いづれも京の手懸け四人

 昔、都の町に、栄花の時得たる町人あり。本妻相果てて{*1}後、筋目よき方の、しかも美形なる呼び迎へ、これは中屋敷に置きて、折々通ひ、本宅には先腹の男子、十四歳なるに後ろ見を付け、万事は手代打ち任せ、その身は下屋敷をあまた拵へ、東山の花見屋敷に葉山と言へる手懸けあり。嵯峨は月見る{*2}ための屋敷に秋野と言へる手懸けあり。鴨川近き涼み屋敷に夕暮といふ手懸けを置き、北山の雪見屋敷に松崎と言へる手懸けを置き、四季の心を一日の夢に見る邯鄲の枕定めず、先から先へ乗り物廻させ、世にある程の遊興。殊更、無理酒に戯れ、年中酔ひのさむる時無く、男盛りに大病を引き請け、相果てしに、後の儀は、随分念を入れたる書き置き箱あり。
 いづれも立ち合ひ、これを聞き見るに、格別相違致せり。「まづ、本妻には子も無き事なれば、末々隠居のために拵へ置きし長者町の屋敷へ移し、上下十人の暮らし、ゆるゆると成る程、本宅より相続け、遣ひ銀この度千枚相渡すべし。さて四人の手懸け腹に、皆一人づつ娘の子あり。姉十二に成るに、銀百貫目に{*3}処よき家屋敷。二番目の娘、十一に成るに、銀八十貫目、これにも角屋敷。三番目の娘、十に成るに、銀五十貫目、家屋敷。四番目娘、当年八歳に成るに、財宝残らず、釜の下の灰、広庭の落ち葉までも、これに譲るなり。さて、惣領には、室町の家屋敷に銀二百貫目相添へて取らすべし。」又一通に、諸親類方、下々への書き置き。自筆に印判、紛れなし。
 「この通りにして請け取るべし。」と、妹娘の親類、差し出づれど、中々{*4}手代ども、合点せず。「相渡す事、思ひも寄らず。」町中にも、「惣領に男子ありながら、非道の言ひ置き。」と沙汰し、世間にもよろしからぬ評判致せば、一門、手代内談して、右の段々、御前へ申し上げしに、書き置きの衆中、その他町人、残らず召され、「とかくこの親、うつけの沙汰なり。証文の反古に成るとは、この事なり。この儀は、町中、親類、手代どもに到るまで立ち合ひ、その外、洛中の案者を集め、二十日が間に相談して、少しも贔屓の沙汰無く、これを捌き、出づべし。」と仰せ付けられ、御請け申して罷り帰り、明け暮れ寄り合ひ。
 既に談合固め、書付を以て申し上ぐるは、「惣領儀、本腹と申し男子と申し、いまだ十四歳に罷り成り候へば、親の気を背き申す事、御座無く候。御前御意の通り、常に大酒を好み申され候。定めてその上の事と{*5}存じ奉り候。諸事跡式の儀は、惣領に仰せ付けさせられ下され、後家事は、同じ屋敷に置きて後ろ見致させたく存じ奉り候。三人の娘には、書き置きの通りに相渡し、惣領に譲り置かれ候財宝、遣はし申したく存じ候。妹娘には、過分の儀に存じ候へども、万事名跡まで譲る程に不憫存じ候処、御座候へば、かやうにしたく御願ひ申し上ぐる。」
 時に、御前にも御捌きの御書付、かねて御認めあそばされ、これを読み合はせけるに、いづれもが願ひに少しも違ひなく、皆々この儀を感じ奉りぬ。「いよいよ右の通りに仕り、その家の立ち申すやうに仕れ。」と仰せ渡されけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「相果(あいは)て後(のち)、」。『西鶴全集 第二』(1926)に従い改めた。
 2:底本は、「月見(つきみ)のため」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「百貫目の処(ところ)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「差出(さしい)つれど、手代(てだい)ども」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「事(こと)を」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。