三 亭主の入り替はり

 年の波、伏見の浜に打ち寄せて、水の音さへせはしき十二月二十九日の夜の下り船、旅人、常より急ぐ心に乗り合ひて、「やれ出せ、やれ出せ。」と声々にわめけば、船頭も春知り顔にて、「我も人も、今日と明日との日なれば、何がさて、如才は御座らぬ。」と、やがて纜解きて京橋を下げける。
 不断の下り船には、世間の色話、小唄、浄瑠璃、早物語、謡に舞に役者の真似、一人も口叩かぬはなかりしに、今宵に限りて物静かに、折々思ひ出し念仏。又は、「長うもない浮世。『正月、正月。』と待つてから、死ぬるを待つばかり。」と世を恨みたる言ひ分。その外の人々は寝入りもせず、皆腹立ちさうなる顔つきなるに、人の手代らしき男が、おやま茶屋で歌ひ習ひし投げ節を、息の根の続く程張り上げて、間の手を口三味線の無拍子に、頭を振り廻して面憎し。
 程無う淀の小橋になれば、大間の行灯目当てに、船を艫より逆下しにせし時、分別らしき人、目をさまして、「あれあれ、あれを見たがよい。人皆、あの水車の如く、昼夜年中、油断なく稼ぎければ、大節季の胸算用違ふ事なきに、不断は手を遊ばして、足元から鳥の立つやうにばたくさと働きてから、何の甲斐なし。」と、我一人智恵あり顔に言ひける。
 船中の人々、耳を澄まして、「これ、尤も。」と聞きける中に、兵庫の旅籠屋町の者、乗り合ひけるが、「只今のお言葉にて、我らが身の上の事に思ひ当たりました。浦住まひの徳には、生肴の掴み取りの商売して、世渡り楽々としてから、毎年の仕舞には少しづつ足らず。この十四、五年も迷惑して、大津に母方の伯母ありけるが、わづか七十目か八十目か、百目より内の御無心申せしに、年々の事にて伯母も退屈致されて、『当暮の合力は成らぬ。』と言ひ切られ、置いた物を取つて来るやうなる心当て違へば、里に帰りてから年の取りやうなし。」と語る。
 又一人の{*1}男は、「さし渡して弟を連れて、この度、四條の役者に近付きありて、これを頼みにして芸子に出して、前銀借りてこの節季を仕舞ふ心掛けにて上りけるに、思ひの外なる事は、我が弟ながら、かたちも人にすぐれて、『太夫子にも成るべきもの。』と思ひしに、『耳少し小さくて、本子には仕立て難し。』と請け取らねば、是非なく連れて帰る。さてさて、世間に人もあるものかな。十一、二、三の若衆下地の子供の、随分随分色品よきを、毎日二十人三十人連れ来りて、人置きがささやくを聞けば、浪人の子もあり、医者の子もあり。さのみ筋目も卑しからぬ人なれども、今年の暮を仕舞ひかね、奉公に出せしに、十年切つて銭一貫から三十目までにて、好きなる子供取りける。色の白き事、賢き事、上方者にはとても及び難し。遣ひ銀を損して帰る。」と語りける。
 又一人の男は、「親の代より持ち伝へし日蓮上人自筆の曼陀羅を、かねがね宇治に望みの人ありて、『金銀何程なりとも。』と申されしに、その時は売り惜しく、当暮、手前さし詰まり、遥々売り払ひに参りしに、この人、いかなる故にや、分別替はりて浄土宗に成られければ、この名号、手にも取られず。思ひ入れ違ひまして、迷惑致すなり。外に当てども無ければ、宿へ帰りてから借銭乞ひにせがまれ{*2}、その相手になる事もむつかしければ、大坂よりすぐに高野参りの心ざしを、見通しの弘法大師、さぞ可笑しかるべし。」
 又一人の男は、「春延べの米を、京の織物屋仲間へ、毎年の暮に貸し入れの肝煎りして、この間銀を取り、定まつてゆるゆると節季を仕舞ひけるが、一石につき四十五匁の相場の米を、三月晦日切りにして五十八匁に定め、年々貸しけるに、諸職人内談して、『一石に十三匁の利銀、三ケ月に出す事は、いかにしてもむごき仕掛け。年は何やうにも取られ次第。この米借るな。』と言ひ合はせ、折角鳥羽まで詰み上したる米を、そのままに預けて帰る。」と言ふ。船中の身の上物語、いづれを聞きても、思ひのなきは一人もなし。
 この舟の人々、我が家ありながら、大晦日に内に居らるるはあるまじ。常とは変はり、我人忙しき中なれば、人の所へも訪ね難し。昼の内は寺社の絵馬も見て暮らしけるが、夜に入りて行き所なし。これによつて、「大分の借銭負ひたる人は、五節季の隠れ家に心安き妾をかくまへ置きける。」と言ふ。それは、手前も振り廻しも成る人の事、貧者の成らぬ事ぞかし。
 「宵から小唄機嫌の人、定めて内証ゆるりと仕舞ひ置かれしや。羨ましや。」と尋ねければ、この男、大笑ひして、「皆々は、大晦日に我人のためになり、うちに居る仕出しを、いまだ御存じなささうな。この二、三年、入り替はりといふ事を分別して、これにて埒を明けける。互に懇ろなる亭主、入り替はりて留守を致し、借銭乞ひの来る時を見合はせ、『御内儀、私の銀は、外に{*3}買ひ掛かりとは違ひました。亭主の腸をくり出して埒を明くる。』と言へば、外の掛乞ひどもは、『中々済まぬ事。』と{*4}思ひ、皆帰りける。これを『大つごもりの入り替はり男。』とて、近年の仕出しなり。いまだ端々には知らぬ事にて、一盃食はせける。」

前頁  目次  次頁

校訂者注
 1:底本は、「ひとり男は、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「せまられ、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 3:底本は、「外の」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 4:底本は、「事に思ひ」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。