国に移して風呂釜の大臣

 国中の医師見放し、既に末期の水。今ぞ生死の海、蛤貝にて入れけるに、これさへ咽を通りかね、いづれも手足を握り、「これこれ、西方極楽へ只一道に、どこへも寄らずに参る事を忘れ給ふな、親仁様。」と勧めければ、また中眼に見開き、「我は行年六十三。定命、差し引きなしに浮世の帳面さらりと消して、閻魔の筆に付け替ゆるに胸算用を極めければ、何をか思ひ残す事なし。汝等、すぎはひの種を忘れな。」と、言ひ置かるるも外の事なく往生致されしを、各々、歎きを止めて取り置きける。「さても、死んでは何もいらぬぞ。帷子一つと銭六文を四十九日の長旅の遣ひ。地獄の馬に乗り給ふもなるまじき。」と、終に行く道を思ひやりける。
 その後、親の家督を取りて、昔に変はらず豊後の府内に住みて、万屋三弥とて名高し。万事、掟を守り、三年が程は軒端の破損もそのままに、愁へを心根に含み、命日を弔ひ、慈悲善根をなし、一人の母に孝を尽くせば、何事も願ひに叶ふ仕合せなり。「親仁、遺言に、すぎはひの種を大事と申し置かれしが、菜種は油の搾り草、この種の事なるべし。」と一筋に思ひ入り、いつぞはこの買ひ置きするか、又はこれを作らせて分限になる事を、明け暮れ工夫廻らしける。
 或る時、里を離れし広野荒れて、古代より渺々と薄原を通りけるが、「かかる所を狼の臥しどにするも、国土の費え。」と思ひ付き、ひそかに菜種を蒔き散らして試みけるに、その時節に花咲き実がのりて、おのづからさへこれなれば、新田に申し請けて十年は無年貢。ここを切りならして、所々に幾村か人家を建て続け、鋤鍬取らせ、もの作りさせけるに、毎年徳を得て、人知らぬ金銀溜まり、それより上方への船商ひ。あまた手代に捌かせ、西国に並びなき次第長者となりて、何の不足もなし。
 その後、母親同道して京の春に逢へり。いづくも花の色香に違ひはなくて、花見る人に違ひあり。面白の女臈の都や、山も川も散らぬ花のありくを見て、「悲しや、いかなる因果にて田舎には生まれけるぞ。」と、我が国元の事を忘れて、毎日の遊興に気を乱しける。されども限りありて、帰るさに色よき手かけ者十二人抱へて豊後に下り、居宅を京作りの普請、美を尽くして、軒の瓦に金紋の三の字を付け並べ、四方に三階の宝蔵、広間に続きて大書院、六十間の廊下。東西に築山、南に洲浜を掘らせ、岩組、西湖を移し、玉の蒔石、唐木架け橋。亭に雪舟の巻龍、銀骨の瑠璃燈を光らせ、瑪瑙の釘隠し、青貝の椽鼻。真綿入りの畳に天鵞絨の縁を付け、その外の結構、記し難し。
 雪の朝を眺め、夏の夕涼み。玄宗の花軍をやつし、扇軍とて、あまたの美女を左右に分けて、その身は真ん中に座して、汗知らぬ姿を両方より金地の風に扇ぎ立てられ、風強き方の女になびき、曲げたる方の扇はもぎ取りて池に浮かめ、扇流しを慰みの一景。昔の真野の長者も、この奢りには何としてかは及ぶまじ。内証は人知らねばとて、天の咎めもあるベし。
 一家これを悔めど、更にやむ事なし。年久しき手代、根帳を締め、銭蔵銀蔵は渡して、三間に五間の小判蔵一つ、主人のままにもさせざる内は、その家たじろぐ事は思ひも寄らざりしに、世は無常なり。この男、五十八の冬の初め、霜の朝風といふばかりに空しくなりぬ。
 その後は、鍵ども請け取りて、心任せの奢りを極め、我が住む国の水の重きを改め、「とかく都の水にましたるはあらじ。」と、音羽の滝の流れを毎日汲ませ、先繰りに幾樽か遥かなる舟路を取り寄せ、手前に湯屋、風呂屋を拵へ、日毎に焚かせける。昔、千賀の浦を六条に移され、塩釜の大臣あり。これは、都の水を桶に移されければ、風呂釜の大臣とぞ申し習はし、追つつけ朝夕の煙絶えにし事を待ちみしに、案の如く、一年の暮に惣勘定せしに、五千貫目余の差し引きに一匁三分、本銀に不足が出来始め、それより次第に穴開きて、千丈の堤も蟻穴より漏れる水に滅する如く、その身に悪事重なり、一命まで亡び、世に残れる物は、人の宝とぞなれり。

【口訳】
 国中の医師が匙を投げ、もはや末期の水を与へる時になり、今や生死の境と見えたので、蛤貝で口に注いだが{*1}、これさへ咽を通りかねるので、皆々、病人の手足を握り、「これこれ、西方極楽へ只一筋に、どこへも立ち寄らずに参る事を忘れなさいますな、親爺様。」と言ひ勧めたので、また半ば眼を見開き、「わしは行年六十三ぢやが、定命と差し引く事なしに、浮世の帳面はさらりと帳消しにして、閻魔の帳に付け替へる事に目算を決めたから、何も思ひ残す事はない。お前たちは、ただ渡世の種を忘れるな。」と言ひ遺されたが、この外には言葉もなく往生致されたので、各々歎きを止めて野辺送りをした{*2}。「さても、死んでは何もいらぬものだよ。経帷子一枚に銭六文あればよいわけ。でもこれを四十九日の長旅の路銭にしては、地獄の馬にお乗りなさる事さへもできまい。」と言ひながら、冥途の旅を人々は思ひやつた。
 その後、親の跡目を嗣いで、以前に変はらず豊後の府内に住んで、万屋三弥と言つて有名だ。この人、万事につけ掟を守り、三年の間は{*3}軒端の破損するのもそのままにして、喪の哀傷を心の底に持ち、命日を弔ひ、慈悲を施し善根を行ひ、一人の母に孝養を尽くすので、何事も願ひに叶つて仕合せであつた。「親爺の遺言に、『すぎはひの種を大事にせよ。』と申して置かれたが、菜種は油を搾る草だから、この種の事であらう。」と一途に思ひ込み、「いつか折があつたら、これの買ひ置きをするか、又はこれを作らせて分限になる事を図りたい。」と、明け暮れ工夫を廻らすのであつた。
 或る時、村を離れた広野が荒れて、昔から渺々たる芒原となつてゐる所を通つたが、「かやうな所を狼の寝所にしておくのも、国土の損だ。」と思ひ付き、ひそかに菜種蒔き散らして試みたところが、その時節になつて花が咲き稔つたので{*4}、「自然のままでさへ、かうだから。」と言つて、新田として払ひ下げを受け、十箇年は無年貢として貰ひ{*5}、ここを開拓して、所々に幾村か人家を建て続け、鋤鍬取らせ耕作させたところ、毎年利益を得て、人の知らぬ金銀が溜まり、それから上方への貿易を始め、あまたの手代に売り捌かせ、九州に並びなき次第長者となつて、何の不足もない身分となつた。
 その後、母親と同伴して京見物に出掛けたが、丁度春であつた。どこの国も桜の花の色香には相違はないのだが、花見る人に相違がある。「面白い女の都よ。」と感心し、山も川も散らぬ花の美人が歩くのを見て{*6}、「悲しや、いかなる因果でわしは田舎に生まれた事ぞ。」と、自分の郷里の事も忘れて、毎日の遊興に耽つた。けれども滞在するにも限りがあるので、帰国の時、美しい妾者十二人を召し抱へて豊後に下り、邸宅を京風に新築し、華美を尽くした。軒の瓦の正面には三の字を金紋にして付け並べ、四方には三階の宝蔵を建て、広間に続いて大書院があり、六十間の廊下があり、東西には築山を設け、南に洲浜を掘らせ、岩の配りは西湖をまね、玉の蒔き石、唐木の架け橋、亭の天井には雪舟の巻龍を画かせ、銀骨の瑠璃燈には扉を開いて火を灯させ、瑪瑙の釘隠し、青貝の椽端があり、真綿入りの畳には天鵞絨の縁を付け{*7}、その外の立派さは一々記し難い。
 冬には雪の朝を眺め、夏には夕涼みをなし、玄宗の花軍を真似て扇軍と称して、あまたの美人を左右に分け、その身は真ん中に座して、汗を知らぬ姿を両方から金扇の風に扇ぎ立てられ、風の強い方の女に好意を寄せ、曲げた方の扇はもぎ取つて池に浮かめ、扇流しの風情にして慰むのであつた{*8}。昔の真野の長者も、この奢りには到底及ぶまい{*9}。内情は人が知らぬからとて、かくては天の咎めもあるであらう。
 一家中これを悔むけれど、全くやむ事がない。古参の手代が元帳の計算をなし、銭蔵と銀蔵とは主人に任せて、間口三間奥行き五間の小判蔵一つだけは、主人の自由にさせなかつた間は、その家の傾く事は思ひも寄らなかつたのに、人生無常、この手代が五十八歳の冬の初め、霜の朝ちよつと風邪ひいたのが元で、死んでしまつた。
 その後は、主人が鍵どもを受け取つて、心任せの奢りを極め、水の硬い事を調べて、「とにかく都の水にました事はあるまい。」と言ふので、音羽の滝の水を毎日汲ませ、順繰りに幾樽か遠い舟路を取り寄せ、自邸に湯風呂、水風呂の家を拵へ{*10}、毎日焚かせた。昔、千賀の浦を六條に真似て造られた塩釜の大臣があつたが、この人は都の水を桶に移されたので、風呂釜の大尽と申し習はした{*11}。「やがて朝夕の煙が絶えて、生計が立たなくなるだらう。」と待つて見てゐたところ、案の如く、或る年の暮に惣決算したのに、五千貫目余りの差し引き勘定に、一匁三分ほど元銀に不足ができ始め、それから次第に穴が開いて、千丈の堤も蟻の穴から漏れる水の為に崩れるの譬へ。その身に不仕合せな事が重なつて、一命までも亡び、世に残つた物は皆、他人の宝となつてしまつた。

【批評】
 本篇は、主人公万屋三弥といふ次第長者が、贅沢の限りを尽くし、終に産を失ふに至る話であるが、筋の運びは横道に入らず、すこぶる順調である。作者は、商法の苦心は余り描かずに、豪奢ぶりを叙べて倒産する事に筋を結んでゐる。永代蔵の題意に添うて町人を戒めたのだとも言へるが、読者の受ける印象は、それよりもむしろ豪奢の描写にある。本篇は、永代蔵の持ち前であるべき銅臭が自然に消えてゐるとさへ思はれる。
 さて、本篇は幸若舞曲「烏帽子折」の中にある真野の長者の話に着想を得たところが二、三あるやうに思はれる。主人公の万屋三弥の「万屋」は「万の長者」の「万」、「三弥」は長者の娘を恋うて豊後に下られた用明天皇の仮の名「さんろ」に基づいて、「万」と「さん」とを結びつけて作つたのであらう。又、玄宗皇帝の花軍をやつして扇軍を催した事は、用明天皇が初め六十六本の扇を作らせて、これに美人を描かせ、これを諸国に回してこの絵女房に似た美人を求めなさつた事に思ひついたものであらう。又、荒蕪地に菜種を蒔き散らして多大の収穫を得、しかも十年の無年貢で広大な開拓地を得た事は、真野の長者が乾の方に萱の蔵を建てて、十万石の芥子の種を貯蔵してゐた話に思ひついたのであらう。
 幸若舞は、徳川時代になつてもなほ、宴席などに呼ばれて演じられたもので、享保頃に至つてほとんど衰へた。

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校訂者注
 1:底本語釈に、「〇生死(しやうじ)の海(うみ) 仏教では、生死流転のことを海に譬へて、生死の海と言ふ。」「〇蛤貝(はまぐりかい) はまぐりがひ。諺『蛤貝にて海をかへる。』に拠る。『蜆(しゞみ)貝にて海を測る。』といふ諺と同じく、不可能な意。蛤貝で末期の水を飲ませる風俗があつたと見えて、好色盛衰記(貞享五年刊)巻三の五『老人なれば治療尽きて、蛤貝にて取湯など少しづつ進めける。』」とある。
 2:底本語釈に、「〇取置(をき)ける しまひ置く、片付けるなどの意で、埋葬の意にも使ふ。」とある。
 3:底本語釈に、「〇三年か程(ほど)は 三年が程は。父母の忌服は以前と同じで一年(十三箇月)で、閏月は入れない。しかるにここに三年が程と書いたのは、支那の風俗に拠つて仮に書いたもので、この男の孝心を示す為である。」とある。
 4:底本語釈に、「〇のりて 熟して。みのりて。」とある。
 5:底本語釈に、「〇新田 新田とは田に限らず畑をも言ふ。」「〇十年は無年貢(むねんく) 新田の無年貢(ぐ)は、地味の如何、収穫の如何に依つて一定してはゐないが、普通の所ではたいてい三年ないし五年であつた。」とある。
 6:底本語釈に、「〇女臈(ぢよらう) 女臈は女郎とも書き、大抵の場合は遊女を言ふ。又、遊女を上臈と書き、これを「ぢよらう」とも読ませる事が、当時の草子その他に往々見える。」「〇ちらぬ花 美女。もの言ふ花、解語の花とも言ふ。」とある。
 7:底本語釈に、「〇玉(たま)の蒔石(まきいし) 宝石の蒔石。蒔石は、伝ひ歩く為に飛び飛びに敷いてある平たい石で、飛び石とも言ふ。」「〇唐木(からき) 唐木の。唐木は支那渡来の木の意で、紫檀、黒檀、たがやさんなどを言ふ。」「〇巻龍(まきれう) 渦巻のやうに円い形に画いた龍。」「〇銀骨(ぎんほね) ぎんぼね。器具の枠骨を銀製にしたもの。」「〇瑠璃燈(るりとう) 灯篭の一種。六角形の筒形で、周囲の各面に絹を張り、草花などを画く。内部の底に丸い瑠璃(又は玻璃)製の燭器を設けて点火用となす。元来、黄檗宗で仏殿諸堂の仏前に吊るすものなれど、民間では書院の軒などにも吊るす。」「〇釘隠(くぎかく)し 長押の釘の頭を隠す為に付ける装飾用の金具。」「〇青貝(あをかい) あをがひ。螺鈿のこと。オウムガイ、屋久貝などの光沢ある部分を切り取り、象嵌して装飾にする。」とある。
 8:底本語釈に、「〇まげたる 竿先に、竿と同じ方向に結び付けた扇を、敵の為に横に曲げられたのである。」「〇掫取(もぎとり)て 竿先から曲げた扇をねぢ取る事。」「〇扇(あふぎ)ながし 扇を流水に浮かべて慰む事。按ずるに曲水宴を真似たものであらう。曲水宴は、流水に盃を浮かべて、他の盃が自分の前に流れて来るまでに詩歌などを詠んで、風流を争ふのである。」とある。
 9:底本語釈に、「〇真野(まの)の長者(ちやうじや) 幸若舞曲『烏帽子折』に、この長者の話が語られてゐる。本篇はこの烏帽子折から二、三着想を得た点があると思はれる。」とある。
 10:底本語釈に、「〇湯(ゆ)屋 湯風呂。蒸し風呂の設備をした家。水風呂の対。」「〇風呂屋(ろや) 水(すゐ)風呂の設備をした家。据ゑ桶に水を入れて焚く。」とある。
 11:底本語釈に、「〇塩釜(しほかま)の大臣(だいしん) 左大臣源融(とほる)。河原院を東六條に造り、難波から毎月潮水を取り寄せ、潮を煮て陸前塩釜の風情を楽しんだ。」「〇風呂釜(ふろかま)の大臣(たいしん) 大臣は大尽とも書き、遊里の豪遊客をも言ふから、この意をも含めた。」とある。