世は抜き取りの観音の眼

 歌念仏の日暮らしと言ふは、昔、伏見の御上代の時、諸大名の御成門、軒を並べて輝き、金銀珠玉を鏤め、いづれの工匠か珊瑚を削りなして、紅梅の枝に春を移し、五色の浮き雲を静かに、龍はさながらに動き、虎はそのまま駆ける勢ひ。見ぬ唐土の二十四孝を、越前の殿の御門にありありと、美形を彫り物に、この清らなる事、言葉にも述べ難し。五十五万石三年の物なり、これに入れけるとなり。
 かの京の鉦叩き、孟蘭盆の頃、勧進に廻りしが、朝日影、御成門に移ろひしに、これに気を取られて眺めけるに、まづ大舜の耕作の所、斑牛の、いかな事、作り物とは思はれず。淀、鳥羽に帰る車をとどめ、おのが友かと道連れを恋ひける。又、老莱子が舞振り、足に働きて音曲のあるやうに思はれ、手に触れし風車に、あたりの草木も靡くが如し。郭巨が掘り出し金の大釜、「あれにて飯も焚かれまじ。茶沸かす事も勿体なし。欲しや、小判に砕き、一生楽々と世を渡るもの。」と、それに心を取られ、これに目を喜ばし、げに秋の日の習ひにて、はや暮れて驚き、願以此功徳、空き袋かたげて都に帰るを見て、人、申し習はして、「日暮らし坊。」と。その末々、今に名高し。
 その時の繁昌に変はり、屋形の跡は芋畠となり、見るに寂しき桃林に花咲く春は、「人も住むか。」と思はれける。常は昼も蝙蝠飛んで、螢も出べき風情なり。京街道は昔残りて、店の付きたる家もあり。片脇は崩れ次第に人倫絶えて、一町に三所ばかり、かすかなる朝夕の煙。蚊帳なしの夏の夜、蒲団持たずの冬をやうやうに送りぬ。葛籠、吹き矢の細工人は、まだしも歴々なり。取り葺きの屋根の輪、扇の要刻み、灸箸を削り、荷縄綯ひ売りしたればとて、細長い命は繋がれまじ。浮世に住むに、哀れ多し。
 町外れに菊屋の善蔵と言へる質屋ありしが、内蔵さへ持たず、車の掛かりし長持一つ、物置にも蔵にもこれを頼みにして、「この道を知る。」とて、二百目に足らぬ元銀にて先繰りに利を得て、八人口を大方にして渡世しける。この家に質置き、さりとては悲しき事、数々なり。
 降りかかる雨に濡れて古唐傘一本、六分借りて行けば、朝飯焚き捨てし跡、まだ洗ひもやらぬ羽釜提げ来て、銭百文借り行くも有り。八月にも帷子着たる女房が、薄汚れたる湯具一つに三分借りて、身の{*1}見え透くをも構はず行く。又、八十ばかりの腰かがみ婆、よう生きてから今年も知れぬ身をして一日も悲しく、両手のない仏一体、肴鉢一つ持ちて来て四十八文、かりの世や。又、十二、三の娘、六つ七つの小坊主と登り梯子、長きを後先やうやうにかたげて来て、銭三十文借りて、すぐに片店にある黒米五合、束ね木買うて帰る。
 さても忙しき内証、暫し見るさへ身に応へて涙出しに、亭主は中々心弱くてはならぬ商売。これ程いやな事はなし、これにも請人、印判吟味、変はる事なく掟の通り、大事に掛けける。「千貫目借るにも判一つ。」と、僅かなる事に念入るを思はれける。
 利といふもの、積もれば大分なり。この菊屋、四、五年に銀二貫目{*2}余り仕出し、なほひすらく、人に情けを知らず。足もとなる高泉和尚の寺に参らず、祭にも五香の宮に参詣せず。神仏の願ひ、いかないかな、思ひ出しもせざる男、遠い初瀬の観音を信心し、俄に歩みを運ぶを、「人の気も、あの如く変はるものか。」と世間にて、これ沙汰ぞかし。
 この寺の御開帳七日を、古代より判金一枚づつに極め置かれしを、菊屋、二貫目の身代にて三度まで開帳すれば、本願坊を始め、一山に名を聞き伝へ、「又もなき{*3}後生願ひ。古今に三度まで一人しての開帳、なき事。」申し侍る。或る時、心を付けて戸帳を見しに、かけまくも長竿にして一反続きの十反並びを、用捨もなく上げ下ろしに、半ば殊の外そこね、見苦しかりき。菊屋、申せしは、「我、度々開帳せしに、戸帳、かく切れ損じけるを、寄進に新しく掛け替へん。」と言ふ。僧中、これを喜び、都より金欄取り寄せ改めける。その後、菊屋申すは、「この古き戸帳を申し請け、京の三十三所の観音へ掛けたき。」と言へば、「易き事。」とて遣はしけるを、残らず取りて帰る。
 この唐織、申すもおろか、時代渡りの柿地の小釣、浅葱地の花兎、紺地の雲鳳、その外も模様変はりぬ。これ皆、大事の茶入れの袋、表具切れに売りける程に、大分の金銀取りて家栄え、五百貫目と脇から指図、違ひなし。観音信仰にはあらず、これをすべき手立て。さてもすかぬ男、一度は思ふままなりしが、元来、筋なき分限。昔より浅ましく滅びて、後には京橋に出て、下り舟に頼り、請け売りの焼酎、諸白。甘いも辛いも人は酔はされぬ世や。

【口訳】
 歌念仏の日暮らしといふのは、かういふ謂はれがある{*4}。
 昔、伏見の御上代の時、諸大名の御成門が軒を並べて輝き{*5}、金銀珠玉を鏤め、何と言ふ彫工か知らぬが、珊瑚を削んで造り、その紅梅の枝には春の趣を表はし、五色の浮き雲の静かに靡く形を彫り、龍はそのまま動き出すが如く、虎はそのまま駆ける程の勢ひである。又、見た事もない支那の二十四孝を、越前侯の御門に実物の如く、その美しい姿を彫り物にしてあるが、この綺麗な事は言葉にも述べ難い。五十五万石の領地から納める年貢三年分をこれに費したと言ふ事だ。
 かの京の鉦叩きが、孟蘭盆の頃、物貰ひに廻り歩いたが、朝日の光が御成門に映じて美しかつたので、これに気を取られて眺めるのであつた。まづ大舜の耕作の所だが、斑牛など{*6}、とても作り物とは思はれない。淀や鳥羽に帰る荷車の牛も、これを見ては立ち止まり、自分の仲間ではないかと思つて、道連れとなる事を慕ふ程だ。又、老莱子の舞振りは、足どりが動くやうに見え、音曲までも聞こえるやうに思はれ、手に持つ風車には風が起こつて、あたりの草木も靡きさうだ。郭巨が掘り出した黄金の彫り物を見ては、「あれで飯も焚かれまい。それかとて、茶沸かすのも勿体ない。欲しや、砕いて小判となし、一生楽々と世を渡らうものを。」と、それに気を取られ、これに目を喜ばしてゐたが、まことに秋の日の習ひで、はや日が暮れたのに驚き、「願以此功徳。」と唱へながら、空き袋かたげて都に帰るのであつたが{*7}、これを見て人々が、「日暮らし坊」と申し習はすやうになつた。その末々が今に続いて名高い。
 その時の繁昌に変はり、屋形の跡は芋畠となり、見るも寂しい桃の林に花の咲く春は、「これでも人が住むのか。」と思はれるのであつた。常は昼でも蝙蝠が飛んで、蛍も出さうな趣である{*8}。京街道は、昔の面影がまだ残つてゐて、店の付いた家もある。片脇は荒れ次第で人住まず、一町に三箇所ばかり貧弱な暮らしを立ててゐる家があるのだが、蚊帳無しの夏の夜、蒲団持たずの冬をやつと送つてゐる。葛籠、吹き矢の細工人は、まだ上等の方だ。取り葺き屋根の輪{*9}、扇の要刻み、灸箸を削り、荷縄綯ひなどをして売つたとて、細長い命は繋がれまい。さてもこの世に住むには、哀れな事が多い。
 町外れに菊屋の善蔵といふ質屋があつたが、内蔵さへ持たず、車の付いた長持一つを物置にも蔵にも使ひ、これを頼みにしてゐたが、この商売は心得てゐるので、銀二百目{*10}に足らぬ資本で順繰りに利を得て、八人の家族を不十分ながらも養つて渡世してゐた。さて、この質置きに来る人々を見るに、「それにしても悲しい。」と思はれる事が多い。
 降り始めた雨に濡れて、古唐傘一本置いて六分{*11}借りて行く者もあれば、朝飯焚き捨てた跡をまだ洗ひもしない羽釜を提げて来て、銭百文借りて行く者もある。八月になつても帷子着てゐる女房が、薄汚れた湯もじ一つに三分借りて{*12}、身の見え透くのも構はず出て行くのもある。又、八十ばかりの腰かがみ婆が、よう生きたとて今年往生するかも知れぬ身をしてゐながら、銭がなくては一日も悲しく、両手のない仏一体と肴鉢一つを持つて来て、四十八文借りるのもあるが、さても頼りない世であるよ{*13}。又、十二、三の娘が、六つ七つの小坊主と、長い登り梯子を前後にやつとかたげて来て、銭三十文借りて、すぐに片店{*14}にある玄米を五合と、束ね木を買うて帰るのもある。
 さても忙しい暮らしよ。ちよつと見てさへ身にしみて涙が出るのに、質屋の亭主は中々。気が弱くてはできぬ商売で、これ程いやな事はない、こんな小質屋にも、保証人、印判の調べは変はる事なく規則の通りにして、大事に心掛けるのであつた。「千貫目借りるのも判一つで済むものを。」と、僅かの質入れに念入れる事を、人々からうるさく思はれるのであつた。
 さて、利といふものは、積もれば大分になるものだ。この菊屋、四、五年の間に銀二貫目余り儲け出し、それでもなほ欲深く{*15}、人に同情する事を知らない。つい近くの高泉和尚の寺に参らず、祭にも御香の宮に参詣せず、神仏への願ひは到底思ひ出しもしない男であるのに、遠い初瀬の観音を信心して俄に参るのを、「人の気もあんなに変はるものか。」と、世間で評判であつた{*16}。
 この寺の御開帳を七日間頼むのに、昔から判金{*17}一枚づつ寄進する事に定められてゐたが、菊屋は二貫目の身代で、三度も開帳したので、本願坊を始めとして一山の僧は皆、その名を伝へ聞いて、「又とない後生願ひぢや。一人で三度まで開帳する事は、古今に例のない事ぢや。」と話し合つた。
 或る時、菊屋は注意して戸帳を見るに、勿体なくも、長竿に一反づつ十反ほど並び掛けてあるが、ぞんざいに上げ下ろしするので、半分ばかりひどく切れ損じて見苦しかつた。菊屋が申すには、「私は度々開帳しましたが、かやうにすり切れて損じましたので、寄進して新しく掛け替へませう。」と言つた。僧は皆喜び、都から金欄を取り寄せて掛け替へた。その後、菊屋が申すには、「この古い戸帳を譲り受けまして、京の三十三所の観音に掛け申したい。」と言へば、「お易い事ぢや。」と言つて、くれたので、残らずこれを取つて帰つた。
 この唐織は、言ふまでもなく古渡りで{*18}、柿地の小蔓、浅葱地の花兎、紺地の雲鳳、その外も模様が種々変はつてゐる。これ皆貴重な物で、茶入れの袋、表具切れに売つたところが、大分の金銀を手に入れて繁昌し、身代五百貫目と脇から推量されてゐたが、本当であつた。もともと観音信仰ではなくて、この金儲けをする手段であつたのだ。さても油断のならぬ男だ{*19}。この男、一旦は思ふままになつたが、元来、俄分限は昔から滅び易いものであるが{*20}、この男もこの例に漏れず、以前よりも零落して、後には京橋に出て下り舟に頼り、焼酎、諸白の請け売りをする身と成り下がつた{*21}。甘くても辛くても、人は酔はされてはならぬ世の中だ{*22}。

【批評】
 前半は、桃山時代の御成門の荘麗の描写と、それが頽廃後の描写とで満たされてゐる。その御成門の描写たるや、巧みに隠喩法を層々として用ゐ、紙上に音曲を響かせ、文章も薫る感がある。又、寂れた京街道の描写の面白さ、頽廃の情趣をつかんでゐる。
 後半の三分の一は、貧人の質置きの哀れな描写である。世の人心巻三の三、胸算用巻一の二にも、質置きの光景を描いてゐるが、永代蔵のが最も優れてゐる。
 善蔵の筋を主として観察すれば、長者教の名に添ふところの立身出世の鑑ではなくて、悪事の戒めを示してゐる。

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校訂者注
 1:底本は、「かりて見へすくを」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 2:底本は、「銀二貫(くはん)あまり」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 3:底本は、「またなき」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 4:底本語釈に、「〇歌念仏(うたねぶつ) 初めは鉦を叩きながら念仏を唱へたものが、説教浄瑠璃や小唄を真似て歌ふやうになつたもの。物貰ひの一種である。」「〇日暮(ひぐら)し 歌念仏を渡世とする者の名。日暮らしの名は、説教浄瑠璃語りにあつて、京雀に日暮小太夫、日暮八太夫などの名代が見える。この説教のが元であらう。」とある。
 5:底本語釈に、「〇伏見(ふしみ)の御上代(ごじやうだい)の時(とき) 伏見に豊公が御在城の時。」「〇御成門(をなりもん) ここは諸大名とあるから、大名が皇族、摂家、将軍などの御成りを迎へる門の事。」とある。
 6:底本語釈に、「〇大舜(しゆん) 虞舜のこと。大は褒めて言ふ。歴山といふ処で耕作してゐると、大象が来て耕してくれ、諸鳥が来て草をついばんで取つてくれた。」「〇斑牛(まだらうし) 正しくは大象(御伽草子にも大象とある)とあるべきところであるが、淀、鳥羽に似合はしく、牛に代へたのであらう。」とある。
 7:底本語釈に、「〇願以此功徳(ぐはんいしくどく) 日暮らし坊が最後に唱へる経文の一句。『終はり』或いは『つひに』の意にも使ふので、ここもその意を含めてゐる。」「〇空袋(あきふくろ) あきぶくろ。御成門ばかり眺めてゐるので、斎米も溜まらない。」とある。
 8:底本語釈に、「〇桃山(たうりん) 桃山の名がある如く、桃の木が多かつた。今も多い。」「〇蛍(ほたる) 南には蛍の名所宇治川を控へ、伏見の辺は蛍が多かつた。今も。」とある。
 9:底本語釈に、「〇取葺(とりふき)の屋根 取り葺(ぶ)き屋根。削(そ)ぎ板を重ね並べて、その上を竹で押さへたもの。所々に石を押さへとして載せて置く。」「〇輪 守貞漫稿『輪と言ふは、石の転び落ちざる備へに、竹木を輪に造り、その上に石を置く。』」とある。
 10:底本は、「銀百目」。底本本文及び語釈に従い改めた。
 11:底本語釈に、「〇六分 銀六分(ぶん)。分は一匁の十分の一。小玉(豆板銀を用ゐる)。」とある。
 12:底本語釈に、「〇二幅(ゆぐ) 腰巻。二幅(ふたはば)の布で作るから二布(ふたの)とも言ふ。ゆもじ。」とある。
 13:底本語釈に、「〇かり 借りと仮りとを言ひかけた。」とある。
 14:底本語釈に、「〇かた見世(せ) 片店。同じ家で一方に他の商品を商ふ店。」とある。
 15:底本語釈に、「〇ひすらく ひすらこくに同じ。欲深い事。」とある。
 16:底本語釈に、「〇是さた これざた。噂。」とある。
 17:底本語釈に、「〇判金(はんきん) ばんきん。板金とも書く。大判金の略称。楕円形で、重さ約四十四匁。判金は一枚と数へ、小判は一両と数へた。判金は大金であるから、実用には余り使はれず、寄進、献上、儀式等に使はれた。」とある。
 18:底本語釈に、「〇時代(じたい)わたり 古渡(こわたり)とも言ふ。即ち時代切(ぎれ)の一種で、ここは古金襴の類。極(ごく)古渡りと古渡りとあつて、極古渡りは足利義満時代の舶来、古渡りは義政時代の舶来。」とある。
 19:底本語釈に、「〇すかぬ 好(す)かぬ。いけすかない、憎らしいなどの意で、ここは、ずるくて抜け目のない事を好かぬと言ふのであらう。佐藤氏は隙かぬの意にとつて居られる。」とある。
 20:底本語釈に、「〇すぢなき分限(ぶんけん) 家筋の無い分限者。俄分限者。成金。」とある。
 21:底本語釈に、「〇京橋 伏見の京橋。ここから淀川を舟で下り、大阪方面に至る。」「〇請売(うけうり) 問屋から卸売りの品物を買ひ請けて小売りする事。」とある。
 22:底本語釈に、「〇あまひも辛(から)ひも云々 あまひ、辛ひは焼酎、諸白の縁。甘い酒、辛い酒を売るにつけ、人をみだりに酔はしてはならぬ世の中だ。のろい手段であれ、きはどい手段であれ、とにかく人を瞞着してはならぬ世の中だといふ意を含めた。この菊屋の善蔵も、僧を騙し、観音様を売つて、仏罰を蒙つたわけだから。」とある。