見て気遣ひは夢の契り
昔、都の町猪熊通りより、染め帯を拵へて、丹波の山家に通ふ商人あり。この者の妻、元は御所方の末の女臈役してありしが、さすが風儀は花の香、今に残りて、人皆目に懸けける。身代軽き者なれば、一人の留守を気遣ひながら、渡世は是非なし。殊更この男、悋気深く、旅立つ折節は、女の知らざるやうに、井守の血を取つて、左の肘に付け置きぬ。これを虫しるしとて、その女、男にまみえぬ内は、何程洗うても落ちざるためしあり。昔日、いかなる好色人か{*1}、これを工夫し出だされける。
この商人の同じ町に浮世男ありて、この女を眼にて忍び、物は言はずして焦がれけるに、女も自然とこの男を思ひ入りしに、或る夜、枕並べし夢を見しに、男も又、その夜忍び入りて、契りを籠めし夢見る事、互に「不思議なる縁。」と思ひける折から、若い者、大勢語りぬる中にて、何の遠慮も無く、この事を夢話の種として大笑ひ。さても世間はさまざまなり。
その後、かの夫、丹波より帰り、心試しの虫しるしを見るに、消えて痕無き事を疑ひ出し、我が女房の自由は、さまざま無理に懸かつて、強く詮議すれば、罪無き身にも悲しく、「留守中事は、少しも包まじ。」と、諸神を誓文に立て、かの夢の事までも語り聞かせければ、それは、隠れなき美男にて、いよいよ気を廻し、世上を聞き合はすに、かの男の夢物語、かなたこなたに沙汰あれば、「さては、二人が不義、外に知られて、その口留めに、かくは言ひけると聞こえたり。これは、吟味すべき所。」と分別して、「たとへ夢物語にもせよ、男のある女の事を、身に添ひたるとの風聞、堪忍ならず。女も夢に出逢ひしと言へり。この分にては不思議晴れず。これ密通に紛れなし。」と、この事、御前へ申し上げ、両方召し出だされ、御聞き届けあそばされ、「これは、不義の証跡無し。されども、夫のある女の事、戯れし取り沙汰する事、落ち度なり。又{*2}女も、夢なればとて、無用の申し事なり。愚かなる男の疑ふも、理なり。密通か夢の契りか、この二つを試し、その上にて申し付くべし。」と、銀の猪口二つ御出しあそばされ、女の指の血を両方へ搾り込ませ、本夫の指の血、一つに搾り入れさせ、又、密夫の指の血を搾り入れさせ、暫し置きて御覧なされけるに、本夫の血は、女の血と一つに凝り固まりぬ。又、密夫の血は、女の血と筋立ちて分かりぬ。
「これ、誠の契りを籠めざる証拠」見せ給ひ、格別なる御詮議に、男、胸を晴らし、この女に仔細なく添ひけるとなり。
「これ、誠の契りを籠めざる証拠」見せ給ひ、格別なる御詮議に、男、胸を晴らし、この女に仔細なく添ひけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「好色人(こうしよくびと)が」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「及(また)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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