煙に移り気の人

 昔、都の町人、世渡り有徳にして、三條の縄手に下屋敷を拵へ、折節の遊び所なり。久しく召し使ひたる手代、隠者気質にて、市中に交じはる事を好まざれば、この屋敷をこれに預け、心任せに暮らさせける。
 かねては、「惣領育てし乳乳母と一つにして、商売の元手を取らすべし。」と、この内証を両方へ聞かせしに、乳母は合点して、「とかくは奥様の御意次第の我が身。」と{*1}申しける。手代、一円同心せず、色々意見すれども、この事嫌に極めける。外の事に違ひ、一生の縁組なれば、押し付けわざにも成り難く、その通りに済みて、手代は今の覚悟に身を治め、「あれもましなり。」と、人皆これを羨みぬ。
 乳母は、女心に夫婦とならぬ事を恨み、常々手代が身の難を巧めども、この男、律儀者にて、親の日寺参りの外は、夜は門へも出ず。何とも詮方尽きて、小家住まひの野良者をひそかに語らひ、ある時、奥さまの供、乗り物にて御下屋敷行きて、いつよりも面白う仕懸けて、夜に入るまでの御慰み。御機嫌にてお帰りのどさくさ紛れ{*2}に、川端の妻戸の鍵を外し、道を付け置き、物置の蔵の鍵を盗みて、何となく立ち帰る。後にて手代、随分の念者なれば、諸道具を取り置き懸かれど、乱れ屋敷の跡なれば、中々今宵の内には片付け難く、あらましに取り置き、夜半に臥しける。
 乳母は、くだんの鍵を野良者どもに渡し、その夜に忍び入らせ、懸け物、飾り物、寝道具まで盗み取らせ、それらには金子を取らせ、その諸道具は手代の親里へ遣はし、「様子は存ぜず、こなたの御子息、京よりこれを送られける。四、五日の内に、ここへ御帰り候。」と合点行くやうに申せば、手代が親、何心も無くこれを預かり置きぬ。
 その明けの日、手代驚き、盗人の入りたる由、親方申し来れば、主人思案して、「これは、勝手を知らぬ者の致せし事にあらず。」と、いづれも内証詮議するに、その頃、天狗坊とて、山伏の恐ろしき者あり。これも又、乳母が仕組み置き、奥様より言ひ通じて、この坊主を呼ばせて、様子を語り聞かせ、まづ占方を見せしに、「この盗人は、一家の者。」と見通しの如く申せば、亭主の思ひ入りに叶ひ、「この上いよいよ頼み入るなり。その者を顕はして賜はれ。」と言へば、山伏請け合ひ、「然らば、この家内は申すに及ばず、外に住みし御家来まで、その名を賜へ。」と、以上に三十一人、段々、名を記し、これを渡せば、「一夜の内に、そのまま証拠を見すべし。」と進み、「明日、この衆中、連座あるべし。その中にて撰り出し申す。」と、その日は私宅に帰りて、次の日午の刻にこの家に行きて、大勢の中へ申し渡しけるは、「只今、この名書きを煙に移して、あやまり有る人は、その名に不動の火焔映るべし。」と、則ち煙に懸けて見るに、忽ち奇特を顕はし、手代が名書きを取り廻し、不動の後光映りぬ。
 「さては。」とこれに極め、親方、疑ひ心になれば、手代は覚え無き事に迷惑致し、「是非この事は、一吟味致すべし。」と思ふ内に、手代の親元、江州の草津へひそかに人遣はし見るに、その盗み物預かり置くを穿鑿し出し、なほ又「紛れなし。」と、山伏の御法力に横手打ちける。
 「日頃律儀と言ひしに、人は知れぬもの。」と取り沙汰せられて、この手代、堪忍なり難く、山伏を相手にして御訴訟を申し上げしに、一家一人も残さず御前に召し出だされ、「諸道具、親が元に預け置きぬ。」と御聞きなされ、「さては、手代は致さぬ事。」と{*3}御思案あつて、かの山伏を召され、「この度の行力、端的なるところ、殊勝千万に存ずる。」と数々御褒美の上、「こなたにも幸ひ、さやうの穿鑿者あり。最前の如く撰み出せ。」と、十人名書きして、「この内に盗人あり。」と仰せられしに、山伏、迷惑して、まづお請けを申し、宿に帰り、右の如く仕懸け、重ねて御前へ罷り出で、これを煙に移せば、その中に一人、ありありとしるし顕はれける。
 御前に、大笑ひなされ、「せめて『この内に無い。』と申せば奇特なり。おのれ、書付は何の仔細も無き事を、一人煙に顕はすは曲者なり。」と、この儀、御吟味仰せ付けられ、乳母が頼みし悪事顕はれ、右の野良者どもも、同罪に仰せ付けられけるとなり。
 この山伏、最後の時、強力にささやきて申し置きしは、「この度顕はるるは百年目。煙に映し文字の据わる大事は、橙の絞り汁にて書き記し、火に懸くると、そのまま映りぬ。浅い事ながら、これで大分お初穂取りける。これを形見に伝授。」と言ふを、聞く人、どよみ作つて笑ひけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「我身(わがみ)を申(まを)しける。」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 2:底本は、「お皈(かへ)りの時、草紛(くさまぎ)れに」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「手代(てだい)がいたさぬ事(こと)を御思案(ごしあん)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。