庵、暫し考へ、「これぞ世に伝へし紫女といふ者なるべし。これに思ひ附かるるこそ因果なれ。人の血を吸ひ一命を取りし事、ためしあり。とかくはこの女を切り給へ。さもなくては、やむ事なし。又、養生の便りもなし。」と勧めければ、伊織驚き、愚かなる心を取り直し、「いかにもいかにも、しるべもなき美女の通ふは恐ろし。是非今宵討ちとめん。」と油断なく待つ所へ、袖を顔に押し当て、「さてもさても、この程の御情に引き替へられ、我を斬り給はんとの御心入れ、恨めしや。」と近寄るを、抜き打ちに畳み掛くれば、そのまま消えかかる。
面影を慕ひ行くに、橘山の遥か木深き洞穴に入りける。その後も心を残し、浅ましき形見えければ、国中の道心者集めて弔ひけるに、影消えて、伊織も危ふき命を。
校訂者注
1:底本は、「もたへて、」。『新釈日本文学叢書 第十巻』(日本文学叢書刊行会 1929)に従い改めた。
2:底本は、「はしめ」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。
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