八畳敷の蓮の葉

 五月雨の降り続き、吉野川も渡り絶えて、「常さへ山家は物の淋しや」と、むかし西行の住み給ひし苔清水の跡を結び、殊勝なる道心者のましますが、所の人ここに集まりて、煎じ茶に日を暮らしぬるに、雨しきりに、俄に山も見えぬ折節、板縁の片隅に古き茶碓のありしが、その芯木の穴より、たけ七寸ばかりの細蛇の一筋出でて、間もなく花柚の枝に飛び移りて登ると見えしが、雲に隠れて行き方知らず。
 麓の里より人大勢駆け付けて、「只今この庭から十丈余りの竜が天上した{*1}。」と申す。この声に驚き外に出でて見るに、門前に大木の榎の木のありしが、一の枝引き裂け、その下{*2}掘れて池の如くなりぬ。
 「さてもさても大きなる事や。」と人々の騒ぐを、法師うち笑つて、「各々広き世界を見ぬ故なり。我、筑前にありし時、さし担ひの大蕪菜あり。また雲州の松江川に、横幅一尺二寸づつの鮒あり。近江の長柄山より、九間ある山の芋掘り出だせし事もあり。竹が島の竹は、そのまま手桶に切りぬ。熊野に油壺を引く蟻あり。松前に一里半続きたる昆布あり。対馬の島山に髭一丈伸ばしたる老人あり。遠国を見ねば、合点の行かぬものぞかし。
 「昔、嵯峨の策彦和尚の入唐あそばして後、信長公の御前にての物語に、『霊鷲山の御池の蓮葉は、およそ一枚が二間四方ほど開きて、この薫る風心良く、この葉の上に昼寝して涼む人ある。』と語り給へば、信長、笑はせ給へば、和尚、御次の間に立ち給ひ、涙を流し衣の袖を絞り給ふを見て、『只今殿の御笑ひあそばしけるを、口惜しく思し召されけるか。』と尋ね給へば、和尚の宣ひしは、『信長公、天下を御しりあそばす程の御心入れには、小さき事の思はれ、涙をこぼす。』と宣ひけるとぞ。」

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校訂者注
 1:底本は、「天上(てんじやう)したりと」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。
 2:底本は、「其下(そのした)にほれて。」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。