俄大工は都の費え
昔、都の町を清水の西門より見れば、民家立ち続きて果ても無く、諸木茂りて、三階蔵の白壁、夕陽映ろひ、皆内証はともあれ、蔵は長者の花と言へり。次第に下京までも繁昌して、野末も今は人家と成りぬ。
その頃、七條通りに米商売して万事に手広く、近年に分限、その町の一人なり。母屋は以前のままにして、裏に屋敷を何程か建て出し、後には空き地もなく、隣町の境目に、火の用心のために三間に五間の二階蔵を普請して、窓には銅の火蓋、針金の網を張り、軒に金樋までも懸けて、物の見事に仕舞ひしに、隣町の家主より、きつと使を立てけるは、「こなたの地の内{*1}へ蔵二尺四、五寸も出過ぎ候やうに相見え候。自由御普請。」と付け届に驚き、町並と{*2}見合はせば、三尺ばかり建て出すに紛れなし。
いづれも寄り合ひ沙汰するに、「今の亭主が横道にはあらず。これ、親仁の欲心。」と、死なれし人をそしりぬ。その頃までは、この辺の裏は野畠にして、境目の吟味もなく、生垣を人の地まで仕出されしなり。「この度、改めずして蔵を建つる事、町中までも落ち度なり。」と、隣町各々を頼み、詫び言致しけるは、「あの蔵、修理の時分に罷り成り候はば、改め引き込ますべし。その内、地入用の儀出来候はば、何時によらず相渡させ申すべし。こなたにも、当分は畠に致し置かるる事なれば、一年に銀五十目づつ地賃出させ申すべし。」とさまざま扱ひけれども、中々堪忍致さず。
「永々の地盗人、この度、世の見せしめになすべし。」と、有徳なる身代を見懸け、大分金銀取るべき覚悟にて、難しく懸かれば、いよいよ難儀に思ひ、銀二貫目に色々詫びても聞かざれば、是非なく打ち捨て置きしに、言ひ懸かりてやめ難く、右の段々、絵図に作りて御前へ申し上ぐれば、両方召し出だされ、「作事仕る方を曲者。」と仰せ出だされ{*3}、「仕置にも申し付くべきものなれども、親が仕わざ用ゐ、何心もなく普請仕る由、まづ町人の不念もあり。たとへ地尻、田畠にても、その屋敷ばかり町並外れて出づべき仔細なし。今日の中に高縄引きて、その蔵を切り入るべし。相手の申す所、道理なり。埃の義は是非なし。あの者が作り物、少しも損ねざるやうに仕れ。」と仰せ付けられ、俄に大工、日傭を数百人雇ひ、二時ばかりに打ち毀ち、軒端を世間より内端に切り入る。さりとは物哀れに、亭主が惜しむべき心底、思ひ遣られ、これを見る人、涙をこぼし、堪忍せざる相手を深く憎みぬ。
その後、蔵引き込ましたる段々、御前へ申し上ぐれば、「この度、万事入用を{*4}、勘定を仕立て参れ。」との仰せ。帳面作つて、「銀高八百七十四匁二分。」と申し上ぐる、時に「この入目、只今請け取り、蔵切りたる者に相渡すべし。」「御意、差し当たつて迷惑仕る」段、申し上ぐれば、「おのれ、都の費えといふ悪人なり。仔細は、この普請、地築き、石垣の時も見え渡る事を、空木建て時も言はずして、屋根を葺き、上塗り{*5}までも仕舞はせ、間もなくこれを毀たす事、またあるまじき曲者なり。手前に銀子用意なくば、家屋敷売り払へ。」と仰せ出だされ、その日入札にして、一貫二百目に売り立て、この内八百七十四匁二分相渡し、残る三百余も町内の借銀に引き取られ、やうやう残る銀七匁三分。数四つ、女房が珠数袋に入れて、久しく住み馴れし町内を立ち退きけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「上(うへ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「町並(まちなみ)を」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「仰(おほ)され、」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈に従い改めた。
4:底本は、「入用(にふよう)の勘定(かんぢやう)を」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「葺上(ふきあ)げ塗(ぬり)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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