伝授の能太夫
昔、都の町に伏見太夫とて、能の指南して世を渡り、白川橋の辺に住みて、霊仙、丸山の座敷能を、大方この太夫、勤めける。
その折節、故郷伏見に西行寺とて旧跡あり。この寺前に月見の池とて、心よく水冴え澄み渡りたる名池なり。秋は、歌道志深き人、あまたここに集まりて月を見るに、庭の荻原{*1}露しげく、諸人たたずみ、所の狭き事、住僧、心に懸け、この辺に仮屋{*2}建てを数年の望みありしが、この願ひ、成就せずして過ぎぬ。
この事、能太夫伝へ聞き、「三日の勧進能して、これを建立せむ。」と、これを思ひ立つ折から、老人なれば、俄に足を痛み、時節の相延ぶる事を悔み、あまた弟子ある中に山太夫、川太夫とて、二人は両の手の如く思へば、これを名代に遣はし、相勤めさす内談せしに、翁を渡す事を争ひ、師匠のままにもならず。命を懸けて、この論やむ事なく、囃子方、地謡より色々扱ひ、「籤取りにして一日代はり。」と申せど、なほ聞かずして、大願首尾せぬ事を歎き、「この上は是非なし。とかく御前の御沙汰次第。」と無用の論をし出だし、皆々御前に罷り出でける。
「諸芸は争ふ元にして、我を立つる事、悪心にもあらず。されば、その家継がすは、器容のすぐれたる者に秘伝を渡すが本意なり。これにて両の弟子太夫に、連れ舞ひを申し付くべし。いづれにても、舞の内よろしき方を、この度の太夫分に致すべし。さて、勧進能のある所、西行寺なれば、只今は『江口』を仕れ。」と仰せし時、幸ひ囃子方も相詰め{*3}申せば、御前より笛、鼓を申しおろし、既に両太夫、御白洲にて一度に立ち出で、首尾よく舞ひ納めし後、御見物あそばし、御意なさるるは、「能の善悪は知らねども、川太夫に山太夫まさりて、心の利いたる所あり。仔細は、『白雲にうち乗りて』謡ふ所を、足拍子踏まぬは、心入れ面白し。この山太夫に大事を伝へて、翁を渡させよ。」との上意有り難く、「天下泰平国土安穏、今日の御裁き。」と謡うて、御前を立ちけるとなり。
校訂者注
1:底本は、「萩原(はぎはら)」。『本朝桜陰比事』(1993)に従い改めた。
2:底本は、「借屋(しやくや)」。『本朝桜陰比事』(1993)本文及び注釈に従い改めた。
3:底本は、「相勤(あいつと)め」。『本朝桜陰比事』(1993)本文及び注釈に従い改めた。
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