利発女の口真似

 昔、都の町誓願寺の前に、大珠数屋の内儀とて、自然と艶女に生まれ付き、洛中のこれ沙汰。目の肥えたる人さへ幾度か同じ顔ばせを見る事ぞかし。ましてや田舎人は、聞き伝へて、京都に上れば、宿の亭主を同道して、まづ祇園、清水の次にはこの女房を見に来る程の姿。僧俗、店に絶えず、おのづから商ひをして、次第分限になりぬ。
 世には仕合せの折節、夫に離れ、二十五の歳より後家立て済まして、風俗はありしに変はらず、心は昔に入れ変はりて、後の世を願ひ、人の思はくとは格別に身を治め、今年髪置きしたる一子に頼みを懸けて、この成人待ちて、外には何の願ひもなく、あなたこなたより入り縁の望みありて取り持ちけるに、一円合点せず。女ばかりにして埒の明きぬる家職なれば、夫婦ありし時に少しも変はらず、なほ又内証よろしくなつて、「金銀溜めるも、一人ある子がため。」と思ひ、暮らしぬ。
 その近所に、僅かなる借宅して、生国は駿河浪人ありけるが、諸事に利発なれば、所に置きての重宝。「問ひ談合のため。」とて各々取り立て、謡屋にして、小者一人使ひ、幽かなる渡世に年月重ねし内に、おのづと町人気質になつて、人皆心を許し、勝手までも出入りするに、何か見限らるる事もなし。殊更珠数屋の亭主とは、外より懇ろにして、二度の必ず売り掛けの書き出しをも、頓筆ゆゑ頼まれける。その後も、以前の如く物前には見舞うて、書く事を手伝ひける。
 折節、七月七日、星見るまでここに居て、若い者交じりに算用して、「大方の仕合せ。」と、盆の請け払ひの帳面仕舞うて、「心祝ひ。」とて酒出だされ、いつよりは過ごして、世間話も面白くなつて、後家、常無き大笑ひして、かの浪人をなぶり、「こなたも歴々の男星ながら、年に一度逢ふ方も無く、七夕殿には劣り給ふ。」と又笑ひになりぬ。
 この男、それまでは道を立てけるが、座興の一言より、俄に心を懸け初めて、この宿を立ち帰る姿には見せて、門を出でさまに立ち忍び、板敷の下に隠れて、家内静まつて後、身を縮めて奥に入り、後家が寝間に立ち寄れば、蚊屋越しの面影、世にこれ沙汰の女、昼見る顔よりは麗はしく、恋もひとしほまさりける。
 少し高枕して、帯紐解かずに手近へ刀を取り廻し、用心深く、夢も油断はせざる風情。浪人も、この女には恐れしが、「これまで乗り懸かつたる舟。」と思ひ、づかづかと近寄れば、後家、驚き起き上がり、されども声は立てずして、「いかなる御心入りにて忍び給ふぞ。人聞けばよろしからず。首尾のよき時、早くお帰り。」と申せば、「かく思ひ入りての上は、命を懸けての執心。」と、わりなく申さるる時、後家、是非に及ばぬ分別極めて、「必ず後悔し給ふな。」と刀を取つて膝を立て、中々浪人の心に従はず。
 色々道理を詰め、言葉を尽くせども、この男、聞き分けずして、詰め開き荒くなる時、下々起き合はして、「何者なるぞ。」と立ち騒ぐに、浪人、灯し火消して逃げ行くを、大勢取り廻して、これを捕らへ、「さりとは憎き仕方なり。年々、万事を人がましく存じて頼みけるに、女の寝間といひ、金銀のある所を知りて夜中の忍び入り。主人は格別、この家の手代ども、一分立ち難し。この儀は我々、堪忍ならず。」と、いづれも扱ひをも聞き入れずして、既に御前に申し上ぐれば、両方召されて仔細を御尋ねあそばされけるに、浪人、少しも騒ぐ様子も無く、「この義は、かの者、亭主相果て申す後、私も妻子なき身にて御座候へば、互に申し交はし、内証にて懇ろ仕り申し{*1}候内に、後家、外に又男を拵へ申し{*2}候と相見え候は、日頃よしみの私に、かかる悪事を巧み、迷惑致させ候は、さすが女心の浅ましや。『この仔細にて、懇ろ切る。』とひそかに申せば済む事なるに、手代などと談合にて、盗人の沙汰になす事、さりとはさりとは恨み恐ろしき女。」と口上続けて申せば、後家は、格別腹立して、「跡形もなき難儀を申す人なり。女も女によるべし。」と、互に証拠の無き論になつて、暫しは埒の明かざる時、後家、涙をこぼし、「申し上ぐるも近頃御恥づかしき事ながら、私に於いては不義仕らぬ仔細、御座候。若い時より身に開茸と申す難病を請け申し{*3}候。これは、縁付き致し二、三年後、煩ひ出し、夫婦の中さへ迷惑に存じ候。馴染みの事にて御座候へば、情けにて世間包まれ、語らひをなして心懸かり{*4}の年月を送るところに、連れ合ひ病死の以後は、ふつふつと浮世の事ども思ひ切り申し{*5}候に、この度の儀に、是非も無き身の難を申し上げ候は、大方ならぬ因果と存じ奉り候。」と涙をこぼす。
 時に浪人、罷り出で、「あの女の申し上げ候通り、身の難病も互に語り合ひ、私の手に懸けて、過ぎし年の寒中、養生までして取らせ候。」と申し上ぐる。その時、後家、大笑ひして、「我等の身に開茸と申す煩ひ、御座なく候。随分人並に生まれ付き、左の肩先に小さきほくろ一つ相見え申し{*6}候。この外に、毛頭仔細御座なく候。この上は、いかやうにも御吟味。」と申し上ぐれば、浪人、赤面して、重ねて言葉は無かりし。
 「さりとは曲者なり。されども盗人の沙汰にあらず。夫無き女を恋ひ偲ぶよりの悪事なれば、命は助けて本国駿河に送るべし。されば、人の難儀を申し懸けたる過怠に、片小鬢剃つて追ひ払ふべし。さて又、後家は即座の利発。」感じ入らせ給ふとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「仕(つかまつり)候」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「拵(こしらへ)候」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「請(う)け候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「心懸(こゝろがけ)の」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「思切(おもひき)り候」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「相見(あいみ)え候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。