落とし手あり拾ひ手あり
昔、都の町はづれより、加茂川の岸伝ひに北山へ帰る老人あり。折節、十二月二十八日の夕暮、世間は春の事ども取り急ぎ、心せはしき今日も、御堂下向の道芝に紙包み見えけるを拾ひ上ぐれば、「小判三両」と書付あり。「いかなる人の節季を仕舞ふ心当てにもや。」と後先見しに、往来も無く、遥かの松蔭に柴売りと見えし人の立ち休むに追つ付き、「そなたはこれを落とし給はぬか。」と言へば、「いかにも我等落としたれども、そなたの手に入るからは、そなたの物。」と言ふ。「これは近頃、迷惑なる申され分なり。たとへこの主の無きとて、取つては帰らじ。まして主ある金を取りて帰るべきか。」とその者に渡せば、拾ひし者に返しぬ。投げ遣れば放り付け、暫しこの論、やむ事なし。後には黒木売り、牛使ひ立ち留まりて、「今の世の中には、ためし無き事ぞ。」と両人の志を感じける。
いよいよ互に道を立て{*1}、この小判納まり所なく、とかくこの論、下にて済み難く、両人、御前へ罷り出で、右の段々申し上ぐれば、当番の役人衆、聞き給ひて、「前代に無き事。これは、都の今聖人なるべし。」と、この段、御取り次ぎ申し上げらるる折節、御前には御気色悪しく、前後に京中の医者衆、相詰められける。時に御名代の家老職を召され、智恵試しにこの裁きを仰せ付けられしに、「ここを大事。」と思案して、その拾ひし三両の小判を出させ、御前の小判三両、合はせて六両を取り交ぜ、三所に置きて、まづ落としたる者に二両渡して、「一両の損なり。又、拾うたる者、二両取れば、これも一両の損なり。御前の金も一両御失墜なり。両方共に罷り立て。」と申し付けられけるを、いづれも、「発明なる裁きなり。」と、これを感じ、この段{*2}、御耳に立つるに、中々御同心無く、「その方どもが気のつけどころ、相違なり。この二人、内談にて、かく取り結びし作りものなり。その仔細は、拾ひし者、その主と論に及ばず、捨てやうは様々ありしに、ここに出でけるところ、第一の聞きなり。正直者と都に顔を見知らせ、末々、人を騙りの巧みせしには違ふまじ。その二人呼び返せ。」と、又御前に召し出だされ、右の段々仰せ渡され、「ありのままに白状申さぬに於いては拷問。」と厳しく御詮議懸かれば{*3}、山家の者驚き、「あの者に頼まれ、何心も無く、言ひ含め候通りに落とし手{*4}に罷り成り、争ひ候。」と申し上ぐる。
「されば、悪事は拾ひ手{*5}めが巧みなり。見分、家に杖つく年をして、無用の心根。仕置にもすべきなれども、己が身の上ばかり、他にさはらぬ事なれば、洛外までも払ふべし。又、頼まれし者めは。」久しく住所の鞍馬に近き麓里を追ひ払ひ給ひけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「立(たち)て」。『西鶴全集 第二』(1926)に従い改めた。
2:底本は、「感(かん)じ、これを」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「懸(かく)れば、」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈及び対訳文に従い改めた。
4:底本は、「拾手(ひろひて)」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈に従い改めた。
5:底本は、「落(おと)し手(て)」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈に従い改めた。
コメント