行く末の宝舟

 人間ほど、物の危なき事を構はぬ者なし。
 信濃の国諏訪の湖に、毎年氷の橋架かつて、狐の渡り初めて、その後は人馬ともに自由に通ひをする事ぞかし。春また狐の渡り帰ると、そのまま氷溶けて往き来をとどめけるに、この里の暴れ者、根引きの勘内といふ馬方、「廻れば遠し。」と、人の留むるにも構はず、我が心一つに渡りけるに、真ん中過ぎ程になりて俄に風暖かに吹きて、あと先より氷消えて浪の下にぞ沈みける。この事隠れもなく、哀れと申し果てぬ。
 同じ{*1}年の七月七日の暮れに、「星を祭る。」とて、梶の葉に歌を書きて湖に流し遊ぶ時、沖の方より光輝く舟に、見慣れぬ人あまた取り乗りける。その中に勘内、高き玉座に居て、そのゆゆしさ、昔に引き替へ皆々見違へける。
 舟より心静かに上がり、前に使はれし親方のもとに行けば、いづれも驚き、様子聞くに、「それがし、只今は龍の中都に流れ行きて、大王の買物づかひになりて、金銀我がままに仕る。」と、金銭二貫くれける。
 「さて、ここ元より米も安し、鳥魚は手捕らへにする、女房は選り取り、旅芝居の若衆{*2}も来る。はやり歌の、『やろか信濃の雪国。』を歌ひ明かして、寒いともひだるいとも知らず。正月も盆も、ここと少しも違うた事なし。十四日から灯籠も出だして、ここと変はつた事は、借銭乞ひといふ者を知らぬ。」と申す。
 「この七月は、我、初めての盆なれば、ひとしほ馳走のために、国中の色良き娘、十四より二十五まで、いまだ男を持たぬをすぐりて大踊りの拵へ。それはそれは、又あるまじき事なり。その用意の買物に参つた。」と申す。召し連れし者ども、何とやら磯臭く、頭、魚の尾なるもあり、螺のやうなるもあり。
 よろづの買物を持たせ出で行く時、「あの国の女の悪戯を皆々見せましたい事ぢや。」と言ふ。「それは、成る事か。」といへば、「それがしのままなり。十日ばかりの暇入りにして御越しあれ。白銀銭を舟に一杯積みて参らせん。」と申せば、「我は常々のよしみ。」「人よりは懇ろした。」と、行く事を争ひける。
 親方を初め、その中にて七人伴ひける。取り残されし人、これを歎きしに、耳にも聞き入れず。くだんの宝船に乗りさまに一人分別して、「命に替へる程の用のあり。」とて行かず。「さらばさらば、やがて。」と言ふ間もなく、舟は浪間に沈み{*}、それより十年余りも過ぎ行けど便りもなく、「踊りを見に。」と歌にばかり歌うて果てぬ。
 この六人の後家の歎き。又一人行かぬ人は、今に命の長く、目安書きして世を渡りけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「同し年」。『新釈日本文学叢書 第十巻』(日本文学叢書刊行会 1929)に従い改めた。
 2:底本は、「者衆(わかしう)」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。
 3:底本は、「深(しづ)み。」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。