曇りは晴るる影法師
昔、都の町に、夏をむねとして軒に木曽山を引き請けし材木の問屋あり。双葉より家業に賢く、松は千歳蔵とて、鳥の孫、曽孫まで居喰ひにしても、この貯ひ尽くる世あらじ。亭主は八十歳余まで一子に財宝も渡さず、大暮の勘定を喜び、頭は霜をけづり額に不断の浪立ち腰は反橋の如く、「渡りかねざる世界を、さりとは無用の勤め。今にも死なれたらば、火車の掴み物。」と人の取り沙汰、やうやう耳に入りて、お八つの太鼓に驚き、俄の御堂参りの、「暮れて後世を急がるる。」と人皆また笑ひけるが、あしき事にあらねば、いつとなく仏心起こりて、その後は常精進になつて、以前に変はる事、天地なり。
乾坤の箱入りにして千貫目、万事息子に渡して、楽隠居を岡崎に見立て、作事は手の物の嵯峨丸太、軽い取り置きの窓蓋、明くれば諸山を見渡し、老後の思ひ出ここに極め、疾く捨てぬ世を今は残念なり。しかも連れ合ひは二十ケ年前に離れ、一人法師になつても心懸かりは無かりき。息子は有徳なれば、自由に孝を尽くし、毎日世の初物を運ばせ、殊更お茶のかよひのために、やさかたなる女四、五人付け置きしに、寝間の上げ下ろしも人の手には懸け給はず。墨の衣を着ぬばかりの出家気質になり給へば、召し使ひの者ども、おのづから信心の起こし、年経る内に、下女の中にもそのさま見苦しき庭働きの女、腹形可笑しげになれるを、人々咎めて笑ひけるに、「旦那。「の御名を立てけるは、大かたならぬいたづら者。」とこれを憎みて、この事、親仁様に申せば、「夢にも覚えの無き事。」とて、下女はこの内を追ひ出され、小宿にて産を致せしに、しかも男の子なり。随分大事にかけて守り育て、親子の忌み明けてこの息子を親方の元へ渡しけるに、これを取り合へる人も無く、是非に及ばず悲しさのあまり、子を抱きながら御前に走り込み、右の段申し上ぐれば、親仁を召し出され、色々御詮議あそばしけるに、「少しも身の上に覚え無き」由、申し上ぐる。「然らば明十四日の朝、両方共に出づべき。」との御意。
いづれも早天より相詰めける時に、仰せ出されしは、「唐土にもかかるためしあり。八十余歳になりける人の子は、日影に映してその影無し。面影映らざれば{*1}、親仁が子に紛れなし。」と仰せられ、白洲に{*2}立たせて朝日に映しけるに、この子が影法師、見えざり。今は親仁、陳じ難く、「私、世間を恥ぢ入り、包み申し候へども、なるほど拙者の倅、覚え御座候。」と申し上ぐる。時に母親、末々願ひ申し上ぐれば、「その子、必ず百日は生きざるものなり。もし長命ならば、重ねて申し出づべし。」との御意を請け、いづれも御前を立ちける。
その後、親仁もこの子に不憫をかけ、昼夜大事に養育致せしに、次第に弱りて、仰せ出されしに違はず、九十七日目に相果てけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「映(うつ)らば」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈及び対訳文に従い改めた。
2:底本は、「白洲(しらす)立(た)たせて」。『本朝桜陰比事<翻刻>』(1996)頭注に従い改めた。
2:底本は、「白洲(しらす)立(た)たせて」。『本朝桜陰比事<翻刻>』(1996)頭注に従い改めた。
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