形見の作り小袖
昔、都の町に和漢の織絹の商売して、その身利発にて一代の分限、二千貫目を貯へ、家の栄える世盛りにこの亭主、四十二にして相果てける。今年二歳の娘に財宝残らずこれを譲りぬ。この母親、三十三にて後家を立て、髪を切り捨て、浮世を恐るる形となり、一人子の成人を願ひ、後夫を求むる望み絶えて、仏道に立ち入り、その後、家職をやめて、諸事親類の指図に任せ、金銀は両替に預け置き、世帯は人少なにして、男女七人召し使ひ、何の不足も無かりき。
或る時、東山の花談義に一家残らず参詣すれば、門の戸、外より閉めて留守無しに出で行き、その暮方に帰りしに、奥座敷に人影見えければ皆々驚き、「昼盗人よ。」と声々に取り廻し、片隅に追ひ込み捕らへ見しに、南隣りの一子、いまだ十七になる角前髪の若者なり。出合ひし町衆も手首尾悪く、「何とぞ沙汰無しに。」と談合すれば、この息子、格別に進みて、「我、ここに忍ぶ事、後家合点。」と言へば、「さては。」と各々疑ひ懸かりて、この儀、何とも言葉無し。
後家、涙をこぼして、「さりとは、さりとは、毛頭覚えも無き難儀を申し懸けられて口惜し。みづからが子と言うても恥づかしからず。我、不義致さば、世間に知らせず、相手あり。この事に於いては身を八つ裂きにあひても詮議遂げずには置くまじ{*1}。女も女によるべし。」と一筋に胸を定め、人の意見も更に聞き入れずして御前へ駈け込み、右の段々御訴訟申せば、その男を召されて、「後家と密通ならば、文通の証拠を出すべし。女の筆跡無きに於いては、盗人の沙汰、逃るる所なし。」と仰せられければ、「互に忍ぶ事に御座候へば、その度々に火中致し候」由、申し上ぐる。「その分にては、科を逃れじ。その他、何のしるしも無きか。」と重ねて御尋ねありし時、男、暫し思案して、肌着の浅黄小袖に三つ蝶の紋所付きしを、恐れながら脱ぎ懸けて御目に懸け、「これは、あの後家の下着にて御座候が、風の吹く夜の別れに着せて帰し候。これより他には挿し櫛、香包みなどくれられ候。かやうの事なるに、盗人の沙汰は是非も無き仕合せ。」と涙眼になつて申し上ぐる。その風俗見させらるる{*2}に、衣裳の様子、定紋まで、変はる所無し。
「あの小袖は、後家が取らしたか。」と仰せられし時、この女房、少しの内、物を申さざりしが、「世の外聞思はれ、随分包み候へども、かくあらはるるは大方ならぬ因果と存じ候。いかにもあの若年者と密通仕り候。」と申し上ぐる。
「然れば何の仔細もなし。後家、無用の言ひ訳に、あまたに難儀を懸くる。曲者なれども、これ女心{*3}なり。罷り立て。」と御意ありし時、この男、頭下げ、「今少し言上申したき御事。後家密通と申し上げらるるにつき、全く{*4}密通にて御座なく候。皆、私が悪事を巧み申し候。この儀は、若気にて由なき事に親の金銀大分に遣ひ捨て申し{*5}候を、この程吟味致し、勘当仕られ候を、やうやう一門中詫び言にて相済み、それより内証厳しく致され、次第に不自由に罷り成り、隣の有徳なるをかねて存じ、ふと出来心にて盗みに入り候。この小袖も手前にて拵へ置き、自然穿鑿の時、身を逃るる言ひ訳のためばかりに、これ程まで巧み。私、悪人に相極まり申し{*6}候。」と、心底ありのままに申し上ぐる。
この段、御前に聞こし召し分けられ、「まづ後家が志、我が身を捨て、世の聞きの恥を構はず、密通にして人の命を助くる事、都広けれども又あるまじき女。」と、この慈悲心を深く感じさせ給ひ、「これらは女の鑑なれば{*7}、少しも曇らぬ心入り。自今はいよいよ諸親類、後ろ見を仕るべし。又、男の段は、悪事重なり、この度、仕置者なれども、後家が志を恥ぢて、助かる命を捨てて、即座に相手の難を申し訳致せし事、若年者には神妙」に思し召され、これによつて、極命のところ御赦免なし下され、京都を御払ひあそばされけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「惜(お)くまじ、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「見(み)させられしに」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「女なり、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「つき、密通(みつつう)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「遣捨(つかひす)て候(そろ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
6:底本は、「相極(あひきわま)り候(そろ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
7:底本は、「鑑(かゞみ)ならば」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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