二 年の内の餅花は眺め

 「善は急げ。」と大晦日の掛乞ひ、手ばしこく廻らせける。今日の一日、鉄の草鞋を破り、世界を韋駄天の駆け廻る如く、商人は勢ひ一つのものぞかし。数年功者の言へり。
 「惣じて掛けは、取りよい所より集めて、『埒明かず屋』と知れたる家へ仕舞ひにねだり込み、言葉質取られて迷惑せぬやうに、先より腹の立つやうに持つて来る時、なほ物静かに義理詰めに、外の話をせず、居間上がり口にゆるりと腰掛けて、袋持ちに提灯消させて、『何の因果に掛け商人には生まれ来ました。月代剃つて正月した事なく、女房どもは銀親の人質になして、手代に機嫌を取らせ、身過ぎは外にもあるべき事。』と、科もなき氏神を恨む。
 「『御内証は存ぜねども、これの御内儀様は仏、仏。天井裏に挿したる餅花に春の心して、地鳥の鴨、いりこ、串貝。いづれ、人のうちは、まづ肴掛けが目につくものぢや。御小袖もなされましたで御座りましよ。今は世間に皆、紋所を葉付きの牡丹と四つ銀杏の丸。女中方のはやり物、その時々に成らば、して着たい。女房に衣裳。おまつ御仕着せは、定めて柳煤竹に乱れ桐の中形で御座ろ。同じ奉公でも、こんな御家に居合はすが、その身の仕合せ。片脇には今に天人唐草、目にしむ。』などと、内儀に物を言はすやうに仕かけて、暇を入れければ、外の借銭乞ひのない間を見合はせ、『この暮には、いづ方へも払ひ致さねども、こなたは段々、ことわりに至極致した。来春、女房どもが参宮致す遣ひ銀なれども、この通りは進ずる。残りは又、三月前には帳を消さして、笑ひ顔を見ますぞ。』と、百目の内へ六十目は渡すものなり。
 「昔は、売り掛け百目あれば八十目済まし、この二十年ばかり以前は、半分確かに済ましけるに、十年この方は四分払ひになり、近年は百目に三十目渡すにも、是非、悪銀二粒は交ぜて渡しける。人の心、次第にさもしく、物借りながら迷惑は致せど、商ひやめる外なく、又節季忘れて掛帳に付け置きける。
 「よろづ、時世に変はるも可笑し。前々は、成らぬ断りを聞き届けて、大晦日の夜中限りに仕舞ひ、中頃は、又夜明け方まで廻りて、『掛乞ひ。』と言へば、喧嘩をせざる家、一軒もなし。この一両年は、更け行くまで歩きはすれど、互に声を立てず、ひそかに仕舞ふ事に気をつけて見るに、「ない。」と言ふと、ないに極まり、内証の事が両隣へ聞こえる事も構はず、『借銭は、大名も負はせらるる浮世。千貫目に首切られたるためしなし。あつて遣らずに置かるるものか。この大釜に一歩一杯欲しや。根こそげに済ます事ぢや。金銀ほど片行きのする物はない。何としてか、銀に憎まれました。一度は栄え。』と謡ひて、木枕鼓にして横に寝る男には、何とも取つて付く所なし。義理外聞を思はぬからは、埒の明かぬ事見定め、古掛けは捨てて当分の差し引き。それを互に了簡して、腹立てずに仕舞ふ事、人皆賢き世とぞなりける。」
 つらつら世間を思ふに、随分身になる手代よりは、愚かなる我が子がましなり。子細は、自然と誠顕はれ、『銀集まれば、皆我が物。』と思ふから、そこそこに催促せず、身の働きに私なし。さて又、召し使ひの若い者、よくよく親方大事に思ひ、身の上を覚悟して天理を知るは格別、大方は、主のためになる者は稀なり。一日千金の色所に遊び、十分請け取る銀あれば、その内に不足拵へ、或いは小判の仕掛け、又は銀子請け取る掛けを、うちへは銭遣うて帰るなど、親方の確かに知らぬ売り掛けは、死帳に付け捨て、様々に私する事、いかに気のつく主にても、それ程には成らぬものぞかし。
 又、小商人の小者までも、忙しき中に掛けあらましにして、布袋屋のかるた一面買ひて、道歩き歩き、八、九、どうに心覚えする者、親方に徳は付かぬ事なり。掛乞ひにも色々の心ざし、よき者少なし。「人は盗人、火は焚き木の始末。」と朝夕気を付くるが、胸算用の肝文なり。
 ここに、請け取り普請の日用頭に富楼那の忠六といふ男、常に軽口叩き、「町の芸者。」と言はれて、月待ち日待ちに物真似して、人の気に入りける。この大晦日仕舞ひかね、さる方へ銀五百目申し上ぐれば、「易い事。」と請け合ひ給へば、夜に入り、御見舞ひ申し、「ああら楽しや、今宵琴の音を聞けば、年の寄らぬ仙家の心地。当地広しと申せども、この御うち方ならでは外になし。金銀満々として、四方に宝蔵、隠れ蓑に隠れ笠、打出の小槌は針口の音。福々旦那。」と広敷に畏まる。
 「用ありさうなる忠六。この事か。」と五百目包み投げ出せば、「忝し。」と祝うて三度押し戴き、「御蔭で年をとりが鳴く。御暇申してさらば。」とて、門口まで出けるが、ちよこちよこと立ち帰り、「奥様へ、有り難がりましたと、よろしく頼み奉る、腰元衆。」と言ふ時、仲居の吉が、「何と忠六殿。慶びの折なれば。」と言ふ。「一舞舞ひましよ。」と、めでたい尽くしを長々と言ふ内に、北国より重手代帰りて、「只今二百貫目、御蔵屋敷へ渡すぞ。米は追つ付け上ると仕合せ。銀よ、銀よ。今日、奥にも、琴の、小唄のところか。さあ、銀の穿鑿せよ。」と言ふ時、忠六、上がり口に置きたる五百目包みを取り上げて、「これは沢山なる銀子。何のために捨て置く事ぞ。高は二百貫目要るぞ。それ程手前にあるか、ないか。なくば手分けして才覚せよ。銀よ、銀よ。」と気をいらちければ、忠六、不首尾、せん方もなく、「長居は畏れあり。」と言うて、手ぶりで帰りける。

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