人の刃物を出し後れ
昔、都の町へ大原の里より柴売る男あり。その日は三條馬の町の酒屋へ幾度か運びて帰る時、手馴れし鎌を置き忘れしに、山家者の言葉つき可笑しく、「これを尋ねさすも一興ならむ。」と取り隠し置くに、柴売り、立ち戻りて、かの鎌を穿鑿する。「ここには無かつた。」と言へば、大声上げて、「昼中に鎌盗人。ただ出さぬに於いては申し上げて迷惑さすぞ。」と言ふ。「己が鎌の番はせず。」と言ひ募つて、既に出し後れて争ひになりける。
柴売り、何の思案も無く、御前に走り込み、右の段々御歎き申し上ぐれば、その酒屋召し寄せられ、鎌の事御尋ねあそばされしに、かつて存ぜぬ由{*1}申し上ぐる。時に、酒屋亭主が肩衣御取りなされ、「これにて吟味する事あり。」暫く御門前に御待たせあつて、その内に御勝手より早使にて、酒屋が内へ、「先程の隠せし鎌をこの人に越すベし。割符のため、この肩衣遣はす。」とこれを渡せば、内儀、この男は見知らねど、亭主の肩衣、三星小紋の花色に剣菱の定紋、紛れ無ければ、内蔵よりかの鎌を取り出だしてその男に渡せば、請け取り、屋敷へ帰りぬ。
その後、又両方を御前に召されて、鎌を五本御出しあそばされ、「この内に、その方が鎌があるか。」と御見せなされしに、柴売り、手にも取らず、「これにて御座候。」と申し上ぐる。「然らば、取りて帰るべし。重ねて念を入れ、渡世に致す道具なれば、武士の刀、脇差と思ふべし。もし、又取り忘れ、申し出づるに於いては、曲事に申し付くべし。又、酒屋は、この鎌を一興に隠し、出し後れと見えたり。それ故、町内へも難儀を懸け、その身も迷惑せし事、無用の志にて、あまたの暇を費すなり。惣じてかやうの事、世上に様々あり。下々の者までも、致さざるやうに申し付くべし。」と仰せられけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「存(ぞん)ぜぬよう」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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