命は九分目の酒
昔、都の寺町通りに、十分盃を和朝にて初めて{*1}工夫の細工人あり。唐土の偃師がからくりにも劣るまじきものと言へり。朝暮この器物を積もる毎に大酒に溺れ、これより長病になりて相果てし後に、男子二人、十八、十五になりぬ。
百ケ日の精進上がりて後、町中立ち合ひ見るに、書置とても無し。金銀諸道具、ある物を改め、大方世間の法に沙汰して、「兄に六分、弟に四分。」と言ひ渡し、「母親の義、両人として孝を尽くし給へ。」と言へば、弟、いづれもの指図、承引致さず、「家屋敷に限らず、万事を半分取るべし。」と言ふ。「それでは兄の甲斐なし。」とて様々扱へども、弟聞き入れずして、既に御前の裁許になりぬ。
段々御聞き届けあそばされ、「町の者が指図、尤もに存ずるなり。その方、等分に取るべき仔細あらば申せ。」と仰せられし時、「私事、末子ながら総領なるべき義は、お恥づかしながらこれなる母親は、元父の召し使ひの者なりしが、懐胎して兄を喜びしより、諸親類取り持ち本妻に直されて後、私を平産致され候事、紛れなく候。然れば、末子ながら筋目格別存じ奉り候。跡をも継ぎ申すべき事、御座候。かやうの義、御武家にも先例の多き御事。」と申し上ぐる。
「あの者申す所も、一通りは聞こえしなり。その屋敷は、この母、下女の時より持ち伝へたるか。又、近年に求めけるか。」と御尋ねなされし。「成程、下女の時分よりの家屋敷。」と町中、口を揃へ申し上ぐる。「然らば、弟が願ひの諸色二つにして渡し、家の義は惣領に名跡を継がせ、母はこの家にて養ひ申せ。」と仰せける。
校訂者注
1:底本は、「和朝(わてう)にしはじめて」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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