しもせぬ事を隠し損なひ
昔、都の町に紙店出して、いまだ女房も持たず、男一人使ひて世渡りを稼ぎ、次第に手前よろしく成りぬ。内儀の無いを幸ひに、一町の若い者の遊び所にして、浄瑠璃、小唄絶ゆる事なし。
折節、極月二十日過ぎの事なるに、一人の下人は用の事あつて、昼より大津へ遣はし、遅く帰るを待ちかね、時の鐘を読みけるに、九つの過ぎに成りて、世間も寝静まつて後、門の戸の鳴る音。「それか。」と立ち出でて開くれば、同じ町並びの分限なる人の一子、二十二、三になる美男、うち草臥れたる風情して、「まづここに一休みして、宿へ帰らむ。」と、当座帳を枕にして、正気のつかぬ程酒機嫌なれば、「又今宵も、かの里帰りか。もはや宿へ帰り給へ。」と言へど、物言はず。暫しあつて起き上がり、「さてもさても口惜しや。小判を二百両{*1}盗られながら、さりとは世間への外聞、よろしからず。さても憎き仕方。」と言ふかと思へば、眼を見つめ、手足びりびりと震ひ、そのまま脈上がりぬ。
「これは。」と気付けを与へけれども、歯を食ひ締めて、水も通はず。とやかくせし内に時節移りて、近所を起こしかね、亭主一人、身の難儀。暫く呆れ果て、無分別から沙汰無しにして、下人の帰るを待ちかねしに、やうやう戻るを喜び、初めの首尾を語り聞かせ、「今この次第を言ふとも、中々我を疑ふべし。されば、その言ひ訳も{*2}むづかし。人の知る事にはあらず。このままに死骸を捨ててくれよ。」と頼めば、下人、同心して、「これは、一段の御分別。」と、その親の門へ捨てける。
その夜も明くれば、二親の歎き。町中寄り合ひ吟味をするに、夜前に限つて行く所も知れず。「存じも寄らぬ人の命。」と、いづれもこれを惜しみ、右段々、御前へ申し上ぐれど、「この者に限り、一代、物言ひ分致したる事も御座なく、意恨ある人も、ゆめゆめ存じ寄りこれなく候。もし金子懐中仕るを見済まし、自然、物盗りが仕り候や。その身に少しにても刃物疵は申すに及ばず、打ち疵も御座無く候。」親ども、何の仔細も無く申し上ぐれば、「我人、年の末にて、一日も迷惑に存ずべし。まづ死骸は取り置くべし。」と仰せ付けられ、その後その後御詮議あれども、知れ難く、紙屋も人と打ち交じり{*3}、「さりとは知れぬ浮世。」と、七十五日までも言はずして、死に損に成りける。
その後、かの紙屋は、次第に身代よく、下人下女あまた使ひける。中にも右より召し使ひ男、いつとなく我になつて、旦那同前に自由を申せば、昨今の者ども思ふは、「定めて親類にて、あの如く言ふか。」と思へば、それにもあらず。世間の人も、「あまりなる人使ひ。」とこれを笑へど、親方は、くだんの事を頼みしより、是非も無く諸事勘忍すれば、なほ勝つに乗つて{*4}、「旦那の命の親はそれがし。」と言ふ度毎に、胸を冷やしける。知らぬ者は、只一人男の時奉公せしを、今以て参るばかり思ひぬ。
この紙屋、借宅を居なりに買ひ求めけるに、かの男、この時を見合はせ、「我等もこれ程の家屋敷望み」の由申せば、差し当たつて迷惑致し、内証にて銀二貫目まで出して詫ぶるに、中々合点せず。「この家くれられぬに於いては、以前の悪事、申し出づる。」と言へば、この事恐ろしく、やうやうこの程買ひ求めし家屋敷を、俄にかの男に譲り取らせる{*5}断り申せば、中々町中に同心せず。「尤も我が物を人にくれらるる事、仔細無き事ながら、買ひ手を吟味して、そなたに売らすさへ斟酌なるに、まして昨日今日まで下男せし者と、同座には並び難し。殊更存じも寄らぬ譲り所。その段は心入り次第。町の参会、思ひも寄らず。」と、一町一つに固まつての申し分。尤も至極存じ、男に色々意見申せど、聞き入れずして、「主人から譲り受けさせぬ先例ありや。」と腹立して、既に御前沙汰に致しぬ。
「町中申す通り、主人、うつけ者にもあらず、殊に死期にもならずして、大分の家屋敷、下人譲る仔細、又、下男の分として、この屋敷を是非に貰ひ取るべき言はれ、両人のありのままに申すべし。これに付き、存ずるところもあり。」と仰せ出だされ、町との出入りは外になつて、これ御不思議の御詮議強く、「様子を申し上げねば拷問」に極まり、自然の道理に詰まり、下人、身抜けの断り申し上ぐれば、主人は、「その時の死人、手に懸けて殺さぬ」申し訳、段々御耳に立ちければ、いよいよこの二人、命は取らぬに御詮議詰まりて後、「その儀、当座に申し出でず、死骸を捨てたる科、いかにしても逃れ難し。」と、即ち高札に「殺さぬところ」を段々御書き記しあそばされ、御仕置にあひけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「三百両」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「言訳(いひわけ)しも」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「打交(うちまじは)り」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
4:底本は、「かつに募(つの)つて」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
5:底本は、「取(と)らせける、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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