第二 世渡りには淀鯉の働き
人の稼ぎは早川の水車の如く、夜昼の流れも七十五里に積もり有りて、年波のせはしき世の事、算者もこれを積もれり。大節季の暗き事は、秋の頃の月夜より知れたる事を、人皆さし当たりてこれを驚きぬ。前かどより商人は気を働かせ、職人はそれぞれの細工を取り急げども、必ず日数延びて、当てどの違ふものぞかし。又、売り掛けも、たとへば十貫目の物、三つ一分にして三貫目と請け払ひすれば、世間に尾を見せず、狐よりは化けすまして世を渡る事、人の才覚なり。
商ひ功者なる人の言へり。「掛け銀は、取りよきから集むる事なり。いつにても手の物にして残し置き、思ひの外の暇入り、或いは留守とて度々足を運びぬ。惣じて掛け乞ひの無常を観ずる事なかれ。入相の鐘袋に心玉を籠めて、言葉つき奇麗に顔恐ろしく作りて、広敷の中程に腰掛けて、煙草吸はず茶呑まず。内儀、笑顔して話し掛くるにも聞かぬふりして、魚掛けの鰤、雉子に目を付けて、『当年の御仕舞ひは、庭に三石、地米と見えました。いつもより早き餅搗き。鍋の蓋までも新しくなり、御娘子の正月小袖、紫の飛鹿子に紅裏。これでこそ春なれ。私らは盆の如く胸が踊りて、松原越えて門飾りの山草一葉、数の子一つ、今に調へもせず。倅が去年の手織縞の袷に、せめて木綿入れてと思ふさへ成り難きに、こなたを見る時は、長者と言うて外になし。このやうなる御仕舞ひ、江戸には知らず、京にもあるまじ。』と家の宜しき事ばかり申して、難しうかかれば、外をさし置き、それから済ますものぞかし。折節の寒きとて、掛け乞ふ宿にて酒を呑み、湯漬け飯を食ふ事、必ずせぬ事。」と言へり。
又、借銭の淵を渡りつけて{*1}、幾度か年の瀬越しをしたる人の言へり。「世の習ひにて買ひ掛かりする事、互ひに合点づくなり。たとへば新米一石六十目の相場の時も、六十五匁にして、しかも下米を渡しぬ。油も一升二匁の折から、二匁三分に仕掛けられ、この外味噌、酒、薪、よろづをかくの如くなれば、年中、人奉公して、勝手迷惑するに積もりぬ。払ひ方は少しの物から済まし、大分の所をあけ置くものなり。手前に銀子の溜まりありとも、大年の夜に入りて渡すべし。大方退屈して、『松の内。』といふ断りを聞き届け、銭の仕掛け、銀の軽目も構はず、拾うた物の心地して、手に握りながら門に走り出、『さてもうたてや。この家へ重ねて商ひ致さじ。』と心誓文立てても、商売の習ひとて、年明くれば又、忘れた昔になりぬ。これ、本意にはあらず。内証のならぬより、思ひの外なる悪心も起こりし。」
ここに、山城の淀の里に山崎屋とて、身過ぎの種は親代からの油屋なりしが、家職の槌の音を嫌ひ、無用の奇麗好き。この家の福の神は塵に交じはり給ひしに、竹箒に恐れて出させ給ふにや、次第に寂しくなりて、毎年銀高減りて、おのづから槌、碓{*2}の音も聞かぬやうに、いつとなく灯し油も絶えぬ。
俄に昔の宝寺を祈る甲斐なく、手と身になりての思案、何とも埒の明かぬ世渡り。小橋の下に魚はあれど、網無うて淵を覗き、弥陀次郎が跡垂れて発心もならざれば、「とかく身を捨てて稼がば、遅牛も淀車の廻り合はせよくば、再び家の栄え行く事も。」と商ひの道替へて、鯉鮒担うて京通ひ。「淀の川魚名物。」とて殊更に売り払ひ、人も面を見知りて、「淀の釈迦次郎。」と異名を呼びて、用ある方にはこの者{*3}を待つ程になりてから、淀の里より手振りで行きて、丹波、近江より都に運ぶ鯉鮒請けて、一日に限りもなく売りける程に、「風味格別。」と言ひなして、同じ鯉鮒を外の者のは買はざりき。商人は只、しにせが大事ぞかし。
その後、刺身を作りて盛売りに、五分、三分にても自由調へければ、京は台所の事世智賢く、人振舞ひにもこれにて埒を明け、次第にはやれば、その程なく分限になりて、金銀蒔き散らして両替の店を出し、あまたの手代を抱へ、この家繁昌の時は、昔の鯉売りの事は言ひ出する人もなく、風俗もおのづから都めきて、新在家衆の衣装をうつし、油屋絹の諸織を憲法染の紋付、袖口薄綿にして三つ重ね、小褄高からず裾長く、同じ羽織豊かに見えて、歴々とは言はで知れける。
たとへば公家の落とし子、大名の筋目あればとて、昔の剣の売り喰ひ、運は天に具足は質屋にありては、時の役には立ち難し。只智恵才覚といふも、世渡りの外はなし。一年の暮ほど、世上の極めとて恐ろしきものはなし。それを油断して、十二月中頃過ぎよりの分別は遅し。何となき宮寺さへ、御祈念の守り札、年玉扇の用意するなど、まして工商の家に十三月なる顔つき構へ、貧乏花盛り{*4}待つは、今の事なるべし。
大方なる年を越してこそ、春になりての心もよけれ。薬代は覚えながら遣らずに、小者が布子に手染の薄色仕立てて着せる程せはしき内証、我が世なればとて面白からず。京の町も様々の年の暮、初春の歌案じけるなど、さすが王城の風俗なれども、かく豊かなる人は稀にして、悲しき渡世の人あまたなり。
鯉屋が手代、自分商ひに少しの米店出して、僅か五貫目の元銀、大豆、粉に砕きたるやうに方々に売り掛け、これを取り集めけるに、小家がちなる世帯を見れば、無常の起こりぬ。はや極月も二十八日、しかも小の晦日なるに、今日と明日との物前、さも忙はしき片手に、下機に木綿一反。これを織りおろして正月仕舞ひの百品にも心当て。
又、或る家に行けば、古鉄買ひを呼び入れ、鏡台の金物、銅網の鼠捕り、禁中熊手一本、爪折れの五徳一つ取り集めてから、銭百三十に値段付け、捨てて行く。夫婦、人の聞くとも知らず、「借銭の分は、初めから済まする心入れにあらず。銭五百、天から降れがな。ゆるりと取る年男。」と。哀れや、いたいけ頃の娘、「今幾つ寝てから正月ぢや。」と言ふを、「米のある時が正月よ。」と睨む形の恐ろしく、門口より掛けも乞はずに立ち帰り。
又、或る家に入れば、公事だくみなる女、薄き唇を動かし、「こなたから米の銀、再々の御使ひ。借るも世の習ひなるに、さても酷い言葉遣ひ、『首引き抜いても今取る。』と言はれしを聞かれましてから、亭主は震ひつかれまして、今に枕上がりませぬ。四匁五分で首を抜かるるは口惜しき事。」と大声上げて泣けば、とやかく論もむつかしければ、「随分養生めされ、命があらば、春の穿鑿。」と言ひ捨てにして帰り。
又、さる家に行けば、浅葱の上を千種に色あげて、袖下に継ぎの当たりし布子に御神酒進じて悦び、「これは、かみの堅き着る物かな。この十七、八年も冬中は人の蔵にありて、ここへ戻りて正月をする事、めでたい。」と言ふ所へ行きかかりて、「算用しませう。」と言へば、十八匁二分の書き出しに、「一匁六分、数一つ。」と書き付けして、しかも、つきの悪き銀を、「こなたへ懸けて置きました。嫌なら嫌になされ。」と猫の蚤見てあしらひもせねば、これも是非なく、「取らぬが損。」と帰る。
それより又或る方に行くに、男は宿を出て、十人並なる女、髪頭常よりは見よげに、帯もふだんを仕替へ、薄雪、伊勢物語の草紙取り広げ、掛け乞ひあまたと打ち交じり、「春はどの芝居はやるべし。」と、さてもゆるりとしたる有様。「これの主はいづ方へ。」と問へば、「年寄り女房が気に入らぬとて、置き去りにして行かれました。」と別して笑ひかかる。「暇取らしやれ。」「請け取り手は。」「我の。」「人の。」とじやれて、掛帳は心に消して帰る。
人ほど賢くて愚かなるものはなし。借銭の宿にも様々の仕掛け者あり。油断する事なかれ。たとへばよろづの売り掛けするとも、その人と次第に懇ろにならぬやうに常住の心入れ、商人の秘密なり。親しくなりてよき事もあれど、それは稀なり。敷銀にして物を売るとも、前より残銀かさむ時は、見切りてこれを捨つべし。それに引かれて後は大分の損をする事、皆人、先の見えぬ欲からなり。
この米屋も、当座銀にして俵なしに量り売りの四、五年は仕合せの重なりけるに、或る時、西陣の絹織屋へ俵米売り初め、置き替への約束も年々かさみて、算用は合ひながら、その銀塞がりて手廻し成り難く、後は碓の音絶えて釣掛け升のみ残れり。掛け商ひには分別有るべし。
【口訳】
人が家業に励む事は、早川の水車のやうに油断なくなすべきで、夜昼絶えない水の流れも七十五里に見積もつてあつて{*5}、年月のたつ事のせはしい世の中である事は、数学者もこれを見積もつてゐる。大節季の暗くて見当のつかない事は{*6}、秋の月夜の頃からわかつてゐるのに、人は皆、その時になつてこれを驚くものだ。あらかじめ商人は気を働かせ、職人は各自の細工を取り急ぐのであるけれども、必ず日数が延びて、予定の外れるものだ。又、売り掛け銀も、たとへば十貫目あるのを、三分の一にして三貫目請け取る見込みにして、自家の支払ひにあてれば{*7}、世間に尾を見せず、狐以上に化けすまして世を渡る事ができるわけだが、これもその人の才覚によるのだ。
商ひ上手な人が言つた。「掛け銀は、取り易い人からまづ集める事だ。それを、いつでも取れるものと思つて残しておけば、案外取るのに暇がいつたり、或いは留守だと言つては度々足を運ぶものだ。一体、掛け取りの無常を観じてはならぬ。夕方までも廻りながら、金袋に精神を打ち込んで、言葉使ひは上品に、顔つきは恐ろしく見せ、広敷の中程に腰掛けても{*8}、煙草も吸はず茶も呑まぬがよい。おかみさんが愛想よく話をし掛けても、聞かぬふりをし、魚掛けの鰤や雉子に目を付けて、『今年の御仕舞ひは、中々御立派。御庭に三石積んであるのは地米でございますね{*9}。いつもよりかお早い餅搗き。あの鍋の蓋までも新しくなりましたね。御娘子の正月小袖を仕立ててゐらつしやるのですか。紫の飛鹿子に紅裏と来てゐる。これでこそ春の気になれますよ。私らはそこどころか、まだ盆のやうな気で、心も踊つて落ちつきませぬ。松原通りを過ぎても、門飾りの山草一葉だつて{*10}、数の子一つだつて、今に買へませぬ。倅が去年の手織縞の袷に、せめて綿を入れてやりたいと思つても、それさへできませんのに、こなた様を拝見します時は、まるで長者で、外にはござりませぬ、このやうな結構な御仕舞ひは。江戸は知らず、京にもありますまい。』と、家の立派な事ばかり申して、うるさく話しかかれば、外の支払ひを差し置いて、その掛け乞ひから済ますものだよ。その時が寒いからとて、掛け乞ふ家で酒を呑んだり、お茶漬けの馳走になる事は、必ずしてはならぬ事だ。」と言つた。
又、借銭の淵をやつと渡り済まして、幾度か年の瀬を越した人が言つた。「世間の習慣で掛け買ひをする事だが、ごまかす事は互ひに承知しての事だ。たとへば掛け売りをする方では、新米一石が六十匁の相場である時でも、六十五匁として、しかも下等米を渡すものだ。油も一升が二匁の時でも、二匁三分にしてごまかされる。この外、味噌、酒、薪、すべてをかやうにするのであるから、掛け買ひする方では、売る人に対して年中利益をただ儲けさせるやうなもので{*11}、自分の生計が困る事を予期してゐるのである。さて、支払ひの方法は、まづ少しの掛け買ひから済まし、沢山ある方をそのままにしておくのだ。たとへ手元に銀子の溜まりがあつても、大晦日の夜に入つて渡したがよい。さうすれば掛け乞ひは、今まで根気負けして、『松の内に支払ふ{*12}。』といふ言ひ訳をかねて承認してゐるものだから、今さら支払はれてみれば、嬉しさに、銭のごまかしや銀貨の軽目も構はずに{*13}、拾ひ物のやうな気がして、手に握りながら門外に走り出て、『さても嫌だ。この家に二度と商ひは致すまい。』と心の中に誓つても、商売の習はしで、年が明ければ又この事を忘れて、以前のやうに商ふものだ。一体、支払ふ人もごまかす事は本心ではなくて、暮らしができない為に案外な悪心も起こるのだ。」
ここに、山城の淀といふ村に山崎屋とて、渡世の種は親の時代からの油屋であつたが、家業の油を絞る槌の音を嫌ひ、無用の綺麗事を好み、この家の福の神は塵に交じはつて住んで居られたが、掃き清める息子の竹箒に恐れて出て行かれたのであらうか、次第に家業が寂しくなつて、毎年銀高が減り、自然に槌や碓の音も聞かぬやうになつて、灯し油も絶えて家運が衰へた{*14}。
俄に、以前の宝持ちになるやうに、宝寺に参つて祈つても甲斐がなく、無一物となつての思案は、何とも埒の明かぬ渡世である。淀の小橋の下に魚はゐるが、「網無うて淵を覗くな。」の譬へでダメ。それかと言つて弥陀次郎にならつて出家する気にもなれないので{*15}、「とにかく身を捨てた気で稼いだら、『遅牛も淀。』の世話のやうにいつか目的を達し、淀の水車のやうに{*16}、廻り合はせがよかつたら再び家の繁昌する事もあらう。」と思つて、商売を替へて鯉鮒担うて京通ひを始め、「淀の川魚名物。」と呼び歩いて売り払つたが、人々もこの男の顔を見知つて、「淀の釈迦次郎{*17}。」と異名を呼んで、用のある家ではこの呼び名を待つて買ふ程になつた。それからは淀の里から手ぶらで京に行つて、丹波、近江から都に運ぶ鯉鮒を買ひ請けて、一日の内に限りもなく売つたところが、人々は、「その風味が格別だ。」と評判して、同じ鯉鮒でも外の者のは買はなかつた。だから、商人は長い間の信用が大切だ。
その後、刺身を作つて盛り売りにして、五分、三分程でも便利に調製したので{*18}、京は元来、台所の事に吝く、人を馳走するにもこの刺身で間に合はせた。かくて次第に繁昌したので、幾程もなく分限者になり、金銀貨を並べ散らして両替店を出し{*19}、沢山の手代を抱へたが、この家の繁昌した頃は、昔の鯉売りの事は言ひ出す人もなく、服装も自然に都めいて、新在家衆の衣装を真似、油屋絹の諸織を憲法染の紋付にし{*20}、袖口には薄綿を入れ、これの三枚重ねを着、小褄を高く取らずに裾長く着なし、同じ羽織を着た姿はゆつたりと見えて、歴々の分限とは言はずと知れた。
たとへ公家の落胤や大名の血筋を引いてゐるからとて、今までの剣を売り喰ひにし、「運は天にあり。」と称して具足は質屋にあつては、これらもまさかの時の役には立ち難い。只、智恵才覚が大切だと言つても、渡世の外には値打ちがない{*21}。一年の暮れほど世間の定めとして恐ろしいものはない。それを油断して、十二月中頃過ぎから分別するのは遅い。何でもない社や寺でさへ、御祈念の守り札や年玉扇の用意をしたりなどするのだから、まして工商の家に十三月のやうな呑気なふうをしてゐては、貧のどん底に陥るのは間もない事であらう{*22}。
世間並みの年を越してこそ、新年になつての気持ちもよいものだ。しかるに、薬代は承知してゐながら未払ひのままにして、丁稚に着せる布子は手染の花色に仕立てて着せる程の苦しい家計では、いくら我が世帯だからとて、褒めた事ではない。京の町も人さまざまの年の暮で、初春の歌を案じてゐるのなどは、さすがに王城の都の風俗ではあるけれども、かやうに生活に余裕のある人は稀であつて、悲しい渡世の人が多い。
この鯉屋の或る手代が独立して、小さな米店を出したが、僅か五貫目の元手で、大豆を粉に砕いたやうに諸方に売り掛けをなして{*23}、この売り掛け銀を取り集めるのであつたが、小家がちな世帯を見れば、頼りない気が起こるのであつた。はや十二月も二十八日、しかも小の晦日であるのに、今日と明日とに迫つた節季前に、さも忙しい片手間に、下機で木綿一反織つてゐるのがあつたが{*24}、これを織り上げて売り払ひ、正月支度の諸品を買ひ調へようといふつもりなのである。
又、或る家に行けば、古鉄買ひを呼び入れて、鏡台の金物、銅網の鼠捕り、禁中熊手一本、爪折れの五徳一つをやつと取り集めてから{*25}、値段が折り合はず、古鉄買ひは百三十文につけ捨てて行つた。夫婦は人が聞いてゐるとも知らずに、「借銭の方は、初めから返すつもりではない。銭五百文でも、せめて天から降ればいい。さうすれば、豆でも蒔いてゆつくりと年を取るに{*26}。」とつぶやいた。哀れや、可愛い盛りの娘が、「今幾つ寝てから正月ぢや。」と問ふのを、「米のある時が正月よ。」と睨む顔つきの恐ろしくて、門口から掛け銀も請求せずに立ち帰つた。
又、或る家に入れば、言ひがかりをやる女が薄い唇を動かして{*27}、「お前さんから米代催促に再々の御使だが、物を借りるのも世間の習ひだのに、さてもむごい言葉遣ひをなさる。『首引き抜いても今取つて見せる。』と言はれましてから、亭主は震ひつかれまして、今に枕が上がりませぬ。僅か四匁五分で首を抜かれるのは、残念な事ぢや。」と大声上げて泣くので、とやかくと議論するのもうるさいので、「随分養生めされ、お命があつたら春の相談に致しませう。」と言ひ捨てにして帰つた。
又、或る家に行けば、浅葱の上を千種色に染め直して、袖下に継ぎの当たつてゐる布子に御酒を供へて悦びながら、「これは、丈夫な着物ぢや。この十七、八年も毎年冬中は質屋の蔵にあつたのが{*28}、ここに戻つて正月をする事は、めでたい。」と言つてゐる所へ行き合はせて、「算用しませう。」と言へば、十八匁二分の勘定書きに対して、僅かに「一匁六分、数一つ。」と書き付けして、しかも質の悪い銀を差し出して{*29}、「これは、お前さんに払ふつもりで秤に懸けて置きました。嫌なら嫌になされ。」と言つて、猫の蚤を取りながら相手にしないので、これも仕方が無く、「取らないのが損。」と思つて、それを受け取つて帰つた。
それから又、或る家に行けば、主人は外出して、おかみさんが居たが、顔は十人並の女で、髪も常よりは見よく結つて、帯もふだんのを仕替へ、薄雪{*30}、伊勢物語の草紙を取り広げ、大勢の掛け取りと打ち交じつて、「春は、どの芝居がはやるぢやらう。」など話してゐるが、さてもゆつくりした有様だ。「お宅の御亭主はどちらへ。」と問へば、「年寄り女房が気に入らないと言つて、私を置き去りにして行かれました。」と言つて、わざと笑ひかける。「ぢや、離縁さしやれ。」「後の貰ひ手は。」「わしぢや。」の、「誰ぢや。」のとふざけて、つい掛帳は心の中に消したつもりで帰る事もある。
人ほど抜け目がなくて、しかも愚かなものは他にない。借銭のある家にも、様々詐欺をやる者がある。油断してはならぬ。たとへば色々の品物を売り掛けするにしても、その人と次第に親しくならぬやうに平生用心する事が、商人の秘訣である。親しくなつて、よい事もあるけれど、それは稀である。内金を取つて物を売るにしても、前よりも残銀がかさむ時は、見切つてこれを放棄したがよい。それに未練が残つて商つてゐると、後には大分の損をする事があるもので、これは皆、人が先の見えぬ欲から起こるのである。
この米屋も、現銀売りにして俵無しで量り売りをしてゐた四、五年の間は儲けが続いたが、或る時、西陣の絹織屋へ俵米を売り始め、置き替への約束にしてゐたが{*31}、それも年々未払ひ銀がかさんで、帳面の上では算用が合ひながら、その未払ひ銀が回収できず、自然、資銀の運用が不可能になつて、後には米を搗く碓の音が絶え、釣掛け升ばかりが残り{*32}、米商売はすたれた。とかく掛け商ひには深く用心すべきだ。
【批評】
本篇は、三節に分ける事ができる。第一節は序説とも見るべきもの、第二節は本筋、第三節は余談とも言ふべきものである。
第二節は、本篇の主人公山崎屋が家運挽回の話で、筋には特に奇抜な事はないが、淀、京を背景として環境を描き出してゐる点に、例の言ひ知れぬ興味をおぼえる。
第三節は、山崎屋即ち後の鯉屋といふ両替屋の手代が、自分商ひで米屋を始めたが、後には売り掛けが滞つて失敗する筋である。本節の四分の三は、掛け乞ひに行く各貧家の描写で、およそ五つの場面から成つてゐる。第三節は、いづれも大節季前の光景で、話の筋は希薄であるが、世相人心は濃やかに描写されてゐる。谷川の丸木橋を渡るやうな歳末の貧乏世帯の姿が痛快に抉られてゐる。
吾々は、話の筋よりもむしろ、これらの描写に対してかへつて作者の天稟と妙筆とを感ずる。西鶴が後に著した世間胸算用は、歳末の世相を描いたものであるが、この第三節は、胸算用の先駆けとも言ふべきものである。
校訂者注
1:底本は、「わたり付て」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
2:底本は、「確(うす)」。底本語釈及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
3:底本は、「此名を」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
4:底本は、「貧乏花(ひんほうはなさかり)り」。底本語釈及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
5:底本語釈に、「〇早川(はやかは) 流れの早い川。」「〇水車(みづくるま) みづぐるま。水車は淀の縁。」「〇七十五里(り) これは俗説であらう。流水の速度は一様には定め難い。七十五といふ数は諺に往々使はれる。」とある。
6:底本語釈に、「〇大節季(せつき) 歳末。」「〇闇(くらき)事 晦日の事だから夜は暗い。又、年末は勘定日で、その勘定高の見当がつかない事をも意味している。」とある。
7:底本語釈に、「〇請払(うけはら)ひ 売り掛け金は、全部は回収できないのが常である。全部受け取り得るものとして、これを支払ひ用に当てようとすれば、大節季に足らなくなる。」とある。
8:底本語釈に、「〇掛乞(かけこひ) かけごひ。売り掛け銀の請求。掛け取り。」「〇無常(むじやう) ここは、取れるか取れぬか当てにならぬ事。」「〇鐘袋(かねふくろ) かねぶくろ。銀(かね)袋。入相の『鐘』を言ひ掛けた。」「〇心玉 こころだま。心魂(だま)。当時の銀貨は丁銀の他に小玉銀(こだまぎん)(豆板銀)が広く通用してゐたから、『鐘袋に心玉を籠めて』は、銀袋の中に小玉銀を入れてゐる事も連想されて面白い。」「〇広敷(ひろしき) 京阪の商家などでは、台所の上がり口にある板敷の間(ま)。掛け乞ひなどは、表の入口から入り、中戸を通つて、広敷に腰かけて請求するのである。」とある。
9:底本語釈に、「〇庭(には) 屋内の庭。土間。」「〇地米(ぢごめ) その土地でできた米。即ち買ひ入れたのでなくて小作米と見て、おだてるのである。」とある。
10:底本語釈に、「〇松原越(こへ)て 伊勢踊りの歌の語句。松原は京の松原。」「〇山草(くさ) やまぐさ。歯朶(しだ)。裏白とも言ふ。」とある。
11:底本語釈に、「〇人奉公(ほうこう) ひとぼうこう。他人に奉公するのと同じである。不当な値段で売りつけられては、売る人に利益をただ寄附するやうなものである。」とある。
12:底本語釈に、「〇松の内。門松を立ててゐる間。当時は元日から十四日まで。」とある。
13:底本語釈に、「〇銭(ぜに)の仕かけ 銭の相場を偽り或いは悪銭を掴ませて不当な利益を得る事。」
14:底本語釈に、「〇槌(つち)の音(をと) 油搾木(しめぎ)の楔(くさび)を槌で打つ音。」「〇福(ふく)の神 槌の縁。」「〇塵にまじはり 和光同塵の語をふまへた。」「〇槌碓(つちうす)の音(をと) 碓の音は、炒つた菜種を碓に入れて搗き砕く音。」「〇ともし油も絶(たへ)ぬ 家職の製油業が廃れた事と、貧乏になつた事とを含めた。」とある。
15:底本語釈に、「〇弥陀次郎(みだじらう) 五箇荘(ごかのしやう)村にある西方寺の本尊阿弥陀仏の俗称。五箇荘は宇治町の北方半里。次郎といふ漁夫の網にかかつて引き上げられたので、この名がある。」「〇跡(あと)たれて 次郎が出家した例にならつての意。」とある。
16:底本語釈に、「〇遅牛(をそうし) 諺『遅牛も淀、早牛も淀。』遅くとも早くとも、結局は目的地に着くの意。これを淀車に言ひ掛けた。」「〇淀車(よどぐるま) 淀は上にも下にも掛かる。河水をこの水車に依つて陸上に揚げ、田圃の灌漑に供した。」とある。
17:底本語釈に、「〇釈迦(しやか)次郎 弥陀次郎をもぢつた。」とある。
18:底本語釈に、「〇五分三分 銀五分(ふん)、三分(ふん)。一分は一匁の十分の一。」とある。
19:底本語釈に、「〇蒔(まき)ちらして 両替屋の事だから、天秤の周囲には金銀を多く散らし置く有様。」とある。
20:底本語釈に、「〇新在家(しんざいけ)衆 新在家は烏丸通と東洞院との間。諸侯の呉服所、連歌師、能の囃方などが住んでゐて、一体に上品であつたのであらう。」「〇諸織(もろをり) 精好織(せいかうおり)の事。最も上等の羽二重。」とある。
21:底本語釈に、「〇世上(せしやう)の極(きはめ) 世上(じやう)の定め。世間のならはし。」とある。底本は、「ねうちがない。それを油断して」。
22:底本語釈に、「〇年玉扇(たまあふぎ) 当時、神社又は寺院から、その氏子又は信徒の家にこれを贈る風俗があつた。年玉は年賜の意で、新年の贈物。」「〇十三月 十三月(ぐわつ) ここは、一年が十三箇月あるやうな呑気な顔つきをする事。十三月は又、正月の異名。」「〇貧乏花盛(ひんぼうはなさかり) 諺『貧乏花好(ず)き。』とも言ふ。諺の意は、貧乏でありながら桜の花見などする事。又、貧乏の頂上。」とある。
23:底本語釈に、「〇大豆(をゝまめ) 大豆(おほまめ)をの意。米屋は大抵大豆(だいづ)などをも商ふものである。」「〇粉(こ)にくだき 米屋は種々の粉類も商つた。大豆も粉も『米見せ』の縁である。」とある。
24:底本語釈に、「〇小(せう)の晦日(つごもり) その月が二十九日で終はる月。陰暦では、大は三十日の月、小は二十九日の月であつた。」「〇物前 ものまへ。物日前(ものびまへ)の略。物日は、ここは五節句などの祝日祭日などを言ふ。」「〇下機(ばた) しもばた。大和国以外の国に於いて木綿、麻布等を織る機を言ふ。機の高さが低い。上機(かみばた)の対。」とある。
25:底本語釈に、「〇禁中熊手(きんちうくまで) 禁中の溝水(みかはみづ)などを浚へる熊手と同じ形の熊手であらう。」「〇五徳(とく) 三脚或いは四脚ある鉄輪。火鉢や炉に立てる。」とある。
26:底本語釈に、「〇取(とる)年男 年を取る事と年男とを言ひ掛けた。ここは只引き出しただけ。年を取る男となれるのにの意。」とある。
27:底本語釈に、「〇公事(くじ)たくみ くじだくみ。刑事問題にしようと企む事。公事訴訟など続けて言ふ事があるが、公事は刑事、訴訟は民事に使つた。」「〇うすき唇(くちびる) 多弁な意。」とある。
28:底本語釈に、「〇御三寸(みき) 大御酒(おみき)の義。酒を三寸と書くのは、酒を呑めば風邪を三寸去るといふ思想に基づく。」「〇かみのかたき 頭(かみ)の堅き。健康な事。」「〇冬中(ふゆぢう)は 布子は、冬が過ぎれば脱いで質に置き、又冬になれば請け出すのだが、それができないで、十七、八年も冬の間は質屋にあると言ふのである。」とある。
29:底本語釈に、「〇壱匁六分数(かず)ひとつ 一匁六分(ふん)の目方のある小玉銀(こだまぎん)一個。小玉銀は豆板銀とも言ひ、当時の銀貨の一種。大小軽重があつて一様でなかつたから、天秤で秤つて合計何匁、数で何個と調べて請け払ひした。」「〇つきの悪(わる)き銀(かね) 色あひの悪い銀貨。品質の悪い銀貨。」とある。
30:底本語釈に、「〇薄雪(うすゆき) 薄雪物語。仮名草子の一つ。寛永元年刊。当時愛読されたもの。」とある。
31:底本語釈に、「〇俵米(たはらこめ) たはらごめ。俵に入れた玄米。普通の米小売商は、店庭に碓を据ゑて白米の量り売りをしたので、搗米屋(つきごめや)と称した。中流以上の家では、俵米を何俵か買ひ込んで、下男などに搗かせた。」「〇置替(をきがへ) 語義は、俵米を置き替へる事であらう。あらかじめ俵米代銀請け払ひの期限を定めて俵米を渡し、その期限に代銀を請け取ると共に、新たに又、俵米を渡す約束をするのであらう。」とある。
32:底本語釈に、「〇碓(からうす) 踏臼(ふみうす)とも言ふ。」「〇釣掛升(つるかけます) 釣を掛けてある一升枡。釣(弦)は鉄の三角棒で、桝の一隅から反対の一隅に掛け渡してある。」とある。
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