茶の十徳も一度に皆

 「越前の国敦賀の湊は、毎日の入り舟、判金一枚ならしの上米あり。」と言へり。淀の川舟の運上に変はらず、万事の問丸繁昌の所なり。殊さら秋は、立ち続く市の借り屋、目前の京の町。男交じりの女尋常に、その気質、北国の都ぞかし。旅芝居もここを心掛け、巾着切りも集まれば、今時の人賢く、印籠は初めから下げず、鼻紙袋も内懐に入れしは、手の届く事に非ず。この中にても銭を一文、只は取られず、盗人仲間も難しの世や。とかく正直の頭を下げて、当座の旦那あひしらひに{*1}物買ひを招き、商ひ上手の者は世を渡りかねず。
 町外れに小橋の利助とて、妻子も持たず、口一つをその日過ぎにして才覚男。担ひ茶屋しほらしく拵へ、その身は玉襷をあげて、括り袴利根に、烏帽子可笑しげにかづき、人より早く市町に出、「恵比須の朝茶。」と言へば商人の移り気、咽の渇かぬ人までもこの茶を呑みて、大方十二文づつ投げ入れられ、日毎の仕合せ。程なく元手でかして葉茶店を手広く、その後はあまたの手代を抱へ、大問屋となれり。
 これまでは我が働きにて分限に成り、人の褒め草靡き、歴々の、乞ひ聟にも願ひしに、「一万両より内にて女房を呼ばず。四十までは遅からず。」と当分の物いりを算用して、銀の溜まるを慰みに寂しく年月を送りぬ。
 それより道ならぬ悪心起こりて、越中、越後に若い者を遣はし、すたり行く茶の煮殻を買ひ集め、「京の染め物にいる事。」と申しなし、呑み茶に{*2}これを入れ混ぜて、人知れずこれを商売しければ、一度は利を得て家栄えしに、天、これを咎め給ふにや、この利助、俄に乱人となりて、我と身の事を国中に触れ廻り、「茶殻、茶殻。」と口を叩けば、「さてはあの分限、さもしき心底より。」と、人の付き合ひ絶えて、医師を呼べど行く人なく、おのづから次第弱りに湯水の通ひ絶えて、既に末期に赴き、「我、今生の思ひ晴らしに茶を一口。」と涙をこぼす。目に見せても、咽に因果の関据はりて、息も引き入る時、内蔵の金子取り出させて、跡や枕に並べ、「我が死んだらばこの金銀、誰が物にかなるべし。思へば惜しや、悲しや。」としがみ付き噛み付き、涙に紅の筋引きて、顔つきは、さながら角なき青鬼の如し。面影、屋内を飛び巡りて、落ち入るを押し付くればよみがへりして、銀を尋ぬる事、三十四、五度に及べり。
 後には下々も愛想尽きて物凄く、病家に行く人もなく、やうやう台所に大勢集まり、棒、乳切木を手毎に持ちて身用心をして、二、三日も音のせぬ時、あまた立ち重なりて見しに、金銀に取り付き眼を開きし有様、人皆、魂なかりき。そのまま乗り物に押し込み、野墓に送りける。折節、春の日ののどかなるに、俄に黒雲立ち迷ひ、車軸平地に川を流し、風、枯木の枝折りて、天火光り落ちて、利助がなきがらを煙になさぬ先に取りてや行きけん、空き乗り物ばかり残りて眼前に火宅の苦しみ。各々逃げ帰りて、皆菩提心にぞなりにける。
 その後、利助{*3}が跡に遠き親類を招き、これを渡すに、聞き伝へて身を震はかし、箸を片し取る人なし。下人どもに、「配分して取れ。」と言へど、「更に望みなし。」とて、この家にて仕着せの布子まで置いて出れば、欲で固めし人も愚かなるものぞかし。せん方なくて、諸事売り払ひ、残らず檀那寺にあげしに、思ひの外の仕合せ。これを仏事には使はずして、京都に上り、野郎遊びに打ち込み、又は東山の茶屋の喜びとぞなれり。
 利助{*4}相果てて後、所々の問屋を巡り、年々の売り掛けを取るこそ不思議なれ。死に失せしとは知りながら、昔の形に恐れて、軽目なしに掛けて済ましける。この事沙汰して、利助{*5}が住める家居を化物屋敷とて、人、只も貰はず、崩るるままに荒れける。
 これらを見るにつけ、たとへば利を得るにして、巧みて置き捨ての質物、よろづの似せ物、騙りに合はせて敷銀の付く女房を呼び、寺々の祠堂銀を借り集め、分散にて済まし、博奕仲間、山売り、人参の突き付け、筒持たせ、犬釣り、乳呑み子を養ひて干し殺し、川流れの髪の落ち取るなど、いかに身過ぎなればとて人外なる手業する事、たまたま生を受けて世を送れる甲斐はなし。その身に染まりては、いかなる悪事も見えぬものなり。いと口惜しき事なれば、世間に変はらぬ世を渡るこそ人間なれ。これを思ふに、夢にして五十年の内外、何して暮らせばとて、なるまじき事には非ず。

【口訳】
 越前の国敦賀の湊は、毎日、入り舟が多く、判金一枚平均の上米があるさうだ。その上がり高は、淀の川舟の運上に変はらない{*6}。ここは種々の問屋の繁昌する所だ。殊に秋は市が立ち、その商ひをする仮屋が立ち続いて、あたかも目前に京の町を見るが如く、男に立ち交じる女の姿もかなり立派で、その気風も宜しく、さすがに北国の都ほどある。旅芝居も、ここの港を心掛けて来、スリも集まつて来るので、今時の人は抜け目がなく、印籠は初めから下げず、鼻紙袋も内懐に入れたのでは、手の届く事ではない。この中でも、銭一文だつて只は取られない。盗人仲間も、「困つた世の中だ。」と歎ずる次第だ。つまりは正直な頭を低うして、その場の顧客をよくあしらつて、物買ふ客を招き寄せ、商ひ上手にやる者は、渡世に困らない。
 町外れに小橋の利助と言つて、妻をも持たず、自分一人をその日暮らしにしてゐる才気のある男が、担ひ茶屋を殊勝に拵へ、その身は襷を掛け、括り袴甲斐甲斐しく、烏帽子をおかしげにかぶり、人よりも早く市の町に出て、「恵比須の朝茶{*7}。」と言へば、商人は移り気なもので、咽の渇かぬ人までもこの茶を呑んで、たいてい十二文づつ投げ入れてくれるので、日毎に儲け、間もなく資本を作り上げて、葉茶店を手広く始め{*8}、その後は沢山の手代を抱へて大問屋となつた。これまでは自分の働きで分限に成り、世間の評判の種となつて、歴々の家から乞ひ聟にも望まれたが、「身代が一万両にならぬ内は、女房を呼ばない。四十までは呼ばずとも遅くはない。」と、当分費用のかかる事を算用してみて、銀の溜まるのを慰みにして、寂しく年月を送つた。
 それから不徳義な悪心が起こつて、越中、越後に若い者を遣はし、すたつて行く茶の煮殻を買ひ集め、「京の染物屋に要るのだ。」とごまかして申し、呑み茶にこれを入れ混ぜて、人知れずこれを商売したので、一度は利益を得て繁昌したが、天がこれを咎めなさるのか、この利助は俄に狂人となつて、自分から我が身の悪事を国中に言ひ触らし、「茶殻、茶殻。」と喋るので、「それでは、あの分限になつたのも、浅ましい心底からか。」と世間から言はれ、人の交際も絶えて、医者を呼べど行つてくれる人がなく、おのづから次第弱りになつて、湯水も咽に通らぬやうになり、既に末期となり、「我、今生の思ひ晴らしに、茶を一口くれ。」と言つて涙をこぼした。目に茶を見せても、咽に悪報の関が設けられて通らず、いよいよ息も絶える時、内蔵の金子を取り出させて、足の方や枕辺に並べ、「わしが死んだら、この金銀は誰かのものになるだらう。思へば惜しい、悲しい。」と金銀にしがみ付き、噛み付き、涙は赤い血筋と落ち、顔つきはあたかも角の無い青鬼のやうだ。幻影の如くに室内を飛び巡つて{*9}、下に落ちたのを押さへつくれば又蘇生して、金子を尋ねる事が三十四、五度に及んだ。
 後には召し使ひどもも愛想が尽きて、物凄く思ひ、病家に行く人もなくなつたが、やつと台所に大勢集まつて、棒切れを手毎に持つて身用心をして{*10}、二、三日も音のしない時には、あまた立ち重なつて見たところ、利助はまだ金銀に取り付き、眼を開いてゐる有様なので、人は皆気絶しさうであつた。そのまま死骸を駕籠に押し込み、火葬場に送つた。その折は、春の日がのどかであつたが、俄に黒雲が立ち迷ひ、車軸のやうな大雨が降つて、平地に川となつて流れ、風は枯木の枝を吹き折り、雷火が光り落ちて、利助が死骸を火葬にしない先に奪つて行つたのであらう、空き乗り物ばかりが残つて、眼前に火宅の苦しみを受けた有様だ。各々怖れて逃げ帰り、皆、菩提心になつた。
 その後、利助が死んだ後に遠い親類を招いて、この遺産を渡さうとしたが、右の話を聞き伝へて身を震はかし、箸一本さへ取る人が無い。そこで下人どもに、「分配して取れ。」と言ふけれど、「全く要りませぬ。」と言つて、この家で貰つた仕着せの布子さへも置いて出るので、欲で固めた人間も、かういふ時には愚かなものだ。仕方がなくて、諸道具を売り払ひ、残らず檀那寺に差し上げたところが、寺では思ひの外の仕合せなので、これを法事には使はないで、京に上つて野郎遊びに浪費し、又は東山の茶屋を喜ばせた{*11}。
 利助は死後も所々の問屋を巡り歩いて、年々の売り掛け銀を取つたが、不思議な事だ。問屋でも、利助が死んだものとは知つてゐながら、生前のままの姿で来るのに恐れて、皆、軽目なしに銀を秤つて返済した。この事が評判となつて、利助の住んでゐる家を化物屋敷と言つて、只でも貰ふ人が無く、崩れるままに荒れた。
 これらを見るにつけ感じた事だが、たとへ利を得るにしても、悪だくみをして置き捨ての質入れをしたり、色々の贋物を掴ませたり、詐欺漢と談合して持参金の付く嫁を呼んだり、寺々の祠堂銀を借り集めておいて、ことさら身代限りにして済ましたり、博奕の仲間入りをしたり、山売り、人参の押し売り、筒持たせ、犬釣り、貰ひ子殺し、或いは溺死人の抜け落ちた髪を取つて商ふなどは{*12}、いかに渡世だからとて、人でなしの仕事をするのは、たまたま人間に生まれて世を送る甲斐がない。その身に悪事が染まつては、どんな悪事をしても気づかないものだ。かくては甚だ残念な事だから、世間には変はらない商売をして暮らすのが人間だ。これを思ふに、人生は夢のやうなものにしても、五十年程の長さであるから、何をして暮らしたからとて、普通の商売ができない筈はない。

【批評】
 本篇は、ある商人の出世談と言ふよりも、むしろ失敗談を述べたものと言へる。この守銭奴が末期に及んで、あたかも夢遊病者のやうになつて死に絶え、野辺送りの途中大雷雨となり、いつの間にか空き駕籠となつてしまふ事や、亡霊が更に掛け乞ひをして、問屋問屋を廻り歩く條などに、最も興味が引かれる。叙述と言ふよりも、むしろ描写であるが為に一層面白い。大体に於いて、本篇は統一のある作であつて、読者に対する印象は、教訓ではなくして、鬼気人を襲ふが如き描写や、気味悪い商売を列挙してゐる條などにあると思ふ。
 本篇は、「因果物語」に着想を得たところが少なくないと思はれる。西鶴は、二年前の貞享三年、「本朝二十不孝」(後、新因果物語と改題した)を著したが、その巻四の三の話は、本篇はこれに大いに似た点があつて、同巧異曲であるのは遺憾である。永代蔵巻六の四の漆の塊の話も、既に二十不孝に試みたものである。しかし、二篇共に永代蔵の方が優れてゐる。

前篇  目次  次頁

校訂者注
 1:底本は、「あしらひに」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 2:底本は、「呑茶(のみちや)にに是を」。底本語釈及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 3~5:底本は、「利介」。底本口訳及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 6:底本語釈に、「〇判金(はんきん) ばんきん。大判金の事。享保十年、七両二分に定められた。」「〇上米(うはまい) 貨物運送収益税。一種の通行税。」「〇運(うん)上 うんじやう。運送上納の略称。上米と言ふ事もある。貨物運送収益税。」とある。
 7:底本語釈に、「〇ゑびすの朝茶(あさちや) 朝早く夷を拝む事を朝夷と称して商人は喜ぶ。また朝、茶を点てる事を朝茶の湯と言ふ。利助はまた夷姿をしてゐるので、かく呼び歩いたのであらう。」とある。
 8:底本語釈に、「〇十二文づゝ 夷の神へ十二灯の賽銭を上げるつもりであらう。」「〇葉茶(はちや)見せ 葉茶店。葉茶を売る店。」とある。
 9:底本語釈に、「〇面影(をもかげ) うすぼんやりと見える姿。面影の如くにの意。」とある。
 10:底本語釈に、「〇棒(ほう)乳切(ちきり)木 ぼうちぎりぎ。ここは棒ぎれ。」とある。
 11:底本語釈に、「〇野郎(やらう)あそび 少年俳優を呼んで遊ぶ事。」「〇ひがし山の茶屋(ちやや) 八坂、石垣町辺の茶屋に、かげま、私娼が居た。」とある。
 12:底本語釈に、「〇置捨(をきすて)の質物(しちもつ) 初めから受け出さないつもりで不正な品物などを質に置く事。」「〇語(かた)りに合(あはせ)て 詐欺者とグルになつて。」「〇敷銀(しきかね) しきがね。しきぎんとも言ふ。婚礼の時の持参金。ここは、これを悪用して借金の穴埋めにするか、或いは騙し取る目的で女房を迎へるのである。」「〇祠堂銀(したうぎん) しだうぎん。しだうがねとも。先祖代々の霊を供養する為に菩提寺に寄付する銀。」「〇山売(うり) 役にも立たぬ山を有望な鉱山と称して売り、不正な利を得る事。山師の仕事。」「〇人参(にんじん) 朝鮮人参。当時、貴重薬とされてゐた。」「〇犬釣(いぬつり) 犬を売る為、他人の飼ひ犬を罠などで釣り、盗み取る事。」「〇ほし殺(ころ)し 飢死させる事。」「〇髪(かみ)の落(をち) 抜け落ちた髪。死人の髪は容易に脱落するので、それを取つて鬘屋、かもじ屋などに売るのである。」とある。