伊勢海老の高買ひ
生あれば食あり。世に住むからは、何事も案じたるが損なり。毎年、世間が詰まり、我人迷惑すると言へど、それぞれの正月仕舞ひ、餅搗かぬ宿もなく、数の子買はぬ人もなし。魚掛けに丹後鰤、雉子を並べ、薪棚に積み重ね、庭に米俵、三月頃までの用意。払ひは二十日切りに、取り方ばかりにしておきし手廻し、内証のよろしき所見えたり。又、算用は合ひながら、売り掛けを取り集めて買ひ掛かりを済ます程、せはしきものは無し。下々の雪踏も足袋も、大晦日の夜中過ぎに調へけるは、浮世の義理に差し詰まりての事ぞかし。年切りの下女、丁稚の仕着せに、買ひ縞の綿入れに白裏付けて取らせし親方は、手前のならぬ節季のしるし、春見ゆる事ぞかし。惣じて人の始末は正月の事なり。まだ堪忍のなる道具を改め、内普請、畳の表替へ、竈の上塗り、万事わつさりと気を付け、一つ一つ目にも立たずして物入り、年中の損なり。賢き人は、大方の事は春夏、日の長き時するこそよし。
一年、伊勢海老、橙切れて、江戸瀬戸物町、須田町、麹町を探して、諸大名の御祝儀なれば、海老一匹を小判五両、橙一つを三両づつに売りける。その年は上方も稀にして、大坂などにても伊勢海老二匁五分、橙七、八分づつせしに、春の物とて是非調へて蓬莱を飾りける。江戸は分きて町の人心不敵なる所、後日の分別せぬぞかし。ここに摂泉境大小路のほとりに樋口屋といふ人、世渡りに油断なく、一生、物の費えになる事せざり。されば、「蓬莱は、神代このかたの習はしなればとて、高直なる物を買ひ調へてこれを飾る事、何の益なし。天照大神も咎めさせ給ふまじ。」と、伊勢海老の代はりに車海老、橙の替へに九年母を積みて、同じ心の春の色。「才覚男の仕出し。」と、その年は境中に伊勢海老、橙一つ買はずに済ましぬ。
人の身持ちしとやかにして、十露盤、うつつにも忘れず、内証細かに、見かけ奇麗に住みなし、物事義理を立てて、随分花車なる所なり。然れども、年の寄る所にて、外より行きて住み家は成り難し。元日より大年までを一度に盛り付けて、その外は一銭もあだに使はず、諸事の物、年々拵へて、慥かなる世帯なり。男は紬縞の羽織一つ、三十四、五年も洗濯せず、平骨の扇は幾夏か風に合はせける。女は又、嫁入り着る物そのまま娘に譲り、孫子までも伝へて、折り目も違へずありける。三里違うて大坂は格別。今日を暮らして明日を構はず、当座当座の栄花と極め、思ひ出なる人心。これを思ふに、ほらなる金銀儲くる故なり。女はなほ大気にして、盆、正月、衣替への外、臨時に衣装を拵へ、用捨なく着古し、程なく針箱の継ぎ切れとなりてすたりし。境は始末で立つ。大坂はぱつとして世を送り、所々の人の風俗可笑し。
それも、よき人はいづくにてもよし。いかに利発顔しても、手前のならぬ人の言ふ事は、聞く者なし。愚かにても福人のする事、よきに立つなれば、暗からぬ人の身を過ぎかぬる、口惜しき事ぞかし。「若い時、心を砕き身を働き、老いの楽しみ早く知るべし。」と、嘘つかぬ大黒殿の御託宣なり。さりながら、今程よい事をさせぬ事はなし。金銀、昔に増さり、次第に沢山になりけるを、どこへ取つて置きて見せぬ事ぞ、合点の行かぬ事なり。これ程人の出しかねる金銀を、わけもなき事には少しも遣ふ事なかれ。溜まるはとけしなく、減るは早し。
或る時、夜更けて樋口屋の門を叩きて{*1}酢を買ひに来る人あり。中戸を奥へは幽かに聞こえける。下男、目を覚まし、「何程がの。」と言ふ。「むつかしながら、一文がの。」と言ふ。空寝入りして、その後返事もせねば、是非なく帰りぬ。夜明けて、亭主はかの男呼び付けて、何の用もなきに、「門口三尺掘れ。」と言ふ。御意に任せ久三郎、諸肌脱ぎて鍬を取り、堅地に気を尽くし、身汗、水なしてやうやう掘りける。その深さ三尺といふ時、「銭が有る筈。いまだ出ぬか。」と言ふ。「小石、貝殻より外に何も見えませぬ。」と申す。「それ程にしても銭が一文ない事、よく心得て、重ねては一文商ひも大事にすべし。昔、連歌師の宗祇法師のこの所にましまし、歌道のはやりし時、貧しき生薬屋に好ける人ありて、各々を招き、二階座敷にて興行せられしに、その主の句前の時、胡椒を買ひに来る人あり。座中へ断りを申して、一両懸けて三文請け取り、心静かに一句を思案して付けけるを、『さりとは優しき心ざし。』と宗祇、殊の外に褒め給ふとなり。人は皆、この如くの勤め、誠ぞかし。
「我、そもそもは少しの物にて、一代にかく分限になる事、内証の手廻し一つなり。これを聞き覚えて真似なば、悪しかるまじ。たとへば借屋住みの人は、毎日その割にして家賃を外にのけ置くべし。借り銀もこの如く、利を一ケ月も重ねぬやうに廻せば、いづれには勝手の商ひするものなり。借銭の済ましやうは、儲けのある時その半分のけ置き、一貫目の内へ{*2}百目づつにてもあぐれば、十年には済む事なり。算用無し打ち込み置きて、帳締めにて合はせる人は、手前薄くなるものぞかし。
「我が物ながら小遣ひ帳を付くべし。買ひ物は買ひながら、違ひあるものなり。商ひ事せぬ日は、少しにても銭銀出す事なかれ。万事を通ひにて取る事なかれ。当座に目に見えねば、いつとなく重なり、払ひの時分、書き出しに驚く事なり。又、家質置く程の身代にならば、外聞構はず売り捨つべし。とても請け返したるためしなく、利に畳まれて只取らるるやうになるものなり。まだも時、所を去りて分別変ふれば{*3}、戸棚の一つも残る。なりはひの渡世は送るものなり。
境といふ所は俄分限者、稀なり。親より二代三代続きて古代の買ひ置き物、今に売らずして時節を待つは、根強き{*4}所なり。朱座落ち着き、鉄砲屋は御用人、薬屋仲間は慥かに長崎へ取り遣り銀、よそより借る事なし。世間内端に構へ、又或る時は、ならぬ事をもするなり。南宗寺の本堂、庫裏に至るまで一人しての建立、殊勝なる事なり。
心はともあれ、風俗は都めきたり。この前、京の北野七本松にて、観世太夫、一世一代の勧進能ありしに、金子一枚づつの桟敷を、京、大坂に続きては堺へ取りける。至り穿鑿もこれにて知れぬる。奈良、大津、伏見も人は変はらねど、この桟敷一軒も取らず。申せば易き事ながら、町人心に判金一枚にて借り桟敷論じて、所せきなく見物する事、千秋万歳の御代にぞ住みける。
【口訳】
生あれば食は得られるもので{*5}、世に生活する以上は、何事も案じるのは損だ。毎年、世間が不景気となつて、自分も人も困るけれども、めいめいの正月準備はするもので、餅搗かぬ家も無く、数の子買はぬ人もない。魚掛けには丹後鰤、雉子を掛け並べ、木棚には薪を積み重ね、庭には米俵を積み{*6}、三月頃までの用意をなし、支払ひは十二月二十日限りに済まし、取り方ばかりにしておく手廻しなどを見れば、暮らし向きのよい事がわかる。又、帳面の上の算用は合ひながらも、売り掛け金を取り集めて、これに依つて買ひ掛かりの支払ひを済ます程、忙しい事は無い。召し使ひに与へる雪踏でも足袋でも、大晦日の夜中過ぎに買ひ調へてやるのは、世間の義理に差し詰まつて遅れるのである。年切りの下女、丁稚の仕着せに、買ひ縞の綿入れ着物に白裏付けて与へるやうな主人は、暮らしの苦しい年末であつた事が、春になつてわかるのである{*7}。一体、人が倹約すべきは正月の支度である。まだ辛抱のできる道具を新調したり、家普請、畳の表替へ、竈の上塗りなど、万事につけてさつぱりとなるやうに気を付くれば、その一々は目立たないが入費のかかる事は、年中の損だ。うまくやる人は、大抵の事は春や夏の、日の長い時にするもので、それがよいのだ{*8}。
或る年、伊勢海老、橙が払底して、江戸の瀬戸物町、須田町、麹町などの八百屋を探し廻り、「諸大名の御祝儀用だ。」といふので、海老一尾を小判五両、橙一つを三両づつに売つたものだ。その年は上方も稀で、大坂などでも伊勢海老が二匁五分、橙が七、八分づつもしたが、正月の物といふので、人々は仕方なく買ひ調へて、蓬莱を飾つた{*9}。江戸はとりわけ町人の心が太つ腹な所で、後の事は分別しないのである。
ここに、摂泉の国境にある堺の大小路の辺に、樋口屋といふ人があつたが、渡世に油断なく、一生の間、無駄遣ひをしなかつた。だから、「蓬莱は神代以来の風俗だからといつて、高価な物を買ひ求めて飾つたとて、何の益もない。天照大神もお咎めにはなるまい。」と言つて、伊勢海老の代はりに車海老、橙の代はりに九年母を積んで飾り、色も同じで気持ちも同じ正月の気持ちでゐた。人々は、「これは才覚男の新案だ。」と言つて、その年は堺中こぞつて、伊勢海老、橙を一つも買はずに済ました。
この所は、人の身持ちがしとやかで、算盤は瞬時も忘れず、家計を細密に吟味し、外観は綺麗に構へ、物事に義理堅く、随分上品な所だ。けれども年寄りじみ易い所で{*10}、よそから来ては住みにくい。元日から大晦日までを一度に予算を立て、その外は一文でも無駄には使はない。色々の物も、年々予算の内で拵へて、健実な世帯である。男は紬縞の羽織一枚を三十四、五年も洗濯せずに着、平骨の扇は幾夏か使つてゐる。女は又、嫁入り着物をそのまま娘に譲り、孫子までも伝へて、折り目も違へず大切に保存するのであつた。
ここと僅か三里隔てた大阪は、格別に違つてゐて、今日を暮らして明日の事を構はない。その時その時の贅沢をする事に決めて、思ひつき次第にする人の心だ。これを思ふに、ぼろい金銀を儲けるからだ。女は一層、気が大きく、盆正月衣更への外に臨時に衣装を拵へて、用捨なく着古し、それも程なく継ぎ切れとなつて、針箱の中にすたつてしまふのだ{*11}。堺は倹約で立つ。大坂はぱつとして世を送る。所によつて人の風俗が変はつてゐるのが面白い。
それも財産のある人は、どこに於いてもモテる。いかに偉ぶつても、暮らしの不如意な人の言ふ事は、聞いてくれる者がない。愚かでも金持ちのする事は、正しいとして通る事であるから、愚かでない人が暮らしに困るのは、残念な事だ。「若い時苦心し精出して、老後の安楽を早く知れ。」と、嘘つかぬ大黒殿の御告げだ。しかし、当世ほど儲けさせない事はない。金銀は昔よりも増加して、次第に沢山になつてゐるのに、誰がどこへしまつて置いて見せないのであらう、合点の行かぬ事だ。これ程人が出しかねる金銀を、つまらぬ事には少しも遣つてはならぬ。お金の溜まるのは待ち遠く、減るのは早いものだ。
或る時、夜更けて樋口屋の門を叩いて、酢を買ひに来る人があつた。中戸を隔てて奥へは幽かに聞こえた。下男が目を覚まし、「何程がの。」と言ふ。「面倒ながら、一文がの。」と言ふ。下男は寝たふりして、その後返事もしないので、その人は仕方なく帰つた。夜が明けると、主人はかの下男を呼び付けて、何の用もないのに、「門口三尺掘れ。」と言ふ。仰せに任せて久三郎は、諸肌脱いで鍬を取り、堅い地面に根気を尽くし、体の汗を水のやうに流してやつと掘つた。その深さが三尺といふ時、「銭が有る筈。まだ出ぬか。」と言ふ。「小石、貝殻より外には、何も見えませぬ。」と申す。主人、「それほど骨折つても銭が一文、手に入らぬ事をよく合点して、今後は一文の商ひも大切にせよ。昔、連歌師の宗祇法師がこの所においでになり、歌道の流行した頃で、或る貧乏な薬種屋の主人に連歌に執心な人があつて、人々を招待し、二階座敷で連歌を催されたが、その主人が句を付ける番になつた時、胡椒を買ひに来た人があつたので、一座の人々にわけを申して、一両ほど秤に掛けて三文受け取り、心静かに一句を思案して付けたのを、『これは殊勝なお心がけだ{*12}。』と、宗祇が殊の外褒められたさうだ。人は皆、かやうに商売に努めるのが本当だ。
「わしは、初めは僅かの財産で、一代にかく分限になつたのは、家計の手廻し上手といふ一事によるのぢや。これを聞き覚えて真似たら、悪い事はない。たとへば借家住みの人は、家賃を一日ならしの分だけ毎日、別に引きのけておくがよい。借り銀もこのやうにして、利子を一ケ月も重ねぬやうに支払へば、終には商売が好都合になるものぢや。借銭の済ましやうは、儲けのあつた時、その半分を取つておき、一貫目の内へ百目づつでも済まして行けば、十年間には済む事ぢや。儲けた金を算用なしに使つてしまつておいて、帳簿の上で収入を合はせるだけにして行く人は、貧乏になつて行くものぢや。
「我が金ではあつても、小遣ひ帳を付けたが良い。買ひ物は買ふにしても、上手下手の違ひがあるものぢや。商ひ事をしない日は、少しでも銭銀を出すな。よろづの品を通帳で取る事をするな。その当座は目立たないから、いつとなく重なつて、払ひの時、書き出しに驚くものぢや。又、家屋敷を抵当に置く程の困った身代になれば、世間体を構はずに売り捨てたが良い。抵当に入れた家屋敷などは、到底請け返した例が無く、利に利が積もつて只取られるやうになるものぢや。まだ早い内に時分を見計らひ、その土地を立ち退いて分別を変へれば、戸棚の一つも残つて、まづその日任せの渡世はできるものぢや{*13}。」
堺といふ所は、俄分限者は稀だ{*14}。親から二代三代も続いて、昔買ひ置きした品物を、今に至るまで売らずに、上がりを受くる時節を待つてゐるのは、身代が強固であるからだ。朱座の人々は落ち着いて仕事を勤め{*15}、鉄砲屋はお上の御用人であるし、薬屋仲間は確実なもので、長崎への為替銀も、よそから借りるやうな事はない。世間体を控へめに構へてゐるが、又或る時は、よその人のなし得ない事をする。たとへば南宗寺の本堂から庫裏に至るまで、一人で建立した事など{*16}、感心な事だ。
心はともかくとして、風俗は都めいてゐる。以前、京の北野七本松で、観世太夫一世一代の勧進能があつたが、金子一枚づつの桟敷を、京、大阪に続いては、堺の人々が買ひ取つた。ここの人の贅沢三昧も、これでわかる。奈良、大津、伏見も人は変はらないが、この桟敷一間さへも買ひ取らなかつた。口で申せば易い事ながら、町人の気前から大判金一枚も奮発して、桟敷を口やかましく争ひ借りて、一杯になつて見物する事は、千秋万歳のめでたい御代に住んでゐる為で{*17}、有り難い事だ。
【批評】
本篇から受ける印象は、樋口屋の始末話よりはむしろ堺商人の気風にあつて、江戸や大阪の気質を多少述べてゐるのは、堺商人をこれらに比較して一層鮮やかに描かん為である。本篇を小説と見れば、まるで統一が無いけれども、人国記又は経済漫談として観れば、例の作者の鋭敏な観察が現れてゐて、すこぶる興味がある。
校訂者注
1:底本は、「たゝき酢(す)を」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
2:底本は、「壱貫(くはん)目の内百目」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
3:底本は、「かゆれば」。
4:底本は、「根(ね)つきよき所」。底本語釈及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
5:底本語釈に、「〇生(しやう)あれば食(じき)あり 諺。生きてゐる者は、何とかして食つて行けるものだといふ意。」とある。
6:底本語釈に、「〇庭(には) 屋内のたたき庭。」とある。
7:底本語釈に、「〇浮世(うきよ)の義理(ぎり) 大晦日に受け払ひをしてしまはねばならぬ事になつてゐる風習。これが為に、召し使ひに給与する雪踏足袋の類を買ひ調へるのが、夜半過ぎになり易い。」「〇年切(ねんきり) 奉公を何箇年限りと契約する事。普通は十箇年に定められてゐた。」「〇買嶋(かいしま) かひじま。買ひ調へた縞の反物。昔は相当の商家でも、下女などに手織りを織らせて仕着せにもするのが普通であつた。又、召し使ひの着物などは、縞物に限られてゐた。」「〇白裏(しろうら) 召し使ひの着物などは、浅葱裏を付けるのが普通であるのに、白裏を、しかも綿入れにつけては見苦しいのである。」「〇春(はる) 正月になつて。召し使ひは、正月になつてお仕着せの着物を着る。」とある。
8:底本語釈に、「〇社(こそ) この字には、祈請する処といふ意があり、『こそ』には元来、請ひ願ふ意があるので、これを当てる。」「〇よし 『こそ』を受けるから、正しくは『よけれ』。又、『するこそよし』は、『するものにて、かくするこそよし』と書くべきを、つづめた。」とある。
9:底本語釈に、「〇代々(だい(二字以上の繰り返し記号)) 橙。子孫代々栄える意味で、蓬莱に使ふ。」「〇蓬莱(ほうらい) 新年の祝ひに、三方の上に米、昆布、橙、伊勢海老等を飾つたもの。蓬莱台。」とある。
10:底本語釈に、「〇義理(ぎり)を立(たて)て 受け払ひなどの商業習慣を守る事。」「〇花車(きやしや) 上品。優雅。」「〇年(とし)のよる所 家計の事などを細かに始末するので、自然早く年寄りじみる所。」とある。
11:底本語釈に、「〇針箱(はりばこ)のつぎ切(きれ) 針箱の引き出しには継ぎ切れを入れておく事が多い。継ぎ切れは、継ぎ当て用にする布片。」とある。
12:底本語釈に、「〇句前(くまへ) 自分が句を付ける番の時。次の付け句から言へば、自分の句は前になるのである。句を案じてゐる時であるから、他用があつては困るのである。」「〇一両 ここは薬種などの秤目で、一両は四匁。」「〇やさしき 殊勝な。商ひをゆるがせにしないのを言ふ。」とある。
13:底本語釈に、「〇なりわひ なりはひ。生業の意であるけれども、西鶴はなりあひと同じ意にしばしば使つてゐる。成り行き。なり次第。」とある。
14:底本語釈に、「〇俄分限者(にはかぶんげんしや) 成金。」とある。
15:底本語釈に、「〇朱座(しゆざ) 朱と朱墨を幕府監督の下に専売する所。」とある。
16:底本語釈に、「〇南宗寺(なんしうじ) 大阪府全志巻五『沢庵和尚、入寺して堂宇を経営するに及び、町奉行北見忠助、岸和田城主小出吉英、但馬国山名全高、市人中村左衛門等、大に力を戮せ、資を捐てて工を助け、諸堂竣成せり。』」「〇壱人しての建立(こんりう) 堺の町人中村左衛門の事を聞き伝へたのであらう。」とある。
17:底本語釈に、「〇一世一代の勧進能(くはんじんのう) 能太夫が一生一度の勧進能。一代能とも言ひ、将軍家の免許を要したので御免能とも称した。勧進能は、初めは社寺に寄進の目的で催されたが、後には入場料を取つて営業の為興行するのが一般となつた。普通の勧進能は、町奉行又は町年寄に断れば、太夫でなくとも許された。」「〇金子一枚 大判金一枚。大判金は一枚二枚と数へた。これは桟敷一軒分の席料である。判金一枚は正面の一等級の桟敷であらう。」「〇一軒(けん) 一間とも書く。桟敷一軒の長さは六尺で、広さは畳三畳分であつた。」「〇申せば安き事ながら 口の上で金子一枚と申すのは何でもないが。」「〇判金(はんきん) ばんきん。享保十年から七両二分に定められた。高い桟敷料であるが、元禄十五年七本松での一代能の時も小判十両であつたから、西鶴の言ふのは誇張でない事がわかる。」「〇千秋万歳(せんしうばんぜい)の御代 めでたい御代。千秋万歳の語は謡曲に多く見えるので、能の縁としても用ゐた。」とある。
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