名は聞こえて見ぬ人の顔

 昔、都町に、人の意見をも聞かず、親の譲りし財宝残らず売り払ひ、昼夜の浮世狂ひに身をやつし、後には訳もなく悪事を巧む仲間に交じはりぬ。人、生まれながらにして賢からず、又、悪人も無し。この者も、世に有る時は正直過ぎて、百言ふ事、一つも違はず。今は、「千言ふ事、三つも誠は無し。」とて、千三といふ男あり。
 以前の形残りて、紙子の袖ながら、京都にまたも無き美男なり。仲間としてこの男をかくまへ置き{*1}、人の通ひなき裏借屋に置きて、家名もその名も、京の歴々の名を付け置き、近所へもその名を広めける。
 或る時この男を、かの大銀持ちの息子殿に仕立て、しかも衣類の定紋までその人と変はらず拵へ、大勢の太鼓、供の者、分別はげの頭つきなる手代まで付けて、忍び忍びに東川原の子ども宿にて遊興。亭主に大分喜ばせ、「もし太夫元の望みあらば、金銀は何程なりとも、旦那御取り替へ。」と申せば、「私もかねがねその心懸けなり。このままは果てぬ。」と言うて、三度首を下げて、忝き顔つき。槌で庭掃くといふ御馳走古し、新しき御機嫌取りの話に夜を明かし、この事、随分世間へ隠す内に、はや芝居の末社ども聞き出だし、この宿につけ込み、無理に御一座を取り持ち、一度一度に下され物。
 ばつとこの沙汰あつて、皆々取り込む事を願ひ、「この大臣は、女里の御色好みと聞き伝へしに{*2}、ここへのお越し、珍らし。これは、川原の繁昌の瑞相なり。この旦那、旦那。」と、各々思ひ付く時を見合はせ、医者らしき人、太鼓持にささやきしは、「親仁様、東国へ来春年頭に御下向なさるるが、それまで御金のいる事あり。肝煎り申せ。」とあれば、我も人も請け合ひ、口入れを競り合ひ、「一万両でも易き御用。」とて、この名代を申して、悪所銀を貸す人に申しければ、「その方へは、五千両まではお役に立て申すべし。」と、世間並の利銀に定め、大臣の一判にて二千両貸す人あり。金子は東山の真言寺に持参し、大臣の自筆の手形印判を見届けて帰りぬ。
 その後、切りになつても不埒なれば、その家に付け届けすれば、「存じも寄らぬ事。」と{*3}不首尾なる返事に驚き、口入れの者どもを呼び寄せ、その人を尋ねけるに、片蔭の借屋住まひして、家内ひつからげて身代百目がものは無かり。「これは騙り仲間。」と穿鑿すれば、この男、少しも動ぜず。「借らぬと申すにぞ。成程、我等は借り主。家名と名が分限者の子にあるとや。拙者も作り名にはあらず。その段は町所にて尋ね給へ。家請け状にも相違なし。」と、かつて取り合へず。
 「広き都なれば、同じ家名に同じ名のある事、さのみ不思議にもあらず。その時分存ずるにも、『僅かの者に、大分金子を貸し給ふ事かな。口入れのよき故なるべし。』と存じました。私、借り主ながら、その小判は手にも取らねば、その行く所も知らず。今催促あそばしてから、何も御座らぬは、祇園殿も見通しなり。世帯道具も借り座敷なれば、我等の物は一色も無し。私の物とては、矢の足らぬ楊弓、諸礼の書き本、青貝置きの鼻ねぢ、杉重の殻二つ、女郎、野郎の文反古。身を離れし物は、こればかりなり。千も万も論は無用、一つあるこれを切り給へ。常々我等が物とは存ぜぬ。」と、首差し延べて申せば、金主、興をさまして罷り帰り、この段、御前へ御訴訟申し上ぐれば、細か{*4}に聞こし召され、「とかくはその方どもが不念なり。殊更世上に変はりて、七分半に廻れる利銀を取り込む故。」と仰せられけるとなり。

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校訂者注
 1:底本は、「置(お)く、」。『本朝桜陰比事』(1993)本文及び対訳文に従い改めた。
 2:底本は、「聞伝(きゝつた)へしは、」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 3:底本は、「事(こと)を」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
 4:底本は、「細密(こまな)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。