三 小判は寝姿の夢

 「夢にも身過ぎの事を忘るな。」と。これ、長者の言葉なり。思ふ事を必ず夢に見るに、嬉しき事あり、悲しき時あり、様々の中に、銀拾ふ夢は、さもしきところあり。今の世に、落とする人は無し。それぞれに「命。」と思うて、大事に懸くる事ぞかし。いかないかな、万日廻向の果てたる庭にも、天満祭の明くる日も、銭が一文落ちて無し。とかく、我が働きならでは出る事なし。
 さる貧者、世の稼ぎは外に為し、一足跳びに分限になる事を思ひ、この前江戸にありし時、駿河町店に裸銀、山の如く{*1}なるを見し事、今に忘れず。「あはれ、今年の暮に、その銀の固まり欲しや。敷革の上に新小判が、我等が寝姿程ありし。」と一心に、余の事無しに紙衾の上に臥しける。頃は十二月晦日の曙に、女房は一人目覚めて、「今日の日、いかに立て難し。」と身代の取り置きを案じ、窓より東明かりの{*2}射す方見れば、何かは知らず、小判一固まり。「これはしたり、これはしたり。天の与へ。」と嬉しく、「こちの人、こちの人。」と呼び起こしければ、「何ぞ。」といふ声の下より、小判は消えて無かりき。
 「さても惜しや。」と悔み、男にこの事を語れば、「我、『江戸で見し金子、欲しや、欲しや。』と思ひ込みし一念、暫し小判、顕はれしぞ。今の悲しさならば、たとへ後世は取り外し、奈落へ沈むとも、佐夜の中山にありし無間の鐘を撞きてなりとも、まづこの世を助かりたし。目前に、福人は極楽、貧者は地獄。釜の下へ焚く物さへあらず。さても悲しき年の暮や。」と、我と悪心起これば、魂入れ替はり、少しまどろむ内に黒白の鬼、車を轟かし、あの世この世の境を見せける。
 女房、この有様を猶歎き、我が男に教訓して、「世に、誰か百まで生きる人なし。されば、由なき願ひする事、愚かなり。互の心替はらずば、行く末にめでたく年も取るべし。我が手前を思し召して、さぞ口惜しかるべし。されどもこのままありては、三人共に渇命に及べば。一人ある倅が後々のためにもよし、奉公の口{*3}あるこそ幸ひなれ。何とぞ、あれを手にかけて育て給はば、末の楽しみ。捨つるはむごい事なれば、ひとへに頼みます。」と涙をこぼせば、男の身にしては悲しく、とかうの言葉も無く目を塞ぎ、女房の{*4}顔を見ぬ所へ、墨染あたりに居る人置きのかかが、六十余りの婆様を連れ立ち来て、「昨日も申す通り、こなたは乳袋もよいによつて、がらりに八十五匁、四度の御仕着せまで。忝い事と思はしやれ。雲突くやうな飯炊きが、布まで織りまして半季が三十二匁。何事も乳の蔭ぢやと思はしやれ。又、こなたが嫌なれば、京町の上にも見立てて置きました。今日の事なれば、『又。』と言ふ事は成らぬ。」と云ふ。
 内儀、機嫌よく、「何を致しますも、身を助かるためで御座ります。大事の若子様を預かりましても、何と御座りましよ。私は成程、御奉公の望み。」と言へば、男には物を言はず、「少しも早くあなたへ。」と、隣の硯借つて来て、一年の手形を極め、残らず銀渡して、かのかか、手ばしかく、「後と言ふも同じ事。これは、世界がこの通りの御定め。」と、「八十五匁数三十七」と書付のある内、八匁五分、りんと取りて、「さあ、御乳母殿。身拵へまで無い事。」と連れ行く時、男も涙。
 女は赤面して、「おまん、さらばよ。かかは旦那様へ行きて、正月に来て会ふぞよ{*5}。」と言ひ捨てて、何やら両隣へ頼みて、又泣きける。人置きは心強く、「親は無けれど子は育つ。打ち殺しても死なぬ者は死にませぬぞ。御亭様、さらば{*6}。」とばかりに出て行く。このかみ様、世を観じ、「我が孫の不憫なも、人の子の乳離れしは、可愛や。」と見返り給へば、「それは、銀が敵。あの娘は死に次第。」と、その母親が聞くも構はず連れ行きける。
 程無う大晦日の暮れ方に、この男、無常起こり、「我、大分の譲り物を取りながら、胸算用の悪しき故、江戸を立ち退き、伏見の里に住みけるも、女房どもが情ゆゑぞかし。大福ばかり祝うてなりとも、新玉の春に二人逢ふこそ楽しみなれ。」心ざしの哀れや、かん箸二膳買ひ置きしが棚の端に見えけるを取りて、「一膳は要らぬ正月よ。」と、へし折りて鍋の下へぞ焚きける。
 夜更けて、この子、泣きやまねば、隣のかか達訪ひ寄りて、摺り粉に地黄煎入れて炊き返し、竹の管にて飲ます事を教へ、「はや一日の間に、思ひなしか、おとがひが痩せた。」と言ふ。この男、「さても是非なし。」と心腹立ちて、手に持つたる火箸を庭へ投げける。「御亭様は、愛しや。」「御内儀様は果報。先の旦那殿が、綺麗なる女房を使ふ事が好きぢや。殊にこの中、お果てなされた奥様に似た所がある。」「本に。後ろつきのしをらしきところがそのまま。」と言へば、この男、聞きもあへず、「最前の銀は、そのままあり。それを聞いてからは、たとへ命が果て次第。」と駆け出し行きて、女房取り返して、涙で年を取りける。

前頁  目次  次頁

校訂者注
 1:底本は、「ごとなるを」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「東あかりさすかた」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 3:底本は、「奉公口の」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 4:底本は、「女房皃を」。底本頭注に従い改めた。
 5:底本は、「あぶぞよ」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 6:底本は、「御亭さまららば」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。