第三 買ひ置きは世の心安い時
毎年元日に書き置きして、四十以後死を弁へ、正直に世渡りするに自然と分限になつて、泉州堺に小刀屋とて長崎商人あり。
この津は長者の隠れ里、根の知れぬ大金持ち、その数を知らず。殊更名物の諸道具、唐物、唐織、先祖より五代この方買ひ置きして、内蔵に納め置く人もあり。又、寛永年中より年々取り込み、金銀今に一度も出さぬ人もあり。又、内儀十四の嫁入りして敷銀五十貫目、その時の箱入り封のまま重ね置き、その娘、縁に付く時、これを持たせて送りける人もあり。 外よりは細かにして内証手広き所習ひ、この歴々に立ち並ぶ分限にはあらねど、そもそもの書き置きは三貫五百目なりしが、二十五年が内に一人の利発にして仕出し、年々書き置き嵩みて、既に限りの時八百五十貫目の有り銀、一子に渡しける。
この人、世間によく思はれ、分限になる初めは、その頃唐船数々入りて、糸、綿下直になりて、上々吉の緋綸子一巻十八匁五分づつに当たれり。「前後、かやうの事は又あるまじき。」と思ひ入り、懇ろなる友に商ひの望みを語りて、一人より銀五貫目づつ、十人より五十貫目借りて、この綸子を買ひ置きけるに、その明けの年、大分の利を得て三十五貫目儲け、喜びの折節、只一人の息子、万事限りに煩ひける。
身代に代へて養生するに、験気なく、さまざま心を尽くし歎く内に、人の語りけるは、「歩行医者ながら療治よくせらるる。」とて引き合はされ、危なき病人を十のもの七つばかりも仕立て、「この上、はかばかしからぬ。」とて、一門の相談にて名医に替へてみしに、めためたと悪しくなり、死病に極まる時、夫婦、最前の医師を念に思ひ、挨拶せし人に面目顧みず頼み、今は世にないものにして又薬を与へ、半年余りに鬼の如く達者になし給ひ、この手柄隠れなし。
親の身にして嬉しさの余りに、かの医者取次の方へ行き、「今日吉日なれば、薬代を冥加の為に遣はしたし。こなたより頼む。」とあれば、取次せし夫婦、この事を沙汰して、「これから遣はせとは、一かどの礼銀五枚。」と指図すれば、内儀の曰く、「それは何として。銀三枚。」と論ずる後に、まづ銀百枚。真綿二十把、斗樽一荷に箱魚。思ひの外なる薬代。医師も再三の斟酌、取次の人も力を添へ、銀百枚貸してこの医者に家屋敷を求めさせ、次第にはやり出、程なく乗り物に乗られける。
申せば僅かの事ながら、四十貫目に足らぬ身代にて銀百枚の薬代せしは、堺始まつて町人には無い事なり。この気、大分仕出し、家栄えしとなり。
【口訳】
毎年元日に遺言状を書いて、四十以後いつ死んでも差し支へないやうに覚悟して、正直に渡世する内に、自然と分限者になつて、泉州堺に住んでゐる小刀屋と言ふ長崎商人があつた{*1}。
この港は長者の隠れ里とも言ふべく、底の知れない大金持ちが無数にある。殊に名物の諸道具{*2}、唐物、唐織などを、先祖から五代この方、買ひ置きして内蔵に納め置く人もある。又、寛永年中から毎年金銀を取り込むばかりで、今に至るまで一度もこれを出さない人もある。又、内儀が十四で嫁入りして来た時、持参銀五十貫目あつたが、その時の箱入りを封じたまま重ねて置いて、その娘が縁付く時、これを持たせて送つた人もある。よそよりは算用細かで、しかも生計は手広くしてゐるのがこの土地の習ひだ{*3}。
この歴々に立ち並ぶ程の分限ではないが、初めの遺言状には遺産が銀三貫五百目であつたが、その後二十五年が間に、自分一人の利発で儲け出し、年々遺言状の銀高が増えて、既に最後となつた時、八百五十貫目の現銀を一子に譲り渡した。
この人は世間に評判がよかつたが、分限になる初めは、かうだ。その頃、唐船が多く長崎に入港して、糸、綿が安価になり、極上の緋綸子一巻が十八匁五分づつに当たつた{*4}。「前後に、かやうに安い事は又とあるまい。」と思ひ込んで、親しい友に商ひの志望を語つて、一人から銀五貫目づつ、十人から都合五十貫目借りて、この綸子を買ひ置きしてゐたところが、その翌年、大分の利を得て三十五貫目儲け、喜んでゐる時、只一人の息子が「万事最後。」といふ程に病気した。
「財産に代へても。」と思つて養生するが、効験が見えず、さまざま苦心して歎いてゐる内に、或る人が話すには、「かち医者ではあるが{*5}、療治を上手になされる。」と言つて紹介してくれたので、かかつたが、その医者はこの危ない病人を七分通りまでも治した。だが、「これ以上が、はかばかしくない。」と言つて、一門相談の上で名医に替へてみたところが、ずんずん悪くなつて死病に極まつた。この時夫婦は、最前のかち医者を「念の為に。」と思つて、世話してくれた人に不面目を顧みず頼み、又、かの医者にかかつた。「今は世にない者。」と諦めて、又薬を与へてゐたところが、半年余りの内に病人を鬼のやうに達者にして下さつたので、この手柄が世間に有名となつた。
親の身として嬉しさの余りに、かの医者を紹介した人の家に行き、「今日は吉日だから、報謝の為に薬代{*6}を差し上げたい{*7}。あなたの方から御取り計らひを頼みます。」と言つたので、紹介した夫婦はこの礼銀について色々噂して、「吾々夫婦の手から渡してくれとあるからは、相当の礼銀に違ひない。まづ五枚は確かだ{*8}。」と主人が推測すれば、細君が言ふ。「そんなにあるものですか。まあ銀三枚ぐらゐ。」と口論をした後に、調べて受け取つて見れば、まづ丁銀が百枚だ。その外に真綿二十把、斗樽一荷に箱魚が添へてある{*9}。思ひの外の薬代であつた。これを医者に持参すると、医者も再三辞退した。それで紹介した人も、「是非に。」と勧め、強ひて銀百枚貸した事にして、この医者に家屋敷を買ひ求めさせた。その後、この医者は次第にはやり出し、程なく駕籠に乗る身分となられた。
口で申せば僅かの銀だが、四十貫目に足らぬ身代でありながら銀百枚の薬代を払つたのは、堺始まつて以来、町人には無い事だ。この大気から大分儲け出し、家が繁昌したと言ふ事だ。
【批評】
本篇は、主人公小刀屋の儲け話には、何ら奇抜な事も無く、一人息子の病気の時、かち医者にかかつた話の方が、本篇の主眼となつてゐる。家庭の病人について医者を取り替へる話は、人間の心理がよく捉えられてゐる。しかし、これは「可笑記」に着想を得てゐる。
作者が実際に狙つた点は、堺商人の気質である。即ち、四十貫目に足らぬ身代で、丁銀百枚の薬代を包んだ事である。堺商人の大腹中な気風を述べて、倹約な風俗の中に、又、豪華な気質のある事が、銀百枚の薬代となつて現れてゐると見てよからう。
「可笑記」(寛永十九年刊)巻四「大事のわづらひが過半平癒するに、薬代を惜しまずやりて……やがてわづらひ再発して、苦しみに堪へかね死ぬべき時には、右の無沙汰恥辱をも顧みず、又、例の医者を頼み……」。西鶴には「新可笑記」の著がある。
校訂者注
1:底本語釈に、「〇四十以後(いこ) 男子は四十歳以後(ご)、血気が衰へ始める。」「〇長崎商人 長崎あきんど。長崎から輸入される舶来品を仕入れて商ふ者。」とある。
2:底本語釈に、「〇名物(ふつ)の諸道具 堺は茶人が住んでゐたので、名物の中でも殊に茶器が多い。」とある。
3:底本語釈に、「〇手広(ひろ)き 手びろき。名物などの買ひ置きを指す。」とある。
4:底本語釈に、「〇糸綿(いとわた) 糸と綿。糸は絹糸で、主として白色のが輸入された。」「〇下直(げちき) げぢき。安い値段。」「〇上々吉 最上等。」「〇緋りんず 緋色の綸子。絹地紋織の一種。」「〇一巻(まき) 一疋。」「〇拾八匁五分 銀十八匁五分(ふん)。」とある。
5:底本語釈に、「〇げんき 験気。効験。」「〇歩行医者(かちいしや) 乗り物に乗らず徒歩で回診する医師。格の低い医者。相当の医者は駕籠に乗るのが風習であつた。」とある。
6:底本は、「楽代」。底本本文に従い改めた。
7:底本語釈に、「〇みやうが 冥加。ここは報謝。冥加は神仏の加護。」とある。
8:底本語釈に、「〇五枚(まい) 丁銀五枚。丁銀は何枚と数へ、豆板銀はいくつと数へた。」とある。
9:底本語釈に、「〇銀百枚 丁銀百枚。約四貫三百目。」「〇斗樽(とたる) とだる。桶にかがみを取り付けた如き形の樽。斗樽といふ名は、一斗桝を斗桝と言ふ類であらう。」「〇壱荷 二樽。」「〇箱肴(はこさかな) はこざかな。箱に入れた魚。魚の下には檜の葉などを敷く。当時、祝儀用に使つた。」とある。
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