兼平の謡ひ過ぎ
昔、都の町に沙汰しけるは、勝ち公事になるべきを、無用の言葉質を取られて、即座に負けに成りける。
江州志賀の浦一つ松の蔭に、小さき宮の立たせ給ふ。これ、山王の末社とて、古代より叡山の捌きなりしが、近年は祭の他に参詣ありて、散銭箱の重きより、人皆、欲に迷ふ世の中、滋賀の里人内談して、「所にありける神社を、比叡法師の自由に致させる故無し。自今はこの里の物になすべし。」と俄にもがりを頼み、この事、京都の奉行所の御評定となりぬ。
「何とて先年より叡山持ちの宮所を、今度改めての申し分、その仔細は。」と仰せられし時、里人に口賢き者罷り出で、「世々の本歌にも、志賀唐崎の一つ松とこそ読み残されしに、叡山の一つ松といふ事、伝へも聞かず候。この松蔭に祝ひ始めし社なれば、志賀唐崎の宮居に極まり申し候。」と言上。これも{*1}一通り聞こえて、諸法師の方には、古例の正しきを以てこの返答を申す内に、里人の何がし、猶々進みて、「その外、兼平の謡にも、さざ浪や志賀唐崎の一つ松と謡ひ候。」と申し上ぐる時、当話のよき法師罷り出で、「あの者は、隠れもなき音曲の芸者に御座候。只今の謡の末を、是非に御所望あそばされ下され候へ。」と申し上ぐる。
御奉行、はやくも御合点あそばされ、小鼓を召され、「ここは、それがしが一挺鼓にて、この公事を聞くべし。今の先を謡へ。」との御意。嫌が成らずして、御白洲に畏まり、「さざ浪や、志賀唐崎の一つ松、七社の神輿の御幸の梢なるべし。」と謡へば、鼓を打ち捨てさせられ、「然らば山王の影向の松なり。」と、同じ謡にて叡山の勝ちになり、山法師、声を揃へて、「今の謡の拍子、いやいや。」と御前を誉めて立ちける。
校訂者注
1:底本は、「これをも」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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