第五 智恵を量る八十八の舛掻{*1}
世界の広き事、今思ひ当たれり。「よろづの商ひ事がない。」とて我人、年々悔む事、およそ四十五年なり。「世の詰まりたる。」と言ふ内に、丸裸にて取り付き、歴々に仕出しける人、あまたあり。米一石を十四匁五分の時も、乞食はあるぞかし。
つらつら人の内証を見るに、その家それぞれに諸道具を次第に拵へ、昔よりはおしなべて、物事、十分になりぬ。尤も、家を破る人もあれど、家整へる人まされり。そのためしは、京に限らず江戸、大坂の端々、空き地、野原まで少しの空きども無く人家に立ち続き、何して世を渡るとも見えねど、五人、三人の子供に正月着る物綿入れて、盆は踊り浴衣も拵へ、端鹿子の後ろ帯、一しほ見よげなり。
亭主は日用取り、或いは釣瓶縄屋、又は童すかしの猿松の風車をするなど、やうやう一日に丸取りにしてから三十七、八文、四十五、六文、五十までの仕事するかせぬ内にて、四、五人口を過ぎて、いづれも身の寒からぬは、これ皆、母の働きなり。同じ五人口にて一日に三匁五分づつ入るもあり。又は六匁づつ入るもあり。世帯の仕方ほど格別に違ふものは無し。人の渡世は様々に変はれり。やうやう夫婦の共過ぎしかねるもあれば、一人の働きにて大勢を過ごすは、町人にても大方ならぬ出世、その身の発明なる徳なり。
一切の人間、目あり、鼻あり、手足も変はらず生まれ付きて、貴人、高人、よろづの芸者は格別、常の町人、金銀の有徳ゆゑ世上に名を知らるる事。これを思へば、若き時より稼ぎて、分限のその名を世に残さぬは口惜し。俗姓、筋目にも構はず、只金銀が町人の氏系図になるぞかし。たとへば大織冠の系あるにしてから、町屋住まひの身は、貧なれば猿廻しの身には劣りなり。とかく大福を願ひ、長者となる事肝要なり。
その心、山の如くにして、分限はよき手代ある事、第一なり。難波の津にも、江戸酒造り始めて一門栄ゆるもあり。又{*2}、銅山にかかりて俄分限になるもあり。吉野漆屋して、人の知らぬ埋づみ金ある人もあれば、小早作り出して舟問屋に名を取るもあり。家質の銀貸しして富貴になるもあり。鉄山の請け山して次第分限の人もあり。これらは近代の出来商人、三十年この方の仕出しなり。人の住み家も三ケの津に極まれり。遠国に分限あまたあれど、その沙汰せざる人多し。
尤も、都の長者は金銀の外、世の宝となる諸道具を持ち伝へたり。亀屋と言へる家の茶入一つを銀三百貫目に糸屋へ貰ふ事あり。二十万両の差し引きを年賦にて済ます両替屋もあり。とかく都の沙汰は、外にて成り難し。昔の長者絶ゆれば新長者の見え渡り、繁昌は次第まさりなり。人は、堅固にてその分際相応に世を渡るは、大福長者にもなほ勝りぬ。家栄えても家継ぎなく、又は夫妻に離れあひ、物事不足なる事は、世の習ひなり。
ここに、京の北山の里、隠れもなき三夫婦とて人の羨む人あり。そもそも祖父祖母無事にして、その子に嫁を取り、又この孫、成人して嫁を呼び、同じ家に夫婦三組、しかも幼馴染にて語らひをなしける事、ためしもなき仕合せなり。この親仁八十八、その連れ合ひ八十一。息子五十七、その女房四十九。この子二十六、女は十八。一生少しの煩ひなく、殊更いづれも挨拶よく、その上身代も、百姓の願ひのままに田畠牛馬、男女の召使者、棟を並べ、作り取り同然の世の中。よろづを心に任せ、神を祭り仏を信心深く、おのづからその徳備はりて、八十八歳の年の初めに誰か言ひ出して舛掻を切らせけるに、素直なる竹の林も切り絶ゆるばかり、京都の諸商人、これを望みけるに、商売に仕合せあつて、いよいよもて囃して、「三夫婦の升掻。」とて、俵物量るにこぼれ幸ひあり。上京の長者、この舛掻にて白銀を量り分けて、三人の子供に渡しけるとなり。
「金銀、ある所にはある物語、聞き伝へて日本大福帳に記し、末久しく、これを見る人の為にも成りぬべし。」と永代蔵にをさまる時津御国、静かなり。
【口訳】
世間の広い事が、今思ひ当たる。「全ての商ひ事がない。」と言つて、我も人も年々悔む事が、およそ四十五年になる。かやうに世間が不景気になつてゐる内にも、無一文で商ひに手を出し、立派な分限にまで稼ぎ出した人が沢山あるのだ。米が安くて一石十四匁五分する時でも、乞食はあるものだ{*3}。
つらつら人の暮らし向きを見るに、その家それぞれに諸道具を次第に拵へて、昔よりは一般に物事が十分豊かになつてゐる。尤も、中には家産を破る人もあるけれど、家を繁昌させる人の方が多い。その例には、京に限らず、江戸、大阪の場末、空き地、野原まで少しの空いた所も無く、人家になつて立ち続き、何をして渡世するとも見えないけれど、五人、三人の子供に正月着物に綿入れて着せ、盆には踊り浴衣も拵へてやり、端鹿子の帯を後ろ結びにしてゐるのなど{*4}、一段と見ばが良い。
主人は日傭取り、或いは釣瓶縄屋、又は子供騙しの猿松の風車を商ふなど{*5}、やつと一日に丸儲けにしたところで、三十七、八文{*6}、四十五、六文、五十文までの仕事をするかせぬ位のものであつて、一家四、五人生活して、誰も寒い目にあはないのは、これ皆、母の働きに依るのだ。同じ五人家族で、一日に銀三匁五分づつ入るのもある。又は六匁づつ入るのもある。一家生計の仕方ほど格別に違ふものは他に無い。人の渡世の有様は、色々に変はつてゐる。やつと夫婦の共稼ぎしかねるのもあれば、又、一人の働きで大勢を養ふのもある。これなどは、町人でも並々ならぬ出世であつて、その身の利発な徳に依るのである。
一切の人間は全て目があり鼻があり、手足も人と変はらず生まれ付いてゐて、誰も同じだが、貴人、高人、その他よろづの芸能ある者は特別として、普通の町人は、金銀を沢山持つてゐる為に世間に有名となるものである。これを思へば、若い時から稼いで、分限だといふその名を世に残さないのは遺憾だ。家柄血筋に関係なく、ただ金銀が町人にとつての氏や系図といふものだ。たとへ大織冠鎌足公の血筋を引いてゐるにしたところで{*7}、町家住まひの身は、貧乏であれば猿廻しの身にも劣るものだ。ともかくも町人は大福を願ひ、長者となる事が大切だ。
分限となるには、その心を山の如く大きく持ち、よい手代を持つ事が第一の肝要だ。難波の港にも江戸下しの酒を造り始めて、その一族の繁昌してゐるのもある。又、銅山に手を出して成金になつたのもある。吉野漆屋して、人の知らぬ大金を貯へてゐる人もあれば、小早を造り出して舟問屋として有名なのもある{*8}。家を抵当に金貸しして富貴になるのもある。鉄山を買ひ請けて次第に分限になつたのもある。これらは近代の成功した商人で、三十年以来に於ける儲け出した人々である。分限者の住み家も京、大阪、江戸の三都に極まつてゐる{*9}。遠国にも分限者は沢山あるけれど、人の噂にのぼらぬ人が多い。
尤も、都の長者は、金銀の外に世の宝となつてゐる諸道具を持ち伝へてゐる。亀屋といふ家の茶入一つを、銀三百貫目で糸屋へ買ひ請けた事がある。二十万両の清算残高を年賦で済ます両替屋もある{*10}。とかく都の評判事は大げさで、よそではできない事だ。昔からの長者が絶えれば、新長者があちこちに現れ、都の繁昌は次第にまさつて行く。人は健康にして、その分際相応に渡世するのが、大福長者にも猶まさつてゐる事だ。家が繁昌しても、跡継ぎがなかつたり、又は夫婦が互に離れあつたりするもので、物事の満足に行かないのが世の習ひだ。
ここに、京の北山の或る里に有名な三夫婦と言つて、人の羨む人がある。まづ第一に祖父祖母が達者で、その子に嫁を取り、又この孫が成人して嫁を呼び、同じ家に夫婦三組あり、しかも幼馴染で結婚した事は、ためしも無い仕合せである。この親爺が八十八、その妻が八十一、息子が五十七、その妻が四十九、この子が二十六、その妻が十八である。一生少しの病気もなく、殊更いづれも仲がよく、その上資産も、農夫の願ひの通りに田畠もあり、牛馬もあり、男女の召し使ひ者も棟を並べて抱へられ、作り取り同様{*11}、年貢御免といふ結構な生活をなし、万事思ひのままで、神を祭り仏の信心深く、自然にその徳が備はつて、八十八歳の年の初めに誰かが言ひ出して升掻を切らせたところが、真つ直ぐな竹の林も伐り絶やす程に京都の諸商人がこれを望んだが、商売に仕合せがあつていよいよもて囃し、「三夫婦の升掻。」と称して、俵物を量るに皆仕合せにあやかつた{*12}。上京の或る長者が、この升掻で銀貨を量り分けて、三人{*13}の子供に譲り渡したさうだ。金銀は、ある所には沢山あるものだ。
さて、かやうな長者の物語を色々聞き伝へて日本大福帳に書き記し{*14}、末長くこれを見る人の為にもならうと思つて、永代蔵と名付けて書き収めたが、治まる時を得た今の御国も静かで、めでたい事だ。
【批評】
本篇は、六分の五は渡世のお談義であつて、町人と生まれては、分限となつてその名を世に残すべき事を説いてゐる。家柄や筋目にも構はず、金銀を以て身を立てる事を、町人の第一義となしてゐる。そして、これが当時の町人の思想であつたのである。町人の一分は、金銀あつての一分であつた。金銀がなければ町人の面目は立たないのである。
しかし、いくら金銀があつても、「屋継」がなく、又は「夫妻に離れあひ」ては、幸福とは言へない。そこで作者は、家庭円満、無事息災、家運繁昌する一家三夫婦の例を挙げ来つたのである。仕合せで、生計が豊かで、健康である一家庭を示してゐる。即ち、福禄寿の三つを兼ね備えた一家である。
作者は、巻頭に於いて「初午は乗つて来る仕合」と題し、律儀堅固で信心深い男の致富談を述べたが、最後に於いても「亦神を祭り仏を信心深」い福人を描いてゐる。本書は、首尾にめでたい話を以て括つてゐるのは、作者の用意の存するところである。
日本永代蔵新講 終
校訂者注
1:底本語釈に、「〇智恵をはかる八十八の舛掻(ますかき) 『はかる八十八』は、量る米といふ意を含め、舛掻の縁でもある。」とある。
2:底本は、「有。銅山(あかゝね)に」。底本口訳及び『新潮日本古典集成 日本永代蔵』(1977)に従い改めた。
3:底本語釈に、「〇米一石を拾四匁五分 寛永以来、永代蔵刊行の頃までに、米一石が十四匁五分になつた例は、記録にも見当たらない。寛永以前、慶長時代には、米一石銀十五匁未満の年が多かつた。『四十五年』以前が慶長十九年で、西鶴が生まれた年であり、西鶴は自分の生まれる前頃の米相場を老人などから聞いて書いたのであらう。」とある。
4:底本語釈に、「〇後帯(うしろをび) 貞享の頃は、年若い女は後ろで帯を結ぶ者が多くなつてゐた。けれども中年以上の女は従来通り、まだ前結びが多かつたのである。」とある。
5:底本語釈に、「〇釣瓶縄(つるべなは)屋 井戸釣瓶の縄を作つて商ふ家。」「〇猿松(さるまつ) 延宝天和貞享頃、玩具の猿、風車、笛などを売り歩いた者。」「〇風車 当時は藁を束ねて台を作り、これに風車を幾つも挿して売り歩いた。」とある。
6:底本は、「三十七文」。底本本文に従い改めた。
7:底本語釈に、「〇系(つり) 血統。系図は物を吊るが如く線を画いて記すので、吊りとも言ふ。」とある。
8:底本語釈に、「〇江戸酒(えとさけ) えどざけ。大阪から江戸に廻送する酒。当時、江戸に下す酒は大阪に集まつたのである。」「〇一門さかゆるも有 鴻池氏等を指してゐる。」「〇俄(にはか)ぶけん 俄分限(ぶげん)。成金。泉屋(住友氏)等を指す。泉屋は当時、既に銅商としての富豪であつた。」「〇小早(こはや) こばや。当時は大抵、大阪から江戸へ通ふ樽廻船(たるくわいせん)の速力の速いのを賞して小早と称した。この樽廻船は、伊丹醸造の酒を主とし、その他醤油、木綿、繰り綿、金物等を積み込んだ。」とある。
9:底本語釈に、「〇三ケ(が)津 京、大阪、江戸の三大都市。津は舟着き場の意であるから、京を津と言ふのは無理なやうであるが、大阪方面から上京するには、淀川を遡つて伏見の京橋から上陸する事になつてゐたから、かく言ふ。」とある。
10:底本語釈に、「〇亀(かめ)屋 浮世物語(万治四年刊)巻一の六『亀屋の何十郎とかや、さしも都に名だかきうとく人、傾城ぐるひをいたせしが…金銀なければ直たかき道具をしろなし、つひに家を棒にふりて』。」「〇糸(いと)屋 町人考見録上、糸屋十右衛門の條『亀屋何某の味噌肩衝の茶入を判金千枚に調へ』」「〇さし引 差し引き。清算して残つた負債。」とある。
11:底本語釈に、「〇作(つく)り取(とり) つくりどり。収穫を全部自家の所得とする事。年貢御免。これは、徳行ある者などに許された。」とある。
12:底本語釈に、「〇舛掻(ますかき)を切らせ 八十八は米の字となり、米寿として祝ふので、このめでたい老人を頼んで舛掻を切らせ、幸運にあやからうとするのである。」「〇すなほなる竹の林 舛掻は当時竹製で、真つ直ぐなのが必要である。」「〇俵(ひやう)物 へうもの。俵に入れた穀物。」「〇こぼれさいわい こぼれざいはひ。僥倖。『こぼれ』は『舛掻』『俵物はかる』などの縁でもある。」とある。
13:底本は、「二人」。底本本文に従い改めた。
14:底本語釈に、「〇物かたり 物がたり。『金銀有所にはあるもの』の『もの』(感動)と、『物がたり』の『物』とを言ひ掛けた。」とある。
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