恨み千万近所へ縁付き

 昔、都の町に鹿子屋女の名取り、大宮の小林とて、さながら六條の太夫めきて、出立姿に焦がれ泣きをさせけるが、この女、情けは離れて、欲に、目の見えぬ浪人を男に持ちける。仔細は、この人、その以前歴々にて、一生の暮らし程は貯へあつて、楽しみを京住まひと思ひ定めて、東寺の片蔭に借り座敷、心任せに月日を重ねし内に、或る人の物語に、かの女の麗はしき事を伝へ聞きて、「金銀にてなる事ならば。」と頼みしに、小林合点して、夫婦の契りをなしぬ。
 五、三年は、よろづあるに任せて美食衣裳を飾りしが、この女、日夜の奢り故、程なく内証薄くなつて、目の浅ましき男に辛く当たりて、暇取るべき仕懸けの折節、近所に若盛りの浪人の友ありけるが、さも手前よろしく暮らしける。女、この男に心を移し、忍び忍び縁の約束して、その後は作病起こして、暇の状を催促して、代筆に書かせて、その身を自由にして、いまだ十日もたたぬ内に、かの男の方へ仲人なしに行きて、世間を憚る事もなし。
 外の見て{*1}さへこの女を憎めば、ましてや初めの男の身にしては、堪忍のならぬところ。討ち果たす程にも思ひ立ちしが、暇遣りての事なれば、死後にも世の沙汰に成り行く事を口惜しく、それなりけりに済ましぬ。
 これさへ無念の折から、或る夜、門の戸に張紙して、「この浪人、この町に置かるるに於いては、いつによらず町中を斬り立て、一人も命の種あるべからず。」と書き記せり。時にこの浪人申せしは、「我が事は、身に懸かる事、難儀も苦しからず。いかなる意恨とも覚えは御座なく候へども、各々に気遣ひ懸くるも迷惑なれば、とかくはここを立ち退けば済む事。」と言ふ。
 いづれもこの浪人を憐れみ、この儀は沙汰なしに談合して、今までの通りに、今までの通り、そのまま所に居らるるやうに申し渡せば、「御心入れの段は、身に余つて忝し。されども、侍の心に懸かる事、このままには置かれじ。何とぞ町中に別條なきやうにと存じ」、右の段々、御前へ申し上げしに、「その方、何にても思ひ当たる者は無きか。」と御尋ねのありし時、「他には心懸かりも御座なく候。私、この程までの妻女、かねては存じもよらざる{*2}病気と申し出し、俄に暇を乞ひ懸かり申し{*3}候。これまでの縁と存じ、願ひの通りに取らせ申し{*4}候ところに、それより九日目に近所へ縁に付き申し{*5}候。この男、右より別して語り申し{*6}候が、その後は参りかね申し{*7}候。これより外は何にても御座なく候」段、申し上ぐる。
 様子聞こし召され、その夫婦召し寄せられ、「この儀は密通に極まる。女は大悪人なり。又、男も、日頃語り合ひし仲{*8}、この度の縁組、たとへ仔細なくとも、世の義理思はば、取り結ぶまじき道なり。男の手に罷りある時より、馴れ{*9}逢ひたるには紛れなし。ありのまま申さぬに於いては拷問。」と女に仰せ出だされし時、「これなる人に状文付けられ、かく罷り成り候。」と申し上ぐる。「おのれ、世の仕置者なれども、一旦暇の状を取りての上なれば、命は許して、女は鼻をそぎ、男は髻を払ひ、京都に置くまじ。」と仰せ付けさせられ、その後、この浪人を近う召され、「この度の張紙は、詮議の種にその方が立てしと見えたり。かうならでは{*10}ならぬところ。」と御褒美有り難く、御見通しの御眼力を感じける。」となり

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校訂者注
 1:底本は、「他(ほか)の身(み)で」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「存(ぞん)じもあらざる」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「乞懸(こひかゝ)り候(そろ)、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「取(と)らせ候(さふらふ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「付(つ)き候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「語(かた)り候」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 7:底本は、「参(まゐ)りかね候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 8:底本は、「中(うち)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 9:底本は、「馴逢(なじみあ)ひ」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 10:底本は、「斯(か)うなうては」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。