白浪の打つ脈取り坊
昔、都の町に北国向きの唐傘を仕込む職人あり。大勢弟子を抱へ、次第に勝手よく、壺屋と言へる家名を世上に広めける。
日和の悪しきはこの家の仕合せ。或る時、五月雨の降り続きたる宵に、あまたの弟子を休ませ、「この程の骨折。」とて、宇治川といふ名酒を取り寄せ、心任せに呑ませて、亭主も一つなる機嫌、知らぬ小唄を謡へば、弟子どもも浄瑠璃を語り、夜半過ぎより枕も定めず臥しける。内儀は、常に変はらずよろづに気を付けて、門の戸ざしを吟味するに、「今宵は他人入るな。」と、暮方より鍵を掛け置きしを見届け、皆々寝入りて、いつもよりは明け行く朝も遅く起きぬ。
亭主、目覚めて見るに、昨晩は問屋より請け取りたる二貫目の手銀、戸棚の前に置きしが、これ見えぬに極まり、さまざま詮議をするに、知れ難し。この事、町内へ沙汰して相談するに、「この盗人、外より入りたるにあらず。門は閉めて、裏道無し。とかく、盗り手は十二人の弟子の内なり。」と内証詮議もこれに極めて、この段々御訴訟申し上ぐれば、一家残らず召し寄せられ、御見分あそばされしに、弟子ども、御前を恐れて、一人一人の口上、後先になつて、この内に三人まで疑はしき者あり。
いよいよ御詮議募れば、身を震はせ、又は赤面して、尋ぬる事の返事も仕りかね、「この分にても、詮議詰み難し。惣じて人間は、その生まれつきによつて、少しの事にも驚く者あり。又、身の大事を引き請けても、かつて動ぜぬ者あり。罪なき拷問する事、道理ならず。」と、この是非、様々思案巡らし、役人衆、内談ある時、御前より、御詮議の品を変へさせられ、仰せ出だされしは、日頃、その家に出入る医者を召し寄せられ、「この弟子どもが地脈と取り合ひ、普段と様子の変はる者あらば、偽り無く申さるべし。」と、一間なる所に隠し置き、さて{*1}十二人の弟子並べ置き、「銀の盗人、この内なれば、只今拷問してその科を顕はすなり。」兄弟子より次第次第に一人づつ奥へ廻せば、身に覚え無きもこれを驚き、正気は無かり。されども、脈は常に変はる事なし。
その随分落ちつきて、口上も普段に変はらぬ者あり。この脈、気質より格別に打ち騒ぎ、しんぼう治まらぬところを見つけて、この段を申し上げられしに、その者強く御詮議の上、銀の有り所まで白状申し、迷惑に及ぶ時、亭主御訴訟申し上げしは、「この者は、弟子の中にも、先妻甥にて、他とは変はり、倅同然に仕り{*2}置き、末々は覚悟によつて私の名跡をも継がし申す程に存じ奉り候。己が物を盗み申し候{*3}同然に御座候へば、御慈悲にこの科を御赦免なし下され候はば、そのまま出家にしたく御願ひ」言上申せば、願ひの通り、命の儀は御免下され、「あまたの者に難儀懸けたる悪人なれば、いよいよ坊主になし、己が手細工の唐傘一本にて、宿を追ひ払へ。」と仰せ付けられけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「一室(いつしつ)なる所(ところ)に隠置(かくしお)き、十二人」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「仕置(しお)き、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
3:底本は、「盗(ぬす)み同前(どうぜん)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
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