仏の夢は五十日
昔、都の町に不思議の夢を見し人あり。世渡りは時計の細工人、この鐘の音に浮世の眠りをさまし、明け暮れ、後の世を一大事と願へば、異名を釈迦右衛門と言へり。自然と縮れ髪にて、その形、殊勝なり。年久しく烏丸の下に借宅して住みぬ。
その家主は一向宗にて、隠れもなき精進嫌ひ。霜月二十八日も構はず、杉焼きの廻り振舞して、町衆四、五人参会の折節、借屋の釈迦右衛門、腰をかがめ、「私、名誉の夢を夜前まで五十日、続けて見えさせ給ふ。御告げありありと、さながら夢とは思はれず候。御たけ九寸ばかりの金仏、こなたの御寝間の下なる土中に埋もれまします。これ、弘法大師の御作なるが、我等が枕元に金色の光を差し給ひ、『汝、仏縁の深き者なれば、後世のために掘り出すべし。然らば衆生救ひ、諸々の難病を助けむ』の御事。これ万人の慈悲なり。番匠、人足の入用は、こなたより仕るべし。今日掘らせて賜はれ。」と申せば、この家主、仏とも法とも弁へなく、手を打つて笑ひ、「世の中の夢といふ物が合へる事ならば、その夢を判金千枚ばかりにして掘りたきもの。」と言ふ。
この座に分別顔なる人ありて、「これを聞きながら、そのまま置く事、心よろしからず。あの方より入り目をせらるるならば、掘らせても{*1}見給へ。」と言ふ。時に亭主も同心して、俄に諸道具を取り直し、板敷を打ち外し、鋤鍬を鳴らし、その日の暮方までに五尺足らず掘りぬれども、仏らしき物は見えずして、口欠けの茶壺、又は消え炭{*2}、螺殻より他は、何も無かりき。興さめて元の如くに埋めける。「初めからかくあるべき事なり。」と亭主は腹立て、借屋の者は、何とも言葉なくて帰りぬ。
又明けの日、家主へ言ひけるは、「夜前、又、正しく幻に拝まれさせ給ひ、『今二、三寸下の辰己の隅にありけるを、今少しの事に出現せざるは念なし。是非に掘り出せ。』との御願ひなれば、とてもの事に、御掘らせ賜はれ。」と望み、今一度掘りて見しに、御託宣に違はず、仏像顕はれ給へば、各々有り難く拝し、まづ水に注ぎて見しに、底光りの体、いかさまにも古仏と見えさせ給へば、家主、欲心起こりて、「この本尊、我等が物。」と言ふ。借屋の者は、この事合点せず、「万事入用をこなたから払ひぬる上は、私の仏。」と言ふ。
「いかにも掘りたき大願なれば、その段はこなたも同心なり。然れども、仏をその方の物する約束は致さず。」と言ひ分募つて、既に御前の沙汰になり、初めは聞かせられ、その仏に両人の封印を致させ、三日預かり給ひ、洛中の仏具師を召し寄せられ、「この金仏、年数、何程か埋もれしものぞ。」と御尋ねあそばされしに、いづれも吟味の上に申し上ぐるは、「およそ五、七年も土中にありし物。」と申し上ぐる。
その後、かの者どもを召されて、その町の者に仰せられしは、「この家普請は何程になるや。」と御尋ねありしに、「四十年余に罷り成り候」由を申し上ぐる。時に釈迦右衛門を召され、「おのれ、世間へは後生願ひと見せ懸け、心中は浅ましき曲者なり。この事、かねて巧み、前日掘る時、本尊を埋み{*3}置き、明けの日、それを顕はし、京都の風聞致させ、いづれの売僧とか馴れ合ひて、散銭取り込むべき仕懸け、疑ひなし。ありのままに白状申すべし。この時偽るに於いては、さまざま詮議{*4}のしやうあり。」と仰せ出だされし時、釈迦右衛門驚き、貧より悪事を巧み申す由、心底残さず申し上ぐる。
「おのれ、世の費え男。殊に仏の眼を抜く事、かれこれ以て悪人なり。きつと仕置に申し付くべきものなれども、いまだ他の者をたぶらかさざれば、命は助け置くなり。この過怠に、その仏を鍬の柄に付けてかたげさせ、右の次第を札に記し、洛中三日が間廻らせて、後生盗人の顔を諸人に見知らせ、その後京都を追ひ払ふべし。又、家主の義は、無用の争ひ仕る事、これ悪人に{*5}近し。これによつて、袴肩衣を着し、高札を持つて、釈迦右衛門同事に廻るべき。」と{*6}仰せ付けられけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「掘(ほ)らせて見(み)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「消炭(けしずみ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「埋(うづ)め」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「穿鑿(せんさく)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「悪人(あくにん)近(ちか)し。」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈に従い改めた。
6:底本は、「廻(まは)るべきを」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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