本朝永代蔵 巻五
第一 廻り遠きは時計細工
唐土人は心静かにして、世の稼ぎも急がず、琴棋詩酒に暮らして、秋は月見る浦に出、春は海棠の咲く山を眺め、三月の節句前とも知らぬは、身過ぎ構はぬ唐人の風俗。中々和朝にてこの真似する人、愚かなり。年中工夫にかかり、昼夜の枕に響く時計の細工仕掛け置きしに、その子、大方に仕継ぎ、その後、孫の手に渡りて、やうやう三代目に成就して、今世界の重宝とはなれり。さりながら、口過ぎには合はぬ算用ぞかし。
細かに心を付けて見しに、これも南京より渡せし菓子金餅糖の仕掛け、色々穿鑿すれども遂になり難く、唐目一斤銀五匁づつにして調へけるに、近年下直なる事、長崎にて女の手業に仕出し、今は上方にもこれを習ひて弘まりける。初めの程は都の菓子屋、さまざま心を砕きしに、胡麻一粒を種としてこの如くなれる事を知らざりき。
これをそもそも智恵付きしは、長崎に僅かなる町人、二年余り心を尽くし、唐人に尋ねしに、更に覚えたる人あらずして、気を悩ませける。律義なる人の国にも、よき事は深く隠すと見えたり。胡椒粒にも煮え湯をかけて渡しければ、その木つき見た人もなく、何程か蒔きても生え出る事なし。或る時、高野山にて何院とかやに一度に三石蒔かれしに、この内より二本根ざしはびこりて、今世上に多し。
「この金餅糖も、種のなきにや。胡麻より砂糖をかけて次第に丸めければ、第一、胡麻の仕掛けに大事あらん。」と思案しすまし、まづ胡麻を砂糖にて煎じ、幾日も干し乾らげて後、煎り鍋へ蒔きて、温もりの行くに随ひ胡麻より砂糖を吹き出し、おのづから金餅糖となりぬ。胡麻一升を種にして金餅糖二百斤になりける。一斤四分にて出来し物、五匁に売りける程に、年も重ねぬ内に、これにて二百貫目仕出しぬ。後にはこれを見習ひ、家毎に女の仕事となせば、この男、菓子をばやめて小間物店を出し、なほ才覚の花を飾り、商売に身をなし、その一代に千貫目持ちとはなりぬ。
日本富貴の宝の津、秋舟入りての有様、糸、巻物、薬物、鮫、伽羅、諸道具の入れ札、年々大分のものなるに、これを余さず。たとへば神鳴の褌、鬼の角細工、何にても買ひ取り、世界の広き事思ひ知られぬ。国々の商人ここに集まる中に、京、大坂、江戸、堺の利発者ども、よろづを宙括りにして、雲を印の異国船に投げ金もすたらず、それぞれの道に賢く、目利きを知るに違はず。金銀すぐれて儲くる手代は、算用は合はせて使ふ事に{*1}賢く、律義に構へて始末過ぎたる若い者は、利を得る事にうとし。とかく、よい事二つは無いものぞかし。長崎に丸山といふ所なくば、上方の金銀、無事に帰宅すべし。ここ通ひの商ひ、海上の気遣ひの外、何時を知らぬ恋風恐ろし。
雨降りて物寂しき夕暮に、人の手代あまた寄り合ひ、銘々の親方分限の成り立てを語りけるに、その種なくて長者になれるは一人もなかりき。まづ江戸手代の話しけるは、「我らが主人は伝馬町にて僅かなる身代なりしが、さる大名の御厄落としの金子四百三十両拾ひしより、段々大銀持ちになられしとかや。」又、京の手代の語りけるは、「私の親方は少しの人なるが、世渡り賢く、世間にせぬ事ならではと、葬礼の貸し色、烏帽子、白小袖、紋無しの袴、駕籠も拵へて、俄の用を調へ、この損料銀積もりて、程なく東山に楽隠居を構へ、人の目に三千貫目との指図、さのみ違ふまじ。」さて大坂の手代言ひけるは、「拙者が旦那は人に変はり、定まる女房家主なし。これ、内証の物入りを考へ持ち給はぬかと思へば、それには非ず。一代後家を穿鑿して、かれこれ年経る内に、形は醜きを構はず、昔長持一つの思ひ入れ。案の如く、臍繰り銀三十貫目。これより商売替へて、小さき紙屋も生薬屋になりやすく、今二千貫目の振り廻し。その時の家の風高う吹かすも、出世の町人叱られず。」
いづれを聞きても大分限の初め、常にては及び難し。皆、一子細づつ格別の変はりあり。この所、唐物の買ひ置き、すぐれて安き相場物の年重ねても損ぜぬ物、買ひ置きて利を得ぬ事なし。或る人、龍の子の二尺余りなるを金子二十両に求め、はや十年も過ぎて、少し逞しくなりて気遣ひ絶えず。又、火喰ひ鳥の卵一つ判金一枚に買うて、これを孵らさせ、炭火を喰ふ事疑ひなし。いかに珍しきとて、この買ひ置き、国土の費えなり。
【口訳】
支那人は心が落ち着いてゐて、家業も急がずにする。弾琴囲碁作詩飲酒に暮らして、秋は月見る浦に出、春は海棠の咲く山を眺め、三月の節句前とも知らないのは{*2}、渡世の業を構はない唐人の風俗で、日本でこの真似する人は、なかなか愚かな人だ。或る人が年中工夫をして、昼夜枕に鳴り響く時計の細工をし始めておいたところ{*3}、その子の代になつてこれをし継いで大分成功し、その後はまた孫の手に渡つて、漸く三代目に完成して、今では世間の重宝となつてゐる。しかしながら、かく年数がかかつては、渡世の業には引き合はぬ算用だ。
よく注意して見るに、これも南京から輸入した菓子に金平糖といふのがあるが、その製法を色々研究するけれども遂に成らず、唐目一斤の金平糖を{*4}、銀五匁も出して買ひ求めたものだが、近年、値が安くなつたのは、長崎で女の手わざで製産し、今は上方でもこれを見習つて造り出し、世間に広まつたからだ。初めの程は、都の菓子屋がさまざま苦心したが、胡麻一粒を芯としてこのやうに出来上がるのを知らなかつたのだ。
これを初めに考へついたのは、長崎に住む僅かな身代の町人であつたが、この人は二年余り苦心して、唐人にも尋ねたが、全く知つてゐる人が無くて、もどかしく思つてゐた。実直な他国人にも、よい事は秘密にすると見える。胡椒粒にも熱湯をかけて輸入したので、その木の形を見た人もなく、いくら蒔いても生える事がない。或る時、高野山で何院とかに、一度に三石蒔かれたところが、この中から僅か二本だけ根が生えはびこつて、今では世間に多く広まつてゐる。
「この金平糖も、種のない事があらうか。初めは胡麻に砂糖をかけて、次第に丸めるのだから、第一、胡麻の仕掛けに秘密があるのだらう。」と深く思案して、まづ胡麻を砂糖で煎じ、幾日も干し乾かして後、煎り鍋に蒔き散らして、温もつて行くに随ひ、胡麻から砂糖を吹き出し、自然に金平糖となつた。胡麻一升を種にして、金平糖二百斤になつた。一斤の実費四分で出来た物を五匁で売つてゐたところが{*5}、一年たたぬ内に、これで二百貫目稼ぎ出した。後にはこれを見習つて、家毎に女の仕事となしたので、この男は菓子屋をばやめて小間物店を出し、なほ一層才覚の花を発揮して商売に励み{*6}、その一代に千貫目持ちとなつた。
日本の富貴になる宝の入り来る港長崎に、秋舟が来た時の有様の賑やかさ、糸、巻物、薬物、鮫、伽羅、諸道具を入札して買ひ込む量は、毎年沢山のものであるが、これらを残さず買ひ入れる。たとへば神鳴の褌や鬼の角細工や{*7}、何でも買ひ取つてこれを売るのであるが、以て世界の広い事が思ひ知られる。諸国の商人がここに集まる中に、京、大坂、江戸、堺の利発者どもが、万事の商ひを大まかに計算して、雲を目印にするやうな、当てにならない異国船に資銀を貸しても、未回収に終はる事もなく、皆それぞれの取引に抜け目が無く、商品の目利きをなすにも間違へない。一体、金銀を非常に儲ける手代は、算用は合はせて、又、使ふ事にも上手であるが、実直な態度を取つて倹約過ぎる手代は、儲ける事には下手だ。とかく、よい事が二つ揃ふ事は無いものだ。長崎に丸山といふ遊所がないならば、上方の金銀は無事に帰宅するであらう。ここ通ひの商売は、海上の風の心配の外に、いつ起こるかわからない恋風が恐ろしい{*8}。
雨が降つて何となく寂しい夕方、商人の手代が大勢寄り合つて、各自の主人が分限に成り始めの事を語つたが、種が無くて長者になつたのは一人もなかつた。まづ江戸の手代が話したのは、「わしの主人は、伝馬町で僅かの身代であつたが、或る大名の御厄落としの金子四百三十両を拾つてから{*9}、段々と大銀持ちになられたさうだ。」又、京の手代が語つたのは、「私の主人は僅かの身代の人だつたが、渡世に抜け目がなく、『世間の人がまだ余りやらない事でなくては、見込みがない。』と言つて、葬式の衣装貸し、即ち烏帽子、白小袖、無紋の袴、又、駕籠までも用意して{*10}、人々の急用の間に合はせてゐたが、この貸し賃が積もつて、間もなく東山に楽隠居を構へ、人の目には資産三千貫目と推定されてゐるが、さう違ひはあるまい。」さて、大坂の手代が言つたのは、「拙者が旦那は他人と違つて、きまつた主婦がなかつた。これは、家計の物いりを考へて持たれないのかと思へば、さうではない。一代後家を探し求めながら{*11}、あれかこれかと言つてゐる内に年月がたつたが、容貌の醜いのは構はずに、昔長持一つを当て込んで貰はれたが、案の如く、この後家は臍繰り銀三十貫持つてゐた。これから商売を替へて、小さい紙屋もたやすく生薬屋になつて{*12}、今では二千貫目の身代を自由にして全盛ぶりを示して居られるが、それも出世した町人の事だから、お上から叱られる事もない{*13}。」
どの話を聞いても、大分限になる初めは、並々の事ではできない。皆それぞれのわけがあつて、格別の相違がある。ここで唐物の買ひ置きするには、非常に安い相場物の、年がたつても破損しない物を買ひ置きしておけば、利益を得ない事はない。しかしながら、或る人が龍の子の二尺余りなのを金子二十両で買ひ求めたが、はや十年もたつて、少し荒々しくなつたので、心配が絶えない。又、或る人は火喰ひ鳥の卵一つを大判金一枚出して買つたが、これを孵らせたら、炭火を喰ふに違ひない。だから、いかに珍しいからとて、かやうなものの買ひ置きは国の損になる。
【批評】
本篇を長者教として観るならば、厄落としの金を拾つたのと、後家の臍繰り銀を狙つたのとは感心しないが、葬儀材料の損料貸しを始めたのは、抜け目のない才覚と見るべく、又、金平糖の製法に苦心して成功した話は、町人の教訓話として認めてよからう。
最後の條に、龍の子や火喰ひ鳥などを挙げてこの篇を結んだのは、例の滑稽味を湛へようとする作者の態度の一つであつて、読者への一服の清涼剤となるのである。西鶴は話が上手で、面白く話してくれる。
校訂者注
1:底本は、「つかふ事かしこく」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
2:底本語釈に、「〇三月の節句前(せつくまへ) 三月の節句前に限らず、五節句各々の前日は物前といつて、受け払ひされた。」とある。
3:底本語釈に、「〇仕掛置(しかくをき)しに 或る唐人がし始めて、そのままにしておいたところ。」とある。
4:底本語釈に、「〇唐(たう)目 たうめ。百六十匁を一斤とするもの。」とある。
5:底本語釈に、「〇四分 銀四分(ふん)。一分は一匁の十分の一。」とある。
6:底本語釈に、「〇才覚(さいかく)の花(はな)をかざり 胡麻の種の秘密を覚えたので、種の縁として花と言つたのであらう。」とある。
7:底本語釈に、「〇秋舟(あきふね) あきぶね。秋、長崎に入港してくる外国船。唐船は秋が多かつた。」「〇糸(いと) 白い生糸。唐糸(からいと)とも言つた。」「〇巻物(まきもの) 軸に巻いた反物。」「〇鮫(さめ) 鮫皮の事。」「〇伽羅(きやら) 香の一種。」「〇神鳴(かみなり)の犢鼻褌(ふんどし) 鬼の角細工と共に、世に無い程の珍物を殊更に挙げた。一種の誇張法。」とある。
8:底本語釈に、「〇丸山 長崎の遊里。」「〇恋風(こひかぜ) 恋を風に譬へた。風は『海上』の縁でもある。」とある。
9:底本語釈に、「〇厄落(やくおと)し 厄年の者が節分の夜などに、厄年の数に一つ足して、銭や煎り大豆を道に落として、乞食などに拾はせた事。」とある。
10:底本語釈に、「〇かし色(いろ) 損料を取つて貸す喪服。転じて喪服のみでなく、葬儀用の道具などをも貸した。これを渡世とする家を貸し色屋と言ふ。貸し色屋は葬式貸し物屋とも称し、今日の葬儀社に似たものであつた。葬式には白無垢、浅葱上下を色と称して着た。」「〇紋(もん)なしの袴(はかま) 無地の袴。平常のは小紋或いは縞である。これは、裃を着ずに、袴のみを着る者に貸すのである。最も略儀である。」「〇駕籠(かご) 棺を運ぶ駕籠。」とある。
11:底本語釈に、「〇女房(にうばう)家主(いはらじ) にようばういはらじ。主婦。」「〇一代(だい)後家(ごけ) 一生再嫁しない考へで暮らしてゐる未亡人。相当の資産がなくてはできない。」とある。
12:底本語釈に、「〇生薬(きくすり)屋 薬種屋。多くは外国から買ひ入れるので、資本を要する。」とある。
13:底本語釈に、「〇出世の町人しかられず 普通の町人は、少し贅沢に見える事があれば、お上から叱られるが、同じ町人でも出世すれば、贅沢してもお上の役人が遠慮して、叱らないのが世情の常であつた。」とある。
コメント