大事を聞き出す琵琶の音

 昔、都の町、例年の夏より暑さまさりて、我も人も暮を急ぎ、川原の涼み床に出で、昼の汗を水になして、川音聞くも面白し。思ひ思ひの音曲、或いは女中交じりの酒事、又、山法師の少人{*1}連れて、幾万人の付き合ひなれども、少しの言葉咎めも無く、「いづれ京都の人心。」と、これを感じける。
 折節、北国の侍衆の手荒く、関東衆の勢ひ強く、「それ、喧嘩。」と言ふより、岸根に血刀閃きて、少し立ち騒ぐ内に、一方は上下三人、共に討たれ、「相手は確か五、六人と見えしが、残らず手を負ひて退きけるが、その時節、構ひなき町人、あまたに切先を当て、立ち退く足元、酒酔ひの如く。」と、汀に出でし茶屋ども、おのづからに見届けて語りぬ。
 夜明けて、旅宿の亭主申し出で、討たれし方の様子は御聞き届けあそばされしが、討ち手の方を色々御穿鑿あそばしけれども、知れ難し。その内に、北国の兄弟ども、主人に御暇申し請け、京着して、敵討ちたき願ひ、御訴訟を申し上ぐる。
 この二人、十九、十六になる若者、心は勇めど、敵の面もかつて、まして名名字{*2}も知らず。「無念に存じ奉り候。御慈悲を以て、ありかを御穿鑿なさせられ下されなば、本望を達したく」御願ひを申し上ぐれば、心底、不憫に聞こし召し分けさせられ、御詮議のそもそもに、洛中にある程の外科に御触れなされしは、「六月十一日より以来、金瘡の療治仕りたるを、今日中に書付、罷り出づべし。隠し置き、後日に相知るるに於いては、曲事たるべし。」と仰せ出だされけるに、その頃、一條の革堂{*3}の辺に柳田氏の見山とて、名誉の外科の上手ありしが、この触れ、聞くと否や、御前に罷り出で、申し上ぐるは、「先月十二日の夜、いまだ四つ前に、百姓の召し使ひ者らしき者、花車の紋提灯を灯して、私宅へ物申を乞ひ、『壬生の庄屋よりの使。』と申し、『いまだ御近付き{*4}には御座なく候へども、俄に腫物痛み出で、難儀仕り申し{*5}候。自由なる御無心ながら、この者と御見舞ひ頼む』の由、申し越し候程に、医師の役と存じ、薬入れを懐中して、野道に罷り出で候処に、松蔭に乗り物来り、『これに召して、少しも早く御越し。』と申す程に、老足の助けと存じ、乗り移れば、茂りの笹原より大勢駆け出で、外より細引き懸けて、東へ行くかと思へば南のやうの時もあり、さまざま千鳥がけに、道筋おぼえぬやうに、只夢の如くなつて、都を離れ、およそ三里ばかりも行くかと思ふ時、皆々、足元静かになつて、門を開く音あつて、それより奥座敷、遥か行きて、駕籠の戸を{*6}開けて出しけるに、金屏風の光ばかり眼に映り、魂は消ゆる心して、暫し前後におぼえ無く、うつつに物を聞くやうなる時、すさまじき髯男、罷り出で、『こなたへ御療治を頼むは、少し世間を忍ぶ御方なれば、かく仕る事なり。必ず気遣ひなされな。』と襖を引き開くれば、手負ひ六人、あなたこなたにもたれ懸かり、取り乱したる風情なり。
 「いやとは申されぬ首尾になつて、養生の内、二十日ばかり、昼夜の灯し火。私にも日影は見せず、まして家内の様子も知らせず候。大方に仕立て申し候時、『これは、当分の礼銀。』とて、十枚くれられ、『この事、沙汰致さるるに於いては、後日に命。』を申し渡さるるを恐ろしく、無事で帰るを諸天に大願懸け申し{*7}候。又、初めの乗り物に入れて、元野原に捨て帰り申し{*8}候。
 「それ、気を凝らし、相煩ひ、疾く申し上ぐべき御事、延引申し上げ候」段々、御耳に立て申せば、「その所は、山家のやうに思はざるか。」「御意の通り、町家は離れ候。仔細は、諸鳥の声、かしがましく、人倫絶えたる住み家のやうに覚え候は、明かり窓より幽かに高山見え候を、『あれは、いかなる山。』と尋ね申せば、『旭山。』と申し候{*9}。」「それは、宇治にてはあるまじ。定めて北山の内なるべし。
 「その他、思ひ寄りは無きか。」「南の方と思はれ、月の影差す隣の方に、都にも聞き馴れざる琵琶の音の聞こえ申し候。私も一手仕り申し候故、上手を聞き覚え申し{*10}候。又、私宅を十二日に罷り出で、日を数へ見しに、二十三日の夜を籠めて、かの山に群集の声仕り候。これより外は、何事も心を付け申し候事は、御座なく候。」と{*11}申し上ぐる。「さては、嵯峨の内なるべし。二十四日の曙に人声は、これ愛宕の参詣なるべし。」と。まづ外科坊は、宿に御帰しあそばされ、「この事、隠密仕れ。」と。
 その後、京中の琵琶法師を召され{*12}、「この内、嵯峨の方に行きて、琵琶の会致さぬか。」と御尋ねありし時、菊崎と申す座頭、罷り出で、申し上げしは、「私、折々嵯峨の御浪人衆の方へ招かれ、琵琶を弾き申し{*13}候。この主、『七十余の老後の慰み。』とてあそばされけるが、さりとは承り事なり。その隣も浪人衆、この程は病中の由、これを遠慮あそばし、久しく鳴り物を御やめなされ候。」と申し上ぐる。
 「少し尋ぬる事あり。必ず沙汰致すな。」と仰せ付けられ、又、ひそかに嵯峨の里人を召され、様子を御尋ねあそばしけるに、「歴々の御浪人衆と相見え、五月の初めより借り座敷し給ひ、毎日の御遊興と見えしが、六月中頃より御病気と沙汰して、召し使ひの侍衆も出で申されず候」由、申し上ぐれば、「さては、これに極まるところ。」と、北国の兄弟の者に御知らせあそばし、「この上、いよいよ吟味して討つべき」由、仰せられしを有り難く、御前よりすぐに西嵯峨に行きて、忍び忍びに相尋ねしに、六月十一日の夜、川原の喧嘩相手に紛れなく、百日に当たる日、兄弟、心中を定め、召し連れし者以上五人、旅宿に乱れ入り、名乗り懸けて斬り結び、首尾残る所もなく討ち取りて、重ねて御前へ御断り申し上げ、二尊院にて父の御弔ひをなして、故郷の土産にかの首どもを器物に入れ、武士の道を急ぎて北国に帰りけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「唱人(しやうじん)」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈に従い改めた。
 2:底本は、「名字(みやうじ)」。『本朝桜陰比事』(1993)本文及び注釈に従い改めた。
 3:底本は、「草堂(さうだう)」。『本朝桜陰比事』(1993)本文及び注釈に従い改めた。
 4:底本は、「御知己(おんちき)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 5:底本は、「疼(いた)み難儀(なんぎ)仕(つかまつり)候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 6:底本は、「戸(と)開(あ)けて」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 7:底本は、「懸(か)け候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 8:底本は、「帰(かへ)り候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 9:底本は、「旭山(あさひやま)と申(まを)す、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 10:底本は、「聞(き)こえ候、私(わたくし)も一手(ひとて)仕(つかまつり)候ゆゑ上手(じやうず)を聞覚(きゝおぼ)え候、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 11:底本は、「付け申す事はござなく候よし」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 12:底本は、「召(め)されて、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 13:底本は、「弾(ひ)き候、」。『本朝桜陰比事』(1993)注釈及び対訳文に従い改めた。