一 詰まりての夜市

 「万事の商ひ無うて、世間が詰まつた。」と言ふは、毎年の事なり。たとへば、十匁に相場極まりて売買致せし物を、九匁八分に売れば、時の間に千貫目が物も買ひ手あり。又、十匁に買へば、即座に二千貫目が物も売り手あり。これを思ふに、大場に住める商人の心だま、格別に広し。売るも買ふも皆、人々の胸算用ぞかし。
 「世になき物は銀。」と言ふは、よき所を見ぬ故なり。世にある物は銀なり。その子細は、諸国共に三十年この方、世界の繁昌、目に見えて知れたり。昔、藁葺きの所は板庇となり、月洩ると言へば不破の関屋も、今は瓦葺きに白土の軒も見え、内蔵、庭蔵、大座敷の襖にも、砂粉は光を嫌ひ、泥引にして墨絵の物好き、都に変はる所なし。又、「灘の塩焼きは黄楊の小櫛も挿さで」と詠みしに、かかる浦人も今は小袖好みして、「上方にはやる。」と言ふ程の事を聞き合はせ見覚え、「千本松の裾形も古し{*1}。当年の仕出しは夕日笹の模様とぞ。」と、いまだ京、大坂にも端々は知らずして、中形の信夫、小桐の衣装着る内に、早、田舎に京染は洒落たり。昔模様の肩先から染め込みの郭公の二字、又は葡萄棚の所々に蔓葉を茜の染め入れ、をかし。見し時は格別ぞかし。いづくに居ても、金銀さへ持ちければ、自由のならぬといふ事なし、
 殊更、貧者の大節季、何と分別しても済み難し。無いと言うてから、銭が一文置かぬ棚をまぶりてから、出所なし。これを思へば、年中始末をすべし。日に一文づつ煙草にてのばしければ、一年に三百六十文、十年に三貫六百なり。この心から算用すれば、茶、焚き木、味噌、塩、万事に何程の貧家にても、一年に三十六匁の違ひあり。十年に三百六十目、これに利をもりかけて見る時は、三十年に積もれば八貫目余の銀高なり。惣じて、少しの事とて、不断常住の事には気をつけて見るべし。殊に昔より、「食酒を呑む者は貧乏の花盛り。」と言ふ事あり。
 ここに、火吹く力もなきその日過ぎの釘鍛冶、お火焼に稲荷殿へ進ぜたる御神酒徳利の小さきに、八文づつが端酒、日に三度づつ買はぬといふ事なく、四十五年この方、呑み暮らしける。この酒の高、毎日小半づつにして四十石五斗なり。毎日二十四文の銭、積もり積もり、十二匁銭にして銀に直し、四貫八百六十目なり。「この男、下戸ならば、これ程に貧はせまじきもの。」と笑ふ人あれば、この鍛冶、我が家治めたる顔つきして、「世の中に下戸の建てたる蔵もなし。」と謡ひて、又酒をぞ呑みける。
 既にその年の大晦日に、あらましに正月の用意をして、蓬莱は飾りながら酒小半求むる銭なくて、事の足らざる宿淋しく、「四十五年この方、一日も酒呑まぬ事のなきに、日もこそあれ、元日に酒なくては年を越したる甲斐はなし。」など、夫婦さまざま内談するに、酒手の借り所なく、質種もなく、やうやう思案巡らして、過ぎつる暑さを凌ぎし編笠、いまだ青々として損ねもやらずありけるを、「これ、来年の夏までは久しき事なり。宝は身の差し合はせ。これを売りて当座の用に立つるより外なし。」と、既に立ち盛りたる古道具の夜市に紛れて、世間の様子を見るに、大方行く所なき借銭負ひの顔つきぞかし。
 宿の亭主は、売り口銭一割のきほひにかかつて振り出しける。今宵になつて売る程の者、よくよく差し詰まつて、皆哀れなり。十二、三なる娘の子の正月布子と見えて、萌黄色に染鹿子の洲崎、裏は薄紅にして、中綿も惜しまず入れて、いまだ袖口もくけずして、これを「望みはないか、ないか。」とせりければ、六匁三分五厘{*2}に落ちける。よもや、裏ばかりも出来まじ。その次に、丹後の細口の鰤を片身、売りに出しける。これも余らず、二匁二分五厘に売れける。その後から二畳吊りの蚊帳出して、八匁より二十三匁五分までせりのぼしけるに、売らずして置きける。「これは、商ひ成らぬ筈なり。蚊帳、大晦日まで質に置かず持ちたる身代なれば、頼もしきところあり。」と笑ひける。
 その後、十枚継ぎの蝋地の紙に、御免筆の名印まで記したるを売りけるに、一分からやうやう五分まで値段付けければ、「それはいづれも、余りなる事。紙ばかりが三匁がものが御座る。」と言へば、「いかにもいかにも。何も書かずにあれば、三匁が紙なり。無用の手本書きて、五分にも高し。たとへいかなる人の筆にもせよ、これを褌といふ手ぢや。」と言ふ。「それは、いかなる事ぞ。」と言へば、「今の世に男と生まれ、これ程かかぬ者はないによつて、これを褌手。」とぞ笑ひける。
 さて又、「これは割れ物、割れ物。」と大事にかけて出しけるは、南京の刺身皿十枚。その隔てに入れたる、京、大坂の名ある女郎の文殻なり。「これは。」と忙しきに読みて見るに、皆、十二月の文どもは、いとし可愛いの思ひを去つて、「近頃申しかね候へども。」と無心の文ばかりなり。恋も無常も銀なくては成り難し。この皿の主も、定めて「大尽。」と言はれて、この文一つが銀一枚づつにも当たるべし。「しかれば、皿よりは、その反古に大分の値打ちあり。」とて各々大笑ひしける。その後に不動一体、独鈷、花皿、鈴、錫杖、護摩の壇の仕舞物。「さてさてこの不動も、我が身上の富貴は祈られぬものよ。」と沙汰しける。
 時に、くだんの編笠出せば、その座に売主の居るも構はず、「哀れや、哀れや。この笠、幾夏か着るためとて、古き小紙にて紙袋して入れて、さても始末な奴が売り物ぞ。」と、三文からふり出して十四文に売りて、この銭請け取る{*3}時、「これは、この五月に三十六文に買うて、何々の誓文、庚申参りに只一度かづき、そのまま。」と言ひけるも、その身の恥の可笑し。
 その夜の仕舞に、歳暮の礼扇の箱二十五、煙草の入りし箱一つで、二匁七分に買うて帰りしに、煙草箱の下に小判三両入れ置きしは、思ひも寄らぬ仕合せなり。

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校訂者注
 1:底本は、「ふもし、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
 2:底本は、「五りんづつに」。『世間胸算用』(1989)頭注に従い改めた。
 3:底本は、「此銭うけると時、」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。