楽しみの麻姑の手
鎌倉の金沢といふ所に流円坊と申して、世を遁れたる出家あり。今は仏の道も深く願はず、明け暮れ丹後節の道行ばかりを語りて、柴の網戸を引き立て、軒の松が枝に蔦の葉のかかりて紅葉するを見て、秋を知る。浪の月、心をすまし、雁の渡るを琴に聞きなし、只夢のやうに日を送りぬ。貯へたる物もなければ、露時雨の折節は、煙を立つる爪木もなし。
「よろづその通りにして、死に次第。」と身を極め給ふ折柄、入江にさざ浪立つて、見慣れぬ生き物二匹、人に恐れず近寄るを、よくよく見れば麻姑といふものなり。一匹は、流れ木を拾ひ集めて抱へ、又一匹は干し魚を持ちて、物言はぬばかり、人間の如く頭を下げて居る。この心ざし嬉しく、精進を破りてこれ食ひける。
その後は手馴れて、「淋しき。」と思ふ時には必ず来て、良き友となりぬ。殊に楽しみは、身の内のかゆさ、言はねど自然と知りて、思ふ所へ手を差し伸べ、その快き事、命も長かるべし。今、世上に言ふ孫の手とは、これなるべし。
次第に馴染みけるに、一つばかり来て、一匹は久しく見えぬ事を歎き、「もしも、命の終はりけるか。」と申せば、笑うて沖の方に指差す。いよいよ合点行かず。それより百日程過ぎて、又初めの如く二匹連れて、夜半に来る。戸ざしを開くれば、懐かしさうに近く寄る。「何としてこの程は見えぬぞ。」とあれば、紫の衣を畳みながら差し出だす。心を留めて見るに、正しく我が古里にまします伊勢の大淀の上人円山の御衣なるが、さてもさても不思議なり。「何とて物を言はぬぞ。この事聞きたし。」と色々思ふ甲斐なく、日数ふりし内に、国元よりの便りに、円山御遷化の由知らせける。末の世の語りぐさに、かの御衣を持ちて、伊勢の御寺に上りぬ{*1}。
それよりこの所を衣の磯とぞ申しけるとかや。
それよりこの所を衣の磯とぞ申しけるとかや。
校訂者注
1:底本は、「かたりく(さ)に彼(かの)御衣(ころも)を持(もち)て。伊勢(いせの)御寺(みてら)にのほりぬ。」。『新日本古典文学大系76』(岩波書店 1991)本文及び脚注に従い改めた。
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