命に替はる鼻の先

 天狗といふものは、面妖。人の心に思ふ事を、そのままに合点をする者ぞかし。
 或る時に、高野の小田原町に檜物細工をする者、杉の水差し曲げる折節、十二、三の美しき女の子、いづくともなく来りぬ。これもこの山にては珍しく{*1}、気を付けて見るに、職人の店の先に寄りて鉋屑をなぶり、「あたら杉の木を伐りて。」とこれを惜しみ、色々邪魔をするを、叱れども聞かず。後は心腹立ち、横矢といふ道具を取り直して、「騙し済ましてぶたん。」と思へば早知りて、「それで打たるる間には、我も足があつて逃ぐる。」と言ふ。「砥石投げ打ちに。」と思へば、「いやいや、投げ打ちは好かぬ事。」と笑ふ。
 呆れ果てて分別する内に、割り挟みのせめといふ物、自然と外れける。これは心の外なれば、鼻の先に当たれば驚き、姿を引き替へ天狗となつて山に飛び行き、あまたの眷属を集め、「さてもさても、世の中に檜物屋ほど恐ろしき者はなし。重ねて行く事なかれ。思へば憎し。今日の内にこの御山を焼き払ひ、細工人めを裸になすべし。」と、火の付け所を手分けして、既に申の刻に極めける。
 折柄、宝亀院は昼寝をしてましますが、この声に夢覚め、「当山焼くべき。」とは悲しく、「我、一山の身に替はり魔道へ落ちて、あの政道をすべし。」と一念。明かり障子二枚両脇に挟まれしが、そのまま羽となつて飛ばれける。弟子坊主、台所に何か盛り方をしてありしが、これも続きて飛びける。今にその時の形を表し、「大門の杓子天狗」とて、見る事度々なり。
 その後不思議なる事は、その寺のかぶき門、数百人しても動くまじきを、或る夜、屋根ばかりを街道におろし置きぬ。それより人絶えて、この寺、天狗の住み所となりて、久しく内を見た人もなし。

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校訂者注
 1:底本は、「そも此山にてはめつらしく、」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)に従い改めた。