双子は他人の始まり
昔、都の町に、「一子相伝の妙薬、神教万病円」と看板出して売薬あり。これ洛中の外、近在まで広まりて、この家、四條通りに隠れなし。この人、五十余歳まで家継ぎの無き事を悔みしに、本妻の懐胎を喜びしに、この亭主相果てられ、三十五日の歎きの内に平産致せしに、これ常に変はりて双子、しかも二人共に男子なり。父の無ければひとしほ不憫に思はれ、面々に乳母取りてこの子どもを育てさせ、名も梅松、竹松と呼びて、十三に成りける夏の頃、又この母親頓死致され、「定めなき世。」と殊に悲しきは、跡を見立つる一門も無く、只二人の乳母ども、めいめいに抱き守り致せし子にこの跡式を望み、惣領末子の論をする事やみ難く、町中の意見をも聞き入れずして、両方より同じ願ひ訴状{*1}を上げける。
時に、この家久しき手代、外に書付を言上申すは、「この家二つに成され候へば、一子相伝の名方の分かる事、家財よりは歎かはしく存じ奉り候。」と御願ひを申し上ぐるは、「いづれにても一人に家を継がせ、一人は相応の敷銀を付け、他家へ遣はし申したき」所存、尤もに聞こし召し分けられ、京都に名高き縮み頭{*2}といふ取り揚げ婆を召され、「双子の事、前後出生の内に、いづれか惣領に立ちけるぞ。」と御尋ねなされしに、「古例にて、後より誕生仕るを惣領に立て申し候。この仔細は、胎内にて母に取り付き縁の深き故なり。先に生まれ候は、その子が後ろに乳房もそのあまりを吸ふが故に、五体も少しは大小御座候。」と詳らかに申し上ぐる。「この婆が申す通り、後生まれの竹松を惣領。」と仰せ出だされしに、梅松が乳母、合点致しかね、「母親{*3}心ありて、名をば梅松とは呼び申し候。これ花の兄には極まり申し候。とかくはこの身代、二つに甲乙無く仰せ分けられ下し給はば、有り難く存じ奉る」の願ひ、言上申す。
御前には、手代が申し分、至極に思し召せども、これの愚痴と御許しあそばし、「然らば諸事真二つに分け取らすべし。」まづ宗門を御尋ねあそばされしに、この家代々日蓮宗にて、召し使はれの下々までも、同じ宗旨の由申し上ぐる。「然らば持仏堂を開き、高祖の御影取つて参れ。」との御意に任せ、仏を御前に差し上げし時、「諸道具を二つに分くる初めに、両人の乳母どもが手に懸けて、この仏を真二つに割りて、重ねて罷り出づべし。」と、公事を残して御帰しあそばされしに、「いかにしても後世を頼みし仏を砕く事は。」と両人共に身震ひし、町の人の言へる事を一円聞き入れざりし女ども、おのづから順熟して、無用の争ひを悔み、いづれもを頼み、手代{*4}が願ひの竹松に家を継がせ、梅松は弟に定め、歴々に仕分くる内談を極め、この段御訴訟申し上ぐれば{*5}、御心入り通りなれば、その通りに仰せ付けさせられ、無事相済みけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「訴訟(そしよう)」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈に従い改めた。
2:底本は、「ちゝみかし」。『本朝桜陰比事』(1993)本文及び注釈に従い改めた。
3:底本は、「親母(はゝおや)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「千代(てたい)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「御訴訟(ごそしやう)上申(まをしあ)ぐれば」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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