怪我の冬神鳴{*1}
さざ波や、近江の湖に沈めても、一升入る壺はその通りなり。
大津の町に醤油屋の喜平次といふ者有りける。この所は北国の舟着き、ことさら東海道の繁昌。馬継ぎ、替へ駕籠、車を轟かし人足の働き、蛇の鮓、鬼の角細工。何をしたればとて売れまじき事にあらず。近年問屋町、長者の如く屋造り、昔に変はり二階撥音やさしく、柴屋町よりしやれ女呼び寄せ、客の遊興昼夜の限りもなく、天秤の響き渡り、金銀も有る所には瓦石の如し。
「身代ほど高下の有る物はなし。」と喜平次、荷桶下ろして無常観じける。「我、商ひに廻れる先々にも、世は愁喜貧福の分かち有りて、さりとは思ふままならず。賢き人は素紙子着て、愚かなる人はよき衣を身に重ねし。とかく一仕合せは、分別の外ぞかし。然れどもその身働かずして、銭が一文、天から降らず、地から涌かず。正直に構へた分にも、埒は明かず。身に応じたる商売をおろそかにせじ。」と一日暮らしを楽しみける。
関寺のほとりに森山玄好と言へる人、かたの如く医師は上手、殊に老功なれども、比叡の山風ほどの事にも、かつて薬まはらず。門に「物申。」の声絶えて、内に神農の掛け絵も身震ひして、よろづの紙袋の書付け、埃に埋もれ、冬も羽二重の単羽織、煎じやう常に変はらぬ衣装つき。医師も傾城の身に同じ、呼ばぬ所へは行かれず。宿に居れば外聞悪しく、毎日朝脈の時分より立ち出でて、四の宮の絵馬を眺め、又は高観音の舞台に行きて近江八景も、朝夕見ては面白からず。身過ぎは、欠けて暇の有るほど気の毒なるものはなし。人には「絵馬医者。」と言はれて口惜しかりし。或る人取り立て、碁会の宿して、一番に三銭づつ茶の代取りて、やうやう{*2}死なぬを徳にして世を送る人も有り。
又、馬屋町といふ所に坂本屋仁兵衛殿とて、以前は大商人なりしが、大分の銀を無くなし、残る物とて家蔵売りて、二十八貫目ありしを取つて退き、その後三十四、五度も商売替へられし内に、今は残らず喰ひ込みて、何をすべき便りもなく、昔の厚鬢も薄く仁体をかしげなれば、「一つも埒の明かぬ男。貧乏神の社人になれ。」とて一門中、これを見限る。されども、母親の隠居銀十貫目あるを、一人の子なれば不憫に思はれ、「せめてはこれを取らせ、世に住む種ともなれかし。然れども、仁兵衛に渡しては一年もあるまじ。」姉聟に預けて月に八十目づつ利銀渡し、「この有り切りに五人口を過ぎよ。」と言はれし。まづ夫婦、子が一人、弟に仁三郎とて背僂病み、一人は乳飲ませし姥が、足立たずして外に頼む嶋もなく、ここに掛かり舟。日和を見ても、どれを一人「出て行け。」と言ふ者もなし。さりとては、十貫目の利銀にて八十目取り、五人口は過ぎ難し。この銀、朔日に請け取り、五匁の屋賃をのけて置き、白米のよきに味噌、塩、薪を調へ、常住、香の物菜。この外にはいかないかな、三月の鯛を一枚、松茸一斤二分する時も、目に見るばかり。咽が渇けば白湯に焦穀。油火も真ん中に一つ灯して、これを寝さまに消して、鼠の荒るるを構はず。盆正月の着る物もせず、年中始末に身を堅め、慰みには観世紙縷をして、明け暮れ不自由なる世や。
「商ひの道知る。」とて、百目に足らぬ銀にて七、八人、楽々と年越すもあり。
「商ひの道知る。」とて、百目に足らぬ銀にて七、八人、楽々と年越すもあり。
又、松本の町に後家有り。一人の娘に黄唐茶の振袖に菅笠を着せて、言葉少し訛り習ひ、「抜け参りの者に御合力。」と御伊勢様を売りて、この十二、三年も同じ嘘にて世を過ぐる女もあり。
又、池の川の針屋、細き事なれども、娘を京への縁組を聞き立て、「銀二千枚付くる。」とて仲人嬶が飛び廻り、「強いたら百貫目は付けて遣らるべし。」とささやきし。「人の内証は知れぬもの。この大津の内にもさまざまあり。」と、醤油売り廻る先々にて見聞き、喜平次が宿に帰りて語りける。
この女房、ずいぶん賢く、子供も奇麗に育て、人の物をも負はず。年取り物をも師走の初め頃より調へ、「節季に帳かたげた男の顔を見ぬを嬉しや。」とて万事を仕舞ひけるに、この幾年か、銭取り集めて七匁五分か八匁、七匁六分、八匁八、九分の残り。終に十匁と持ちて年越えたる事なく、「板木で押したるやうなこの家の若夷。」と祝ひけるに、ぐわらぐわらと空定めなや、冬神鳴。十二月二十九日の夜の明け方に落ちかかりて、一跡に一つの鍋釜、微塵粉灰に砕かれ、これを歎くにかひなく、片時も無ければならず買ひ求めしに、その年の暮れにそれ程足らずして、九匁二十四、五所に買ひ掛かり、やかましき事を聞きぬ。「これを思ふに、当て所の必ず違ふものは世の中。我も、神鳴の落ちぬまでは、世に怖き物は無かりしに。」と悔みぬ。
【口訳】
さざ波や、近江の湖のやうな大きな湖に沈めても、一升入る壺はその通り、一升しか入らないものだ{*3}。大津の町に醤油屋の喜平次といふ者があつた。ここは北国の船の着く港で、ことさら東海道の繁昌な宿場で、馬を継ぎ替へたり、駕籠を乗り替へたり、荷車の音が轟き、人足がめざましく働き、蛇の鮓、鬼の角細工{*4}、何を商うたとて売れない事はない。近年問屋町は、屋造りが昔に変はつて長者の家の如く立派になり、二階には三味線の撥音がなまめかしく聞こえ、柴屋町から白女を呼び寄せて{*5}客の遊興する事が盛んで、昼夜の差別もなく天秤の音が響き渡つてゐるが、金銀も沢山有る所には、石や瓦のやうである。
「人の身代ほど高下の有る物は外にない。」と呟きながら、喜平次は荷桶を下ろして無常を観じた。「自分が商ひに廻る先々にも、世には愁喜貧福の差別が有つて、とにかく思ふままならぬものぢや。えらい人は素紙子{*6}を着て、愚かな人は美しい絹を重ねてゐる。とかく一仕合せ{*7}にあふ事は、分別の外ぢや。けれども自身が働かないでは、銭一文だつて天から降らず、地から涌くものでもない。それかとて、正直に構へてゐたところで、うまくは運ばぬ。結局、身に応じた商売を疎略にせぬ事ぢや。」と、一日暮らしを楽しんでゐた。
関寺の辺に森山玄好といふ人があつたが、例の通り、医者としては上手と言はれ、殊に老功と言はれてゐるけれども、比叡の山風ではないが、風の気ぐらゐの病気にも、ついぞ薬が効いた事がない{*8}。門には「お頼み申します。」の声が絶えて、内には神農の掛け絵も貧乏ゆるぎして、よろづの薬袋の書付けは埃に埋もれ、冬も羽二重の一重羽織を着て、「煎じやう常の如し{*9}。」の通り、衣裳もいつも同じだ。医者も遊女の身に同じく、呼ばぬ家には行かれないのだ。それかとて、家に居れば世間体が悪く、毎日、朝の往診の頃から外出して、四の宮神社の絵馬を眺めたり、又は高観音の舞台に行つて近江八景を眺めたりするが、それも朝夕見ては面白くもない。家業がなくて暇の有るほど苦痛な事は外にない。この人、人には「絵馬医者。」と言はれて口惜しい事であつた。さて、或る人の世話で碁会の宿をして、一番に三文づつ茶代を取つて、やつと死なないのを仕合せにして世を送る人もまた有る。
又、馬屋町といふ所に坂本屋仁兵衛殿と言つて、以前は大商人であつたが、大分の銀を無くなし、残る物とては家蔵ばかりになつたが、これも売つて二十八貫目受け取つて立ち退き、その後、三十四、五度も商売替へをされた間に、今は残らず喰ひ込んで、何をすべき手立てもなく、昔の厚鬢も薄くなり、風采が妙に可笑しいので、「何一つうまく行かない男だ。」と言ふので、「貧乏神の社人にでもなれ。」と言つて、一門中この男を見捨てた。
けれども母親は、自分の隠居銀十貫目あるのを、一人息子の事であるから不憫に思はれ、「せめてこれをあの子に与へ、生活費にさせたいものだ。けれども仁兵衛に渡しては、一年もあるまい。」と、姉聟にこれを預けて、月に八十目づつ利息を渡す事にし、さて仁兵衛に、「これだけで五人の暮らしを立てよ。」と言はれた。まづ夫婦に子が一人、弟に仁三郎とてせむし、いま一人は乳飲ませた乳母が、足が立たないで、外に頼る人もなく、この家に厄介になつてゐる。都合は良くても誰一人「出て行け。」と言ふ者もない。とにかく十貫目の利銀で八十目取つても{*10}、五人口は過ぎ難い。
この銀を朔日に受け取り、その内から銀五匁の家賃を除いて置き、白米のよいのと味噌、塩、薪を買ひ調へ、いつも香の物のおかずで{*11}、この外にはどうしてどうして、三月の安い鯛一枚、松茸一斤が僅か二分する時でも{*12}、買ふ事なく目に見るばかりだ。咽が渇けば白湯に香煎{*13}を投じて飲み、油火も室の真ん中に一つ灯すのみで、これも寝る時には消して、鼠が荒れても構はない。盆正月の着物も新調せず、年中倹約で身を堅め、慰みには観世ごよりをよつて暮らすのであつたが、さても明け暮れ不自由な世渡りだ。
が、又一方には、商ひの道を知つてゐるので、百目に足らぬ銀子で七、八人の家族が楽々と年を越す者もある。
が、又一方には、商ひの道を知つてゐるので、百目に足らぬ銀子で七、八人の家族が楽々と年を越す者もある。
又、松本の町に後家があつた。一人の娘に黄枯茶の振袖を着せ、菅笠をかぶらせて、他国の言葉使ひを訛り習はせ、「御合力を頼みます。」と言はせ、御伊勢様を悪用して{*14}、この十二、三年も同じ嘘をついて渡世する女もある。
又、池の川の或る針屋は、細い身代のやうに見えるけれども、娘を京へ縁組させるといふ事を仲人嬶が聞き出し、「持参銀二千枚、娘に付ける{*15}。」と言ふので、方々飛び廻り、「無理に勧めたら、百貫目は娘に付けて遣られませう。」とささやいてゐた。「これにつけても、人の身代は脇からはわからぬものだ。この大津の内にもさまざまな人がある。」と、醤油を売り廻る先々で見聞きして、喜平次が自分の家に帰つて語るのであつた。
この男の女房はずいぶん抜け目がなく、子供も綺麗に育て、負債をせず、新年の品物も師走の初め頃から買ひ調へ、「節季に掛け取り男の顔を見ないのを嬉しい事よ。」とて万事を済ますのであつたが、この数年は銭を取り集めて、銀にして七匁五分か八匁、七匁六分、八匁八、九分残るくらゐで、ついぞ十匁と持つて年越した事がなく、「板木で押したやうに毎年変はらぬこの家だ。」とて若恵比寿{*16}を祝ふのであつたが、ぐわらぐわらと空定めなや、冬神鳴が十二月二十九日の夜の明け方に落ちかかつて、一身代に一つしかない鍋釜を微塵粉灰に砕かれ、歎いても甲斐がなく、それかとて片時も無くてはならないので買ひ求めたところが、その年の暮れに、その鍋釜代だけ銀が足らなくなり、二十四、五か所の店に銀九匁の買ひ掛かりをしてゐたのが払へなくなり、掛け取りにうるさく催促せられる事になつた{*17}。「これを思ふに、予想の必ず違ふものは世の中の常。わしも、神鳴の落ちないまでは、世の中に怖いものは無かつたのに。」と悔んだ。
【批評】
本篇は、種々の小話からなつてゐるが、この小話を、醤油屋喜平次がその売り回る先々で見聞して、家に帰つて語る事にしてゐる。そこに今までの篇と違つたところがあり、構想の上に新味を出し、以て千篇一律を破らうとしてゐる事が推せられる。
本篇を仮に三節に分かつならば、第一節に於いては大津の繁昌を述べて、正直平凡な醤油屋喜平次を点出し、保守実直な小商人の性情を描いてゐる。第二節は喜平次が見聞した五つの小話からなつてゐて、その主なものは、森山玄好、坂本屋仁兵衛などである。第三節では再び喜平次に帰り、思ひがけぬ冬神鳴に家財を砕かれ、債鬼に責められるところで、この小商人の性情が鮮やかに出てゐる。
本篇を通観するに、主人公喜平次の描写は全体の三分の一足らずで、他の三分の二は第二節が占め、他人の生活描写になつてゐる。即ち、本篇は中途で筋が分裂した観があるけれども、反対に世相の断面が鮮明に描かれてゐる事に注意せねばならない。喜平次にせよ、玄好、仁兵衛にせよ、極めて無能の徒で、新長者教の名に甚だふさはしくないと感ずるのであるが、作者西鶴の持ち前の詩才と興味とは、おのづから世相人心の描写に傾く。喜平次の話も、教訓話と見られぬ事もないが、それにしては余りに不甲斐ない人物たちの言動である。再びその轍を踏ませない為の教訓と言ふよりも、その価値も興味も重心も、むしろ痛快な描写にある。
本篇も、平凡生活の種々相を描いたところに価値がある。永代蔵が致富出世の修養談に終はらなかつた事は、かへつてこの書をして文芸的価値あらしめた所以である。
校訂者注
1:底本語釈に、「〇怪我(けが)の冬神鳴(ふゆかみなり) 思ひがけない冬の神鳴。」とある。
2:底本は、「漸(やう(二字以上の繰り返し記号))と」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
3:底本語釈に、「〇一升入壺(つぼ)は其通(とを)り也 諺「一升壺には一升。」いくら働いても発展しない醤油屋喜平次を書く為にこの諺を用ゐた。」とある。
4:底本語釈に、「〇蛇(じや)の鮓(すし) 次の鬼の角細工と共に、珍奇な物。」とある。
5:底本語釈に、「〇柴屋町(しばやまち) 大津にある遊里。」「〇白(しやれ)女 遊女。『しやれ』は粋のこと。野暮の反対。」とある。
6:底本語釈に、「〇素紙子(すかみこ) すがみこ。柿渋を引かない白地の紙衣。」とある。
7:底本語釈に、「〇一仕合(しあはせ) ひとしあはせ。一儲け。町人の仕合せは金儲けである。」とある。
8:底本語釈に、「〇老功(らうこう) 老巧とも書く。経験を積み巧者なこと。」「〇叡(ひへ)の山風(かぜ) 風邪。叡(ひへ)は比叡(ひえ)。冷えをもぢつた。」「〇まはらず 効験がない。」とある。
9:底本語釈に、「〇せんじやう 煎じやう。薬袋には煎じ薬の場合には多くの場合「せんじやう常のごとし」と書いてあるので、これに言ひかけた。」とある。
10:底本語釈に、「〇拾貫目の利銀(りぎん)にて八拾目取 銀一貫目につき一か月の利銀が八匁となる。今日の八厘に当たる。一人息子に渡すのであるから、ことさら利銀を高くしたのである。預銀としては高利である。」とある。
11:底本語釈に、「〇五匁 銀五匁。」「〇香(かう)の物菜(ものさい) 漬け物の菜。漬け物をおかずにする。」とある。
12:底本語釈に、「〇三月の鯛(たい) 陰暦三月頃は鯛の出盛る頃で、従つて値も安い。それでも買はないのである。」「〇貮分 二分(ふん)。銀二分。一分は一匁の十分の一。」とある。
13:底本語釈に、「〇焦穀(こがし) 糯米のこがしに陳皮、山椒、茴香などを細末にして交ぜたもの。湯に浮かせて飲む。香煎。」とある。
14:底本語釈に、「〇御合力(かうりよく) おがふりよく。金品を施与すること。当時は既に似せ道者、似せ順礼などがあつた。」「〇御伊勢様(いせさま)を売(うり)て 伊勢神宮を利用して生活費や金儲けの種にする事。」とある。
15:底本語釈に、「〇ほそき事なれ共 見かけは細い身代のやうであるけれども。『ほそき』は針の縁。」「〇聞立(きゝたて) 聞き込み。仲人かかが。」「〇銀貮千枚(まい) 丁銀二千枚。丁銀は銀貨の一種で、一枚はほぼ四十三匁あるから、貫にすれば八十六貫目となる。それ故、『強いたら百貫目は付けて遣らるべし。』とささやくのである。」「〇付る 付くる。敷銀(しきぎん)(持参銀)として嫁につけてやること。仲人は敷銀の十分の一を世話料として貰ふ事になつてゐた。」「〇仲人(なかうど)かゝ 仲人嬶。職業的に仲人をなす女を卑しめて言ふ言葉。」とある。
16:底本語釈に、「〇若(わか)ゑびす 大晦日の夜から元日の暁にかけて、版木で刷つた恵比寿の紙札を毘沙門天の札と共に売り歩いた。これらの札を買つて歳徳棚などに供へて福を祈る。」とある。
17:底本は、「催促がやかましいといふ事を聞いた」。『日本古典文学大系48 西鶴集 下』(1960)に従い改めた。
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