形は昼の真似
浄瑠璃の太夫に井上播磨とて、様々の節を語り出だして諸人に口真似させける。
或る時の正月芝居に、一の谷の逆落としの合戦を五段に作り、人形も一つ一つ、細工人、心を尽くして拵へ、役者もめいめいの魂入りて、源平西東に立て別れ、大戦の所を使ひける程に、「大坂中移して、これ見物事。」とて久しくはやりける。
その頃は二月の末の事なるに、明け暮れ春雨の降り続き、よろづの浜芝居までやみて、ものの寂しき夜半に、千日寺の鉦の声、蛙の鳴くより外は聞く事もなく、楽屋番の小兵衛、左右衛門、木枕を並べ、灯し火幽かにして、話し寝入りに前後も知らぬ時、人の足音に目覚まし、二人ともに夜着の下より頭を上げて見るに、遣ひ捨てたる人形ども、物こそ言はね、そのまま人間の如く立ち合ひ、暫し叩き合ひ食ひ付き、血煙立つて恐ろし。
その後に、西の方より越中の二郎兵衛と名付けし木偶の坊、ゆたかに出づれば、東から佐藤継信出でて、これは半時ばかりも斬り結びしが、疲れて相引きにして、継信は腰を打つて休む。二郎兵衛はそろそろ庭におりて、天目柄杓を取つて息継ぎ{*1}の水呑む有様、舌の音して人に少しも変はる事なし。その後は敦盛の若衆人形に取り付き、又はおやま人形にしなだれ、色々の事ども、宵の恐さ止みて可笑しくなりぬ。夜もすがら二郎兵衛の人形駆け回りけるが、明け方に鳴りをやめける。
楽屋番の二人驚き、太夫元にてこれを語る。皆々横手打つ中に、四蔵といふ古き道化のありしが、少しも騒がず。「昔より、同じ人形ども食ひ合ふ事は、ためし多し。いかにしても水を呑みし事、不思議なり。」と。
明けの日、木戸番札売りども、大勢かけて狩つて見るに、年経し狸ども床の下より飛び出でて、今宮の松原へ失せにける。恐ろしきとも中々。
校訂者注
1:底本は、「息(いき)つきの」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。
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