十夜の半弓

 昔、都の町に、はやり念仏、嵯峨の安楽坊とて、声細長う節を付けて、常とは格別世界の人心、後生の昼{*1}となりぬ。折節、十夜なれば、僧俗共に叩き鉦、明け方まで響き渡り、眼にも見えぬ極楽を願ひ、無用の念仏講を結び、その暁の雲、東山に晴れて、松原通りの門並に店戸を開くれば、年の頃四十二、三の男、左の手に浄土珠数を懸けながら、胴骨矢の根を通され、死に顔見知る人あつて、「これは、大仏の前なる煙管屋。」と言ふにぞ、急ぎその元へ人遣はしけるに、女房驚き駈け来つて、歎く事浅からず。
 「夜前は{*2}宵に宿を立ち出で、因幡薬師のほとりへ念仏講に参られしが、これはいかなる因果ぞ。」と、かの同行衆へ行きてこの事を語りけるに、講中の各々、皆老人といひ、殊更後世の縁を結ばれし人なれば、この男の若死を惜しみ、「その人に我々が跡の儀を頼みしに。」と、俄に御明かしを上げて香花を取り給へば、この人々を疑ふ事無く、奉行所に罷り出で、御訴訟を申し上げしに{*3}、様々御詮議あそばされ、「日頃心懸かりなる者は無きか。」と御尋ねありし時、女房思ひ付き、「以前別して懇ろなる方、二人御座候が、この四、五年不間に罷り成り候」人の名を指しける。
 その二人、御前に召し出だされ、この参会仕らぬ仔細を聞かせられしに、一人は、「鞠の友にて、互に芸を励み、相も劣らぬ程に仕る内に、私はお家に立ち入り、紫腰を御免下されしを、かの男、これをそねみ、その後、鞠を蹴留まり、おのづから出合ひも絶え候。」と申し上ぐる。又一人は、「六條の遊女町にて花月と申す女郎を、二人してこれを買ひ論仕り申し{*4}候が、当座の事にて少しも意恨に存ぜず、年月罷り過ぎ候。今にその女、勤め致し罷りあり候。これを召し寄せられ、御聞きあそばされ下さるべし。」と申し上ぐる。
 「この両人、命を取るべき程の事にもあらず。」と聞こし召し分けさせられ、「かの男と語り合ひし仲なれば、かかる身の果てを、我々も外のやうには{*5}思ふまじ。かねてのよしみに、弔ひ料として銀一貫目づつ、女房に合力仕れ。」と仰せ出だされける時、一人はお請け申し、又一人は成り難き由、申し上ぐる。その仔細を御尋ねなされしに、「私は内証かつかつにて、手前の暮らしさへ迷惑仕る」の由、言上申す。今一人は、「早速合力仕るべき。」と申す所を御疑ひあつて、この儀、御穿鑿ありしに、「私は身代よろしく、銀貸しを渡世に仕る事、町内洛中にも隠れ御座なく候。銀一貫目など、香典に仕りても苦しからぬ御事。御意なればお請け申せし。」と申し上ぐる。両方の言ひ分、段々道理至極に聞こし召し分けさせられ、別條なく相済み、これ等は宿に帰りぬ。
 その後、女房に仰せ渡されしは、「この上に、何とも詮議成り難し。とかくは時節の最後と諦め、死骸は鳥部野に送り、夫の敵はその矢なれば、死人と一つの壺に入れて埋むべし。後家は子も無き者ならば、百ケ日過ぎて勝手次第に後夫を求むべし{*6}。」と仰せ付けられ、いづれも御前を罷り立ち、その通りにその年も過ぎぬ。
 明くる春になつて、世間も暗き夜中過ぎに、かの男討殺されし松原通りのその町に、女の声せはしく人の門々を叩き起こし、「やれ、物盗りよ。悲しや{*7}。出合へ、出合へ。」と言ふに驚き、手毎に棒乳切木をひらめかして立ち出づる中に、半弓取り持ち、いかつがましく駈け出づる者ありしを、軒蔭より隠し役人取り巻き、この男に縄を懸け、「仔細は奉行所へ参れ。」と引き立てられ、町中残らず相詰めける。
 時に仰せ出だされしは、「夜前の女は、去年、汝等が町にて殺されし男の妻なるが、存ずる思案あつて、わざとこれより夜中には遣はしける。然る所に、おのれ、町人に似合はざる飛び道具持ち出づる事、故なし。この言ひ訳ありや。」と仰せ出だされしに、この男、少しも動顛致さず、「この半弓は、親代より家にあるに任せ、枕元近く懸け置き申し{*8}候ところに、盗人よといふ声、寝耳に入り、何の心も御座なく持ち出で候。」と申し上ぐる。
 「申せば、さもあるべし。然らば、最前の矢にこの矢を比べ見るべし。」との御意に任せ、土葬の壺を掘り出だし見合はせけるに、右の矢に違ふ所なし。「いかなる意恨あつて、かくは殺しけるぞ。」と御尋ねありし時、この男、逃るべき所なく、「私、近年弓の稽古を仕り、当たりこまかに罷り成り、狐、猫などを射留め申し{*9}候事、度々にて御座候。これによつて、人間を射て見申したき出来心にて、何の事もなく夜更けて通り申し候者を、幸ひに射懸け申し候{*10}。」と、段々始めを申し上ぐる。「町人無用の武道具を持ち扱ひ、しかも人の一命を断つ事、広き都に又あるまじき曲者。」と御沙汰極まりて、その弓矢を高札に懸けて、御仕置にあひけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「後生(ごしやう)の益(えき)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「夜前(やぜん)に」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「申下(まをしあ)げしに、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「仕(つかまつ)り候(さふらふ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「外(ほか)のやうにも」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「求(もと)むべく」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 7:底本は、「盗賊(ものとり)よ出合(であ)へ」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 8:底本は、「懸置(かけお)き候(さふらふ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 9:底本は、「射留(ゐと)め候(さふらふ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 10:底本は、「通行(とほり)候(さふらふ)者(もの)を幸(さいは)ひに射懸(ゐか)け候(そろ)」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈及び対訳文に従い改めた。