銀遣へとは格別の書き置き
昔、都の町衣の棚に利発なる商人あり。内証よしと世間の見立て違はず、ゆるりと世を渡りけるが、持病に筋骨を痛めしが、歳に従ひ気力衰へて、死に覚悟を極め、書き置きを遺しぬ。
「当年十五に成る男子より他に、子といふものは無し{*1}。この子が母親は、九年あとに相果て、その後呼び迎へし妻には一子も無く、継母ながら一人の跡取りを可愛がりて、万事の仕方に如才なく、実子に少しも変はるところ無し。親仁もこれを満足して、世に思ひ残す事も無く、あり銀二百貫目は一子に譲り、銀二十貫目、後家一代の遣ひ銀に、さて又手代両人に銀十貫目づつ、甲乙無しに取らするなり。今までの通りにこの家を見立て申すべし。」
この他、末々の親類中に所務分け、檀那寺への上げ銀、残るところも無く書き記して、「いまだ息の通ふ内に、この銀どもを相渡すべし。」と、埒の明きたる取り置きして、次第に命の迫る時、一門、手代を呼び集め、「我等、最後は今日に極まる心おぼえあり。この時、只一言言ひ残す事あり。倅事、当年十五歳なれば、今より二十五に成るまで十年の内は、何やうの儀にても、意見する事無用なり。殊に女若の遊興、たとへ何程の事にても、必ず留める事なかれ。心任せに金銀を遣ひ捨てさすべし。さて二十五歳を過ぎて、一銭にても遣ふものならば、御前へ申し上げ、この家を追ひ出すべし。言ひ置きはこれぞ。」と段々申し渡し、その後、相果てける。
「銀遣へとの言ひ分、前代に無き事なり。日頃は利発なる人なりしが、死に前に何をか申しけるぞ。」と京中に取り沙汰して、これを笑ひぬ。
今時の若い者、吟味するさへやまざるに、この倅、十八より銀遣ひ出せしに、誰か意見も成り難く、自然に言ふ人あれば、「御存じの通り、親仁の言ひ置きなり。」と、世間構はず奢りて、六、七年の内に、右二百貫目の銀、百七十貫目勘定足らず。
いづれも迷惑して、内証にて色々申せど、これを聞かざれば、二人手代、思案に及ばず、身代続かざるを見極め、右段々申し上げ、「向後金銀遣ひやみ申す」御願ひを申し上ぐれば、御聞き届けあそばされ、「親が遺言、今二、三年なれば、その通りに随分遣はせ。」と仰せ出だされし時、「今少しの所にて、この家立たざる」事を御歎き申し上ぐる。「その段は、確かに家の続く事あるべし。手代ども、気遣ひ無く、商売手広く致すべし。倅も二十五の以後、言ひ置き背くに於いて、申し来るべし。その家を追ひ払ふべし。第一、母親に孝を尽くせ。」と仰せ出だされし。
両人の手代、何ともこの御意承りかねたる顔つき、御覧あそばされ、「その方ども、合点行かぬと見えたり。所の沙汰に合へる程の我々が主人、これ程まで無分別は申さぬ儀なり。早速宿に帰り、親類、町中立ち合ひ、内蔵遠慮無しに吟味致して見るべし。」と仰せ出だされ、いづれも罷り帰り、蔵々相改めけるに、人の気のつかぬ片隅に、昔長持一つありて、その蓋に書き付け置かれしは、「これ、我等が御影の金仏なり。これを十三年忌に開けて弔ふべし。」とあり。錠前打ち放ちて見るに、又一つの箱あり。この中に一万両包み籠め、皆々これを見届け、又御前へ申し上ぐれば、「そのままに念を入れ、二十五の年、相渡すべし。」と仰せ付けられ、御推量の違はぬところを感じける。
その後、金子を請け取りしが、御前へ知れての事なれば、二十五の{*2}以後は一銭もえ遣はず、この家立ちけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「無(な)く、此子(このこ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「二十五以後(いご)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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