参詣は枯れ木に花の都人

 昔、都の町より万人信心して、松の尾の奥山へ参詣する事あり。「旅僧、ここに庵を結び、諸病を一七日の内に平癒致させける。」との取り沙汰。次第に籠り堂建ち続きて、なほ奇瑞を顕はし、ゐざりは立ちて帰る、唖は又物を言ひ、聾は人の言葉を通じさせ、これを薬師如来の如く申し立て、昼夜人の山。谷は、切れ草履にして埋みぬ。その頃、「銭の相場の上がりしは、毎日この所に散銭留まる故ぞ。」と、両替屋仲間に心を付ける程なり。
 或る時、この法師の言へるは、「我、諸天に大願あり。これ皆、衆生のためなり。志成就するに於いては、当山の諸木、立ち枯れして、明けの春、又元の葉色を顕はすべし。」と語りぬ。この言葉に違はず、見え渡りたる梢、おのづから枯れ木となれば、隋分賢き人も、これに疑ひ晴れて崇めければ、愚かなる人は、なほ感涙を流しける。
 この坊主、売僧にて、最前の病人も仲間の拵へものにて{*1}、散銭取り込み、よい程に立ち退く用意する時、山里は構はざりしに、麓の里人申しけるは、「この山の木にて、街道筋の橋を先年より懸け来る所に、諸木立ち枯れては、末々の事、心元なし。御法力にて元の如くなし給へ。」と、百姓大勢催促せられ、俄に立ち退く事も、散銭の仕舞ひ方なく、とやかく思案する内に申し上げられ、御前の沙汰に成りて、出家、里人を召され、右の次第を御聞き届けあそばされ、「それ、草木も心ありて、万花の色を顕はし、梢はびこれば、自然と国土のため{*2}なるに、何ぞ若木を枯らす故無し。汝、その以前は医師の、売僧に成れるなるべし。仔細は、肉桂を立ち木の皮の中へ籠らせ置けば、何によらずその木の枯るるといふ事を鍛錬して、人の気を取る事、無用の巧み、世の費えなる曲者なり。世の仕置者なれども、一度出家の形を致せし身なれば、一命は助け置くなり。これよりすぐに丸裸になして、五畿内を払ふべし。散銭は、少しも相違なく勘定を仕立て、これを九村として預かり置き、永々道橋を懸け渡すべし。」と仰せ付けられける。
 かの法師、御眼鏡に違はず、身を長羽織になして、伊勢国山田にて朝脈に廻り{*3}けるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「拵(こしら)へもの、散銭(さんせん)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「為(ため)になるに、」。『本朝桜陰比事』に従い改めた。
 3:底本は、「まかりける」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。