紙子身代の破れ時
商売左前なる呉服屋忠助とて、昔は駿河の本町に軒並ベし中にも、花菱の大紋に家名を知らせ、住む国はおろかなく、東国、北国にあまたの手代、出店を飾らせ次第に人増し、内の賑ひ、大釜に富士の煙の絶えず、水瓶に湖水を湛へ、朱椀、龍田の紅葉を散らし、白箸、武蔵野に立つ霜柱の如く朝の繁昌、夕に消えて、かくも又成り果つる世の習ひ、その時節とは言ひながら、亭主の心掛け悪しきが故なり。
この人、親代には僅かの身代なりしが、安倍川紙子に縮緬を仕出し、又はさまざまの小紋を付け、この所の名物となり、諸国に売り広め、初めは一人なれば、三十余年に千貫目と言はれける。その子には、利発、生まれ劣りて、忠助、家を知つて三十年余り、勘定なしの無帳無分別。十露盤の玉にもぬけて、春の柳の風に手前乱れて、日当たりの氷の如く昔の水に返り、湯を呑むべき薪もなく、かやうに衰へる事、世にためし少なし。
惣じて、金銀儲くるは成り難くて、減る事早し。忠助、財宝皆になして、今となつて合点の行く事遅し。是非なく、浅間の宮の前なる町外れに、仮の世の借り屋住まひもうたてく、人の情も家繁昌の時にて、親類縁者の遠ざかれば、ましてや他人は見ぬ顔も恨み難し。
これ程まで主を倒したる手代ども、家名を替へて音信不通に見捨て、盆の刺し鯖、正月の鏡餅も見た事{*1}なくて、悲しき月日を送り、世上は忙はしき師走にも暇にして、両隣り集まり、暮近き年穿鑿。各々忠助を指して、「こなたも若いやうに見えてから、顔に古めきたる所あり。殊さら成人の子供達、大方中積もりにも違ふまじ。四十八、九か。」忠助、機嫌変はりて、「歴々のお目違ひ。私こと、当年三十九に罷り成る。」と言ふ。いづれも合点せず、「いかにしても、三十九、四十にしては受け取り難し。物はありやうに語り給へ。」と皆々問ひ詰められ、「年は四十七なれども、三十九がまこと。」と言ふ。その子細を聞けば、「元日に雑煮も祝はず、初着る物もせず。松飾りは思ひも寄らず、恵方が東やら、南に梅が咲くやら。暦さへ持たずして、年を取らぬ年が八年あるによつて、四十七ながら三十九ぢや{*2}。」と大笑ひして暮れける。
「我も、遠江の新坂あたりまでの路銀あれば、忽ちに分限になる覚え有り。」と慥かに申せば、小家住まひの人々には優しく、銭一貫二百繋ぎ集め、合力せしを喜び、その座よりすぐに旅立ち。「定めてよろしき親類ありて、歎きを言ふか、又は、昔の売り掛けに断り申す分別か。どの道にも、年取り物にはなるべし。」と、いづれも推量して待ちける。
忠助が心ざし、人の思はく違ひ。瀬に変はる大井川を渡りて、佐夜の中山に立たせ給ふ峯の観音に参り、後世はともあれ現世を祈りて、いつの世には埋づみし無間の鐘の有り所を尋ねて、骨髄投げうつて、「我一代、今一度は長者になし給へ。子供が代には乞食になるとも、只今助け給へ。」と、心入れ奈落までも通じて突きにける。
この鐘を突きて分限にならば、今の世の人、末の世には蛇になる事も構ふべきか。まして、蛭の地獄など恐ろしからず。愚かなる忠助、無用の路銭を使ひてここに来にけり。まづさし当たりて、これ程の損になりぬ。駿河に帰りて語れば、聞く人毎に、「その心から、あれ。」と指を指しける。
この所は、桑の木の指し物、竹細工名人あり。忠助、これを見習ひ、鬢水入れ、花籠を作りて、十三になる娘に府中の通り筋へ売りに出し、その日をなりはひに送りけるに、この娘、親に孝なる事、国中に隠れなし。しかもその形麗はしく、気を留めて見るほど美女なり。
或る時、江戸の福人、伊勢参宮の下向にこれを見初め、親元尋ね、貰ひ、一人ある子の嫁になし、その後忠助夫婦、一家残らず東武へ引き越し、子に掛かる時を得て、一生楽々と送りぬ。「美目は果報の一つ。」とこれを聞き伝へて、随分女子を大事に育てけれども、安倍川の遊女は知らず、終によき女、見た事なし。とかく、美形は無いものに極まれり。これを思ふに、唐土、龐居士が娘の霊照女は、悪女なるベし。美形ならば、よもや籠は売らせてはおかじ。
【口訳】
商売が左前な呉服屋忠助と言ふのがあつたが、昔は、駿河の本町に軒を並ベてゐた商家の中でも、花菱の大紋を暖簾に染め抜いて家号を知らせ、我が住む国は抜け目なく、東国、北国にもあまたの手代、出店を飾らせ、次第に人を増し、家内の賑やかさは、大釜には富士の煙の如く絶えず立ち、水瓶には湖水の如く湛へ、朱椀は龍田の紅葉を散らす如く備へられ、白箸は武蔵野に立つ霜柱の如く動き、かやうに栄えた朝の繁昌も夕には衰へる如く、忽ちにかくも又なつてしまふのも世の習ひで、その時の運とは言ひながら、つまりは主人の心掛けの悪い為である。
この人、親の代には僅かの身代であつたが、安倍川紙子に縮緬を工夫し、又は様々の小紋を付け、この所の名物となつて諸国に売り広めたが、初めはこの人一人の専売であつたから、三十余年に銀千貫目の身代と言はれてゐた。ところが、その子は生まれつき利発が劣つて、忠助が家を継いでから三十年余りの間、勘定なしの無帳無分別で、算盤の玉を置いても締め括りが無く、春の柳が風に乱れる如く生計が乱れて、日当たりの氷の如く昔の水に忽ち返り、湯を呑まうとしても、焚くべき薪もなくなつた。かやうに衰へる事は、世間に例が少ない。
一体、金銀を儲ける事は難しくて、減る事は早い。忠助は財産を皆無にして、今となつて悟るのは遅い。仕方がなく浅間の宮の前の町外れに、仮の世の借家住まひをしたが、かやうになるのも悲しく、人々の同情するのも家繁昌の時ばかりで、親類縁者も寄り付かぬので、まして他人は見向きもしないが、それももつともで、今さら恨むわけにはいかない。
これ程までに主人を倒した手代どもも、屋号を変へて音信不通にして見捨ててゐるので、贈物にくれる盆の刺し鯖も{*3}、正月の鏡餅も見た事がなくて、悲しい月日を送り、世間は忙しい師走にも暇であるので、両隣りの人が集まり、年も暮近いので、互に年齢を尋ね合つた。各々が忠助を指して、「こなたも、若いやうに見えるけれども、顔には老けた所がある。殊さら成人したお子供達もあるから、大方当て推量しても違ふまい{*4}。四十八、九かな。」と言つた。忠助は不機嫌さうに、「歴々のお目違ひぢや。私こと、当年三十九に罷り成る。」と言ふ。
皆々承知せず、「どうしても三十九、四十にしては信じ難い。物事は、ありのままに語り給へ。」と人々に{*5}問ひ詰められ、「年は四十七ぢやけれど、三十九が本当ぢや。」と言ふ。そのわけを聞けば、「元日に雑煮も祝はず、初着物も拵へず、松飾りは思ひも寄らず、吉方が東やら、南に梅が咲くやら、暦さへ持たないで新年を迎へた年が八年あるによつて、四十七ながら、実は三十九ぢや。」と言つた。皆々大笑ひして、やうやう年も暮れるのであつた。
「わしも、遠江の新坂あたりまでの旅費があれば、忽ちに分限になる工夫がある。」と慥かに申すので、小家住まひの人々としては、親切にも銭一貫二百文、銭差しに繋ぎ集めて恵与した。忠助は喜び、その座からすぐに旅立つた。「定めて身代のよい親類があつて援助を頼むか、又は、以前の売り掛け銀の滞つてゐる人にわけを話して請求する考へか。いづれにしても、年取り物を買ひ調へる金にはなるだらう。」と、いづれも推量して待つてゐた。
忠助が志は、人々の予想とは違つてゐて、淵も瀬に変はる大井川を渡つて、佐夜の中山にお立ちになる峯の観音に参り、死後はどうなつても、現世の仕合せを祈つて、いつの世にか埋づめた無間の鐘の有り所を尋ねて{*6}、全心を打ち込め、「我が一代、今一度は長者になして下さい。子供の代には乞食になるとも、只今は助けて下さい。」と、一念が奈落までも通ずる程に、木の枝を以て突いた{*7}。
もしこの鐘を突いて分限になるとしたら、今の世の人々は欲が深いから、来世には蛇になつても構ふものか。まして蛭の地獄に落ちる事などは{*8}、恐ろしくは思ふまい。愚かな忠助は、無用の旅費を使つてここに来たのであつた。まづさしあたつて、旅費だけの損したわけだ。さて、駿河に帰つて鐘突きの事を語つたところが、聞く人毎に、「そんな愚かな心だから、あの有様だ。」と指を指して笑ふのであつた。
この所は、桑の木の指し物、竹細工の名人がある。忠助はこれを見習ひ、鬢水入れ{*9}、花籠を作つて、十三になる娘に府中の通り筋へ売りに出し、その日をなりゆき次第に送つてゐたところが、この娘が親に孝行な事が、国中に評判となつた。その上、その容貌が美しく、気を留めて見る程の美人である。
或る時、江戸の富裕な人が、伊勢参宮の帰途にこの娘を見初め、その親元を尋ねて貰ひ受け、我が一人息子の嫁になしたが、その後、忠助夫婦一家残らず江戸に移住し、我が子の世話になる仕合せな身の上となり、一生楽々と暮らした。「見目は果報の一つだ。」と、人々はこの話を聞き伝へて言ひながら、ずいぶん女子を大切に育てるのであつたが、安倍川の遊女は美しいか知らないが、世間ではついぞ綺麗な娘を見た事がない。とかく美人は無いものにきまつてゐる。これを思ふに、支那の龐居士が娘霊照女は{*10}、醜女であつたらう。もし美人であつたら、よもや籠は売らせてはおくまい。誰か嫁に貰つたらうに。
【批評】
無能の忠助も、後には娘の玉の輿にあやかつて安楽な生活をするところに、山があるやうに思はれる。前の篇に、「分限は、才覚に仕合せ手伝はでは成り難し。随分賢き人の貧なるに、愚かなる人の富貴。この有無の二つは、三面の大黒殿のままにもならず。」とあつたが、本篇は、その愚かなる人の富貴の一例とも言えよう。或いは又、才覚は無くとも仕合せの手伝つた一例とも見られよう。
「この鐘を突きて分限にならば、今の世の人、末の世には蛇になる事も構ふべきか。まして、蛭の地獄など恐ろしからず。」と作者は説破してゐるが、かの文には、現世享楽の思想が現れてをり、又、窮迫に陥つては、未来はどうでもなれ、まづ現在仕合せになる事なら、藁でも掴まうといふ、誰でもが抱き易い思想が見られるのである。
文について観るに、例によつて作者の得意な筆致が現れて、隠喩を層々と重ね、縁語は縁語を追ひ、古歌古詩を暗にふまへながらも、しかもこれを立派に当世の文章たらしめてゐる。
校訂者注
1:底本は、「見た事もなくて、」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
2:底本は、「三十九しや」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
3:底本語釈に、「〇さし鯖(さば) 背開きにした塩鯖を二枚重ねて串に刺したもの。盂蘭盆の贈答品にする。」とある。
4:底本語釈に、「〇中(ちう)つもり 中(ちゆう)づもり。胸中で見積もる事。」とある。
5:底本は、「人々問ひつめられ」。
6:底本語釈に、「〇無間(むけん)の鐘(かね) この鐘を撞けば、現世では財宝を得るけれども、来世では無間地獄に落ちるといふ伝がある。」とある。
7:底本語釈に、「〇突(つき)にける ここは、この鐘が既に土中に埋められてゐるのを、木の枝などでその埋められたと言はれる場所を突く風俗のあるのを脳裏に置いて書いてゐる。」とある。
8:底本語釈に、「〇蛇(じや)になる 金に執心して蛇になつた話は、既に因果物語(平仮名本)に見える。」「〇蛭(ひる)の地獄(ちごく) 無間山の観音寺の少し下に、蛭の地獄と称して洞穴があり、山蛭が多く住んでゐる。」とある。
9:底本語釈に、「〇鬢(びん)水入 鬢水を入れる、楕円形の厚さ一寸位の小箱。当時のは小判形であつた。鬢水は、鬢を櫛けづる時に使ふ髪油で、美男鬘(びないかづら)といふ植物の茎から採つた、粘り気のある水。又、伽羅の油も入れた。」とある。
10:底本語釈に、「〇龐居士(ほうこし) ほうこじ。支那、唐時代の人。世々、儒業を本とした。娘に霊照といふのがあつて、常には笊を売つて生計に当てた。」とある。
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