第二 見立てて養子が利発

 和国の商ひ口とて「利徳を取らぬ。」と空誓文を立つれば、これに気を許し、何によらず買ひ求むる世の習はしなり。神田の明神の前に俗姓歴々の浪人、身を隠して、年も家に杖つく頃なれば、さのみ主取りの望みもなく、小者一人使うて、一代の貯へありて世をなりはひに暮らし、ただ居を外よりの咎めをうたてく、瀬戸物見せかけばかり出し置き、値段問ふ{*1}者あれば、百の物を百とありのままに言ひければ、これを値切れど負けず。そもそもより摺鉢九つ、肴鉢十三、皿四十五枚、天目二十、徳利七つ、油さし二つ、三年余りに一つも売れず。これを思ふに商ひ上手はあるべき事なり。
 年中の誓文を、十月二十日の夷講にさらりとしまふ事あり。その日は諸商人、万事をやめて、我が分限に応じ色々魚鳥を調へ、一家集まりて酒酌み交はし、亭主作り機嫌に、下々勇みて小歌、浄瑠璃。江戸中の寺社、芝居その外、遊山所の繁昌なり。上方と違ひし事は、白銀は見えず、一歩の花を降らせける。秤いらずにこれ程よき物はなし。人皆大腹中にして、諸事買ひ物、大名風にやつて見事なる所あり。
 今日の夷講は、万人、魚を買ひはやらかし、自然と海も荒れて常より生物を切らし、殊に鯛の事、一枚の代金一両二歩づつ。しかも尾頭にて一尺二、三寸の中鯛なり。これを町人の分として内証料理に使ふ事、今お江戸に住む商人なればこそ喰ひはすれ。京の室町にて鯛一枚を二匁四、五分にて買ひ取り、五つに分けて杠秤にかけて取るなど、これに見合せ都の事可笑し。
 ここに、通り町中橋のほとりに銭店出して、若い者あまた使へる人あり。日頃は始末第一の人なれど、一両二歩の鯛を調へて夷の祝儀を渡しけるに、いづれも何心もなう夕飯を祝ひぬ。大勢の若い者の中に、この程、伊勢の山田の者とて、十年切つて抱へたる十四になる小者、坐りし膳を二、三度戴き、飯くはぬ先に十露盤置いて、「御江戸へ来りて奉公を致せばこそ、かかる活計にあふ事よ。」と一人つぶやきてこれを喜ぶ風情、主人の目にかかりて、子細を尋ねられしに、「されば、今日の鯛の焼き物、一両二歩にて背切り十一なれば、一切れの価七匁九分八厘づつに当たるなり。小判は五十八匁五分の相場に仕る。算用してからは、銀を{*2}噛むやうなるものなり。塩鯛、干鯛も昔は生なれば、祝ふ心は同じ事。今日の腹も常に変はらぬ事。」と申せば、亭主、横手を打つて、「さりとは利発者。分別盛りの手代どもさへ何の弁へも無く、箸は右の手に持つ物とばかり心得て、主の恩をも知らざるに、いまだ若年にして物の道理を知る事、天理に叶ふべき者なり。」と、親類中を呼び寄せ、段々物語りして、「この者を養子分にして、我が家を譲るべし。」と一筋に夫婦ともに思ひ入りて、伊勢の親元へ相談の人遣はしける時、小者、その中へ罷り出、「いまだお馴染みもなき内に御心入れの程は、忝し。然れども、国元への御使は御無用なり。首尾せぬ時は、それ程の費えなり。殊に御内証の事、世は張り物なれば、手廻しばかりにて大分の借金のあるも存ぜず。よくよく見届け申さぬ内に養子の契約は成り難し。」と申せば、なほこの言ひ分を感じ、「その方が心もとなき事、尤もなり。さりながら、一銭も人の物を借らず。」と毎年の勘定帳を見せければ、「有り金二千八百両。」と知らせ、「この外金子百両、女房後々寺参り金に、この五年前に除けて置きける。」と、包みながら封じ目に年号月日書き付け置きぬ。
 小者、これを見て、「さてもさても商ひ下手なり。包み置きたる金子は、一両も多くは{*3}なるまじ。利発なる小判を長櫃の底に入れ置き、年久しく世間を見せ給はぬは、商人の気質にあらず。この心から大分限になり給はず。頭のはげるまでこの御江戸に居ながら、やうやう三千両の身代、これを大きなる顔つきあそばしける。私養子になさるるからは、四、五年の内に江戸三番ぎりの両替になる事、長生きして見給へ。まづ夫婦衆は、今日より毎日、談義ある寺参りし給ひ、その下向に納所坊主に近寄り、散銭ある程買ひ給へ。世帯、仏法、二つの徳あり。」「供の丁稚は、道の間の外聞なれば、浮世山椒を受けて小袋に入れ行き、法談始まらぬ先に、諸人の眠りさましにこれを売るべし。さて又、供連れぬ参り衆の笠、杖、草履を、談義果つるまで一銭づつにて預かれ。」と言ひ遣はしけるに、毎日銭儲けして主人の供も勤めける。
 かくの如く万事に気を付け、後には思ひの外なる智恵を出して、舟着きの自由させる行水舟を拵へ、刻み昆布して目に掛けて売り出し、ちやん塗りの油土器、しぼ紙の煙草入、外の人のせぬ事に、十五年たたぬ内に三万両の分限になつて、霊巌嶋に隠居して二人の養ひ親に孝を尽くしける。いかに繁昌の所なればとて、常の働きにて長者には成り難し。
 三文字屋と言へる人、昔、懐中合羽を仕出し、それより馬道具の仕込み次第に栄えて、本朝の織絹、唐物を調へ、毛類は猩々緋の百間続き、虎の皮千枚にても、黄羅紗、紫羅紗、都にもない物を持ち丸長者と沙汰せられ、中橋に九つ蔵とて隠れなし。これらは格別の一代分限、親より譲りなくては、すぐれて富貴には成り難し。
 京の室町、歴々人の息子、何も商売なしに善五郎などを頼み、大分の銀貸して世を渡り、この利銀毎日二百三十五匁づつの積もりに入りけるに、何用にか使ひ果たしける、十五年が内にこの財宝皆になし、江戸へ稼ぎに下りける。この男の器用さ、謡は三百五十番覚え、碁二つと申し、鞠は紫腰を許され、楊弓は金書ぐらゐ、小歌は本手の名人、浄瑠璃は山本角太夫と語り比べ、茶の湯は利休が流れを汲み、文作には神楽、願斎も裸足で逃げ、枕返しなどは古伝内に横手を打たせ、連俳も当流の行き方を覚え、香をきく事、京にも並びなし。人中にて長口上も言ひかねず、目安も自筆に書きかねず。何に一つ暗からねど、身過ぎの大事を知らず。
 当てどもなく江戸に下りて奉公するに、「銀見るか、算用か。」と言へば、さし当たつて口惜しく、諸芸この時の用に立たず。再び京都に上りて、「とかく住み慣れし所よし。」と、年月親しみの友を頼みて、謡、鼓の指南して、やうやう身一つ暮らし、普段の不自由を、松囃子の時、質受けて、又置く事易し。「この分にて通るべきや。人間の身は煩ひあるもの。」と老い先の事案じける。「もつとも六十年は送りて、六日の事暮らし難し。これを思ふに、それぞれの家業、油断する事なかれ。」と、さる長者の語りぬ。

【口訳】
 日本の商人が商ひ口として、「全く儲けは致しませぬ。」と空誓文を立つれば、お客はこれに気を許して、何によらず買ひ求めるのが世間の習はしだ。しかるに、神田の明神の前に素性の立派な浪人が隠れて住んでゐたが、年も五十頃で家に杖つく年輩であるから{*4}、主取りの望みもなく、小者を一人使つて一生暮らすだけの貯へがあつて、渡世をなりゆきに任せて暮らしてゐたが{*5}、無為では他人の悪口がうるさくて、瀬戸物店をただ見せかけだけ出しておいて、値段を問ふ者があれば、百文の物を百とありのままに言ふので、これを値切るけれど負けない。初めから摺鉢九つ、肴鉢十三、皿四十五枚、天目二十、徳利七つ、油さし二つ並べておいたのだが、三年余りになつても一つも売れない。これを思ふに、商ひ上手は必要な事だ。
 一年中の空誓文を十月二十日の夷講にさらりと祓つて済ます事がある{*6}。その日は諸商人が万事を休んで、我が身代に応じて色々の魚鳥を買ひ調へ、一家の者が集まつて酒を酌み交はし、主人はことさら上機嫌に見せるので、召し使ひどもも勇み立ち、小歌、浄瑠璃を口ずさんだりする。又、江戸中の寺社、芝居その外、遊び場所が繁昌する。上方と違つてゐる事は、江戸では銀貨が見えないで、一歩金の花を降らせるのであつた。秤がいらずにこれ程便利な物はない{*7}。江戸の人は皆、気が大きくて、諸事につけ買ひ物も大名風にやつて、気前の立派な点がある。
 今日の夷講は、万人が争つて魚を買ふのであるが、しかも海も荒れて、平生よりは自然と生魚が払底したので、殊に鯛の事と言へば、一尾の代金が一両二歩づつで、しかも尾頭で一尺二、三寸の中鯛である。これを町人の身分として家庭の料理に使ふ事は、今お江戸に住む商人なればこそ食べもするのだ。京の室町などでは、鯛一尾を二匁四、五分で買ひ取つて、これを五切れに分けて、その上、扛秤にかけて取るなど{*8}、江戸に見比べると都の事は可笑しい。
 ここに、通り町中橋の辺に銭店を出して、若い者をあまた使つてゐる人がある。日頃は倹約第一の人であるが、今日は一両二歩の鯛を買ひ調へて、夷の祝儀を一切れづつ配つたが、皆々、何心もなく夕飯を祝つた。しかるに、大勢の若い者の中に、この間、伊勢の山田の者とて、十年の年季で抱へた十四になる小者がゐたが、据はつた膳を二、三度戴き、飯食はぬ先に算盤の玉を弾いて、「御江戸へ来て奉公を致せばこそ、かやうな御馳走にあふ事よ。」と一人つぶやいて、これを喜ぶ風情である。これが主人の目にとまつて、そのわけを尋ねられたところが、「さればでござります。今日の鯛の焼き物は一両二歩で、背切りが十一でござりますから、一切れの値段が七匁九分八厘づつに当たります{*9}。小判一両は銀五十八匁五分の相場に仕りました。かやうに算用してみますれば、銀を噛むやうなものでござります。塩鯛、干鯛も元は生でござりますから、祝ふ心は同じ事。それに又、今日これを頂いたおなかの具合も日頃のおなかと変はらぬわけでござります。」と申すので、亭主は横手を打つて頷き、「かくまで考へるとは利発者ぢや。分別盛りの手代どもでさへ何の思慮も無く、箸は右の手に持つ物とばかり当然と心得て、主の恩をも知らないのに、まだ年若いのに物の道理を知つてゐるのは、天道に叶ふと言ふものだ。」と言つて、親類中を呼び寄せ、段々この話をして、「この者を養子分にして、我が家を譲る事にしよう。」と夫婦共に一途に思ひ込んで、伊勢の親元へ相談の人を遣はさうとしたその時、小僧はその中へ罷り出て、「まだお馴染みもない内に、かくまで信じて下さる事は、忝うございます。けれども、国元への御使は御無用でございます。もし相談がまとまらぬ時は、それだけの費用損でござります。殊に御身代の事につきましては、世話に『世は張り物。』と申しますから、金銀の手廻しがうまいばかりで{*10}、大分の借金があるかもわかりませぬ。御内情をよくよく見届け申さぬ内に、養子の契約はできませぬ。」と申すので、なほ一層この言ひ分を感じ、「その方が気づかふのは尤もだ。しかしながら、一文も人の物を借りた事はない。」と言つて、毎年の勘定帳を見せて、現金二千八百両ある事を知らせ、「この外に金子百両これにあるが、これは女房の後々の寺参り金として、この五年前に取り除けてあるのだ。」と言つて、包みのまま封じ目に年号月日を書き付けておいたのを示した。
 小僧はこれを見て、「さても商ひ下手な。包んで置く金子は、一両も多くはなりますまい。利発な小判を長櫃の底に入れて置いて{*11}、幾年も世間をお見せあそばさぬのは、商人の気風とは言へませぬ。こんなお心だから、大分限におなりなさらぬ。頭のはげるまでこの御江戸に住みながら、やつと三千両の身代になり、これで大きな顔つきをしていらつしやる。私を養子になさるからは、四、五年の内に江戸三番ぎりの両替屋になつて見せますから、長生きして御覧あそばせ。まづ御夫婦は、今日から毎日、談義のある寺にお参りあそばし、その帰りに納所坊主に近づき、散銭をある程お買ひあそばせ。すれば、世帯、仏法、どちらも徳があります{*12}。」と言つて、お寺参りの供に対しては、「お供の丁稚は途中の体裁の為だから、浮世山椒を買ひ受けて小袋に入れて行き{*13}、法談の始まらぬ先に、人々の眠りさましにこれを売るがよい。さて又、お供を連れない参詣者の笠、杖、草履を、談義の終はるまで一文づつで預かれ。」と言ひ遣はしたところが、毎日銭儲けして、主人のお供をも勤めた。
 かくの如く万事に気を付け、後には意外な智恵を出して、舟着きの船頭どもの便利を図る行水舟を工夫し、或いは刻み昆布を作つて秤に懸けて売り出し、或いはちやん塗りの油かはらけや絞り紙の煙草入れを作り出し{*14}、他人の手をつけない事で、十五年たたぬ内に三万両の分限になり、霊巌嶋に隠居して二人の養ひ親に孝を尽くした。いかに繁昌な所だからと言つて、平凡な働きでは長者には成れない。
 三文字屋といふ人が昔、懐中合羽を新たに作り出したが、それから馬道具を仕込んで次第に繁昌し、我が国の絹織物、唐織物を仕入れ、毛類は猩々緋の百間続き、虎の皮の千枚でも切らす事が無く、黄羅紗、紫羅紗など都にもない物を持ち、持ち丸長者と評判され{*15}、中橋にある九つ蔵と言はれて有名だ。これらは格別の一代分限者であつて、大抵は親の遺産が無くては、ずぬけて富貴な人には成れないものだ。
 京の室町の或る分限者の息子が、何も商売しないで、両替屋善五郎などを頼み、大分の銀貸しをして渡世し、この利銀、毎日二百三十五匁づつ{*16}の勘定で収入があつたが、いかやうに使ひ果たしたのか、十五年の内にこの財産を皆無になし、江戸に稼ぎに下つた。この男の器用さと言つたら、謡は三百五十番覚え、碁は名人に二つと申して打ち、鞠は紫の袴を許され、楊弓は金書ぐらゐ、小歌は本手の名人、浄瑠璃は山本角太夫と語り比べ、茶道は利休の流儀を伝へ、文作には神楽、願斎も裸足で逃げ、枕返しなどは古伝内に横手を打つて感心させ{*17}、連歌俳諧も当世の作風を覚え、香をきく事は京にも及ぶ者がない。人中で長口上も言ひかねず、訴状も自筆で書きかねず、何一つとして堪能でない事はないのだけれども、渡世のわざといふ大切な事を知らない。
 当てにするところも無く江戸に下つて奉公をしようとすると、「銀の見分けができるか。それとも算盤が置けるか。」と問はれ、今更に口惜しく、諸芸もこの時の役には立たない。再び京都に上つて、「とかく住み慣れた所がよい。」と、年頃親しくしてゐた友人に頼んで、謡や鼓の指南して、やつと身一つを暮らしたが、普段は不自由してゐるのを、松囃子の時に質受けて間に合はせたが{*18}、又、済めば質置くといふ手軽さである。だが、「かやうな有様で通せるだらうか。人間の身は病気する事があるものを。」と、老後の事を心配するのであつた。尤も、世話に言ふ如く、六十年は送り得ても、六日の事が暮らし難いものだ{*19}。「これを思ふに、めいめいの家業を油断してはならない。」と或る長者が語つた。

【批評】
 本編の主人公の小者の利発は、およそ四段となつて描かれてゐる。第一段は、鯛の一片の値段を計算して主人を諌める條、第二段は、養子に見立てられようとして、資産を見届けぬ内は契約できぬと言ふ條、第三段は、長櫃の底に遊ばせてゐる金子の活用を説く條、第四段は、浮世山椒、行水舟、絞り紙の煙草入れなどの新案である。一段は一段より奇いよいよ出でて、いよいよ利発。巧みに読者の好奇心を引きずつて行く漸層的構想は、本書中、特に光つてゐる。
 分量の上から観れば、主題の話が五割強に過ぎないにもかかはらず、本篇中、この主題が最も興味のある所で、又、作品としての価値のある所である。作者が主題から往々脱線して、副題とも言ふべき話にかへつて読者の興味を集中する事のあるのに比ぶれば、本篇の如きは、「見立て養子が利発」といふ題目をしつかりと掴んでゐるものと言へよう。

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校訂者注
 1:底本は、「ねだんといふ」。底本口訳及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 2:底本は、「銀ををかむ」。底本語釈及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 3:底本は、「おほくなるまじ」。『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
 4:底本語釈に、「〇家に杖(つへ)つく比(ころ) 五十歳の頃。礼記王制第五『五十杖於家。』」とある。
 5:底本語釈に、「〇なりはひ なりあひと同じ意に使つてゐる。なるがままに任せる事。」とある。
 6:底本語釈に、「〇誓(せい)文 誓文祓(せいもんばらひ)。誓文は即ち、前にある空誓文で、日頃お客を欺いた罪を、商ひの神である夷三郎殿を祭つて罪を祓ひ、神罰を免れようとするのである。」「〇しまふ 誓文をしまふ。即ち年中空誓文をなした罪を祓ふ事。」とある。
 7:底本語釈に、「〇秤(はかり)いらず 銀貨、殊に最も多く通用する豆板銀などは、一箇の重量が相違するので、秤にかけて請け払ひをするが、金貨即ち一歩金でも小判でも、重量が一定してゐるから、秤にかける要がなかつた。」とある。
 8:底本語釈に、「〇室(むろ)町 京室町には富商が多かつた。それでさへつづまやかであつた。」「〇杠秤(ちぎ) 扛秤。衡器の一種。」とある。
 9:底本語釈に、「〇十一 十一としたのは作者の深慮である。割り切れ難い十一として、この小者が算用にもたけた利発さを示さうとしたのである。」「〇七匁九分八りん 金一歩は一両の四分の一だから、一両二歩は一両半となる。小判一両は銀五十八匁五分とあるから、これに一・五をかけ十一で割る。」とある。
 10:底本語釈に、「〇世ははり物 諺。」「〇手まはし ここは、金銀の融通。」とある。
 11:底本語釈に、「〇利発(はつ)なる小判 小判は使ひ方によつて増える事を指す。」とある。
 12:底本語釈に、「〇散銭(さんせん) 賽銭。」「〇買(かい)給へ 金銀貨を銭に切り替へる事を、銭を買ふと言ふ。小判を以て寺の散銭と替へるのである。」「〇世帯仏法ふたつのとくあり 世帯仏法といふ諺は、仏法も衣食の為のものといふ意味であるけれども、ここは、世帯にも仏法にも両方ともに益があるといふ意に利用した。仏法にも徳があるといふのは、寺でも沢山の銭ばかりでは取り扱ひに不便であるから、小判に替へておけば蔵しておくのにも都合がよく、寺に徳する事は即ち仏法に徳あるわけである。」とある。
 13:底本語釈に、「〇浮(うき)世山桝(せう) 浮世山椒(ざんしよう) 昆布などに巻いた山椒で、朝倉山椒の類であらう。浮世は当世の意で、当世売り出しのといふ意。」とある。
 14:底本語釈に、「〇行水(きやうすい)舟 ぎやうずゐぶね。行水の設備をした舟。」「〇ちやんぬり 当時のちやんは、桐油に松脂を加へて練つたもの。」「〇油かはらけ 立身大福帳(元禄十六年刊)巻六『油土器 下直にても、土がはらけ、大分損なり。すこしづゝと思へど、油のへり夥し。てつがはらけの内を朱ぬりにしたる、徳なり。油もへらず、さうぢも仕よく、朱のうつりにて光よし。』」「〇しぼかみ 絞紙(しぼがみ)。紙を絞つて皺を寄せたもの。」とある。
 15:底本語釈に、「〇馬(ば)道具 馬(うま)合羽の事。旅人が馬上で着る物で、袖が無く、丈が長く、その裳は馬背の荷包を覆ふ。」「〇猩々緋(しやう(二字以上の繰り返し記号)ひ) ここは虎の皮と並べてゐるから、猩々の赤い毛皮をも意味してゐると思はれるが、猩々緋は赤羅紗の事を言ふ。」「〇もちまる長者(しや) 『もち』は上にも下にも言ひ掛けた。もちまるは持丸で、金銀を多く所有する事。『まる』は金銀銭の隠語。」とある。
 16:底本は、「匁つづの」。
 17:底本語釈に、「〇三百五十番 全部の曲といふ事。」「〇棊(こ)二つと申 棊(ご)二つと申し。棊は碁に同じ。名人に対して二つ置く、即ち五段の資格があると申すのであらう。」「〇金書(かき)くらゐ かながきぐらゐ。金書は、矢二百本の内、百五十一本以上を的に当てた場合で、最も上手な事である。金銀を以て矢数と名乗りとを嵌入するのを金書(かながい)と称した。」「〇本手 ほんて。本手組。三味線の本格の曲。端手(はで)の対。」「〇文作(さく) もんさく。酒宴などの座興として、即座に滑稽な文句を作る事。」「〇枕がへし 一種の曲芸。木枕を幾つも積み重ねて手に捧げ、その中から任意の木枕を急に抜き去りなどする芸。」「〇いにしへ伝内 延宝天和貞享頃、江戸堺町芝居の座元で、京から下つて来た放下師。」とある。
 18:底本語釈に、「〇不断の不自由(しゆう) 平生は礼服(裃)などを質入れして不自由な事。」「〇松はやし 松ばやし。正月の謡初(ぞめ)。はやしは、謡の他に舞囃をも演ずる事。正月三日に公家、武家、民間共に行はれた。」とある。
 19:底本語釈に、「〇六十年はおくりて六日の事くらしがたし 諺。生きるだけならば、六十年の間生き長らへる事ができても、世間体を保つには、僅か六日の間も暮らし難いの意。」とある。