二 才覚の軸すだれ
宵の年の切なき事を忘れ難く、「来年からは、三ケ日過ぎたらば、四日より商売に油断せず、万事を当座払ひにして、銭のない時は肴も買はぬがよし。諸事を五節供切り。」と胸算用を極め、借銭乞ひの怖い心をすぐに、正月になりける。
「今年は今までの嘉例を祝ひ替へる。」とて、十日の帳綴ぢを二日に取り越し、五日にせし棚おろしを三日にして、俄に身の取り廻し賢く、「とかく宿を出るからに、思ひ寄らぬ銀をも遣ひ、物見、物参りに誘はれ、大事の日を空しう暮らす事、無分別。」と思ひ定めて、商売の事より外には人と物をも言はず、毎日心算用して、「諸事に付きて利を得る事の少なき世なれば、内証に物のいらざる思案第一。」と心得て、三月の出替はりより飯炊きを置かず、女房に前垂れさせて、我も、昼は「旦那。」と言はれて店に居て、夜は門の戸を閉め置きて、丁稚が踏み臼を助けて取らせ、足も大方は汲み立ての水で洗ふ程に気を付けけれども、これかや、あをち貧乏と言ふなるべし。又、それ程に商ひ事なくて、いよいよ日なたに氷の如し。「何としても一升入る柄杓へは一升より入らず。」と昔の人の申し伝へし。
されば、熊野比丘尼が、身の一大事の地獄極楽の絵図を拝ませ、又は息の根の続く程、はやり唄を歌ひ勧進を{*1}すれども、腰に差したる一升柄杓に一杯は貰ひかねける。さる程に、同じ後世にも諸人の心ざし大きに違ひある事かな。冬とし、「南都大仏建立のため。」とて、龍松院立ち出給ひ、勧進修行に巡らせられ、信心なき人は勧め給はず、無言にて廻り給ひ、我が心ざしあるばかりを請け給ふも、一升柄杓なるに、一歩に一貫、十歩に十貫、或いは金銀を投げ入れ、釈迦も銭ほど光らせ給ふ。今、仏法の昼ぞかし。「これは格別の寄進。」とて、八宗ともに奉伽の心ざし、殊勝さ限りなかりき。既に町外れの小家がちなる所までも、長者の万貫、貧者の一文。これも積もれば、一本十二貫目の丸柱ともなる事ぞかし。これ思ふに、世はそれぞれに気を付けて、少しの事にても貯へをすべし。
分限になりける者は、その生まれつき格別なり。或る人の息子、九歳より十二の歳の暮まで手習ひに遣はしけるに、その間の筆の軸を集め、その外、人の棄てたるをも取り溜めて、程なく十三の春、我が手細工にして軸すだれを拵へ、一つを一匁五分づつの三つまで売り払ひ、初めて銀四匁五分儲けし事、「我が子ながら、只者にあらず。」と、親の身にしては{*2}嬉しさの余りに、手習ひの師匠に語りければ、師の坊、この事を「よし。」とは誉め給はず。
「我、この年まで数百人子供を預かりて、指南致して見及びしに、その方の一子の如く、気の働き過ぎたる子供の、末に分限に世を暮らしたるためしなし。又、乞食する程の身代にもならぬもの。中分より下の渡世をするものなり。かかる事には様々の子細ある事なり。そなたの子ばかりを賢きやうに思し召すな。
「それよりは手廻しの賢き子供あり。我が当番の日は言ふに及ばず、人の番の日も、箒取り取り座敷掃きて、あまたの子供が毎日使ひ捨てたる反古の丸めたるを、一枚一枚皺伸ばして、日毎に屏風屋へ売りて帰るもあり。これは、筆の軸をすだれの思ひつきよりは、当分の用に立つ事ながら、これもよろしからず。又或る子は、紙の余計持ち来りて、紙使ひ過ごして不自由なる子供に、一日一倍増しの利にてこれを貸し、年中に積もりての徳、何程といふ限りもなし。これらは皆、それぞれの親の世知賢き気を見習ひ、自然と出る己々が智恵にはあらず。
「その中にも、一人の子は、『父母の朝夕仰せられしは、外の事なく手習ひを精に入れよ。成人してのその身のためになる事との言葉、反古には成し難し。』と、明け暮れ読書に油断なく、後には兄弟子どもに{*3}すぐれて能書に成りぬ。この心からは、行く末分限になるところ見えたり。その子細は、一筋に家業稼ぐ故なり。惣じて親より仕続きたる家職の外に商売を替へて、仕続きたるは稀なり。手習ひ子どもも、己が役目の手を書く事は外になし、若年の時よりすすどく、無用の欲心なり。それ故、第一の手は書かざる事のあさまし。その子なれども、さやうの心入れ、よき事とは言ひ難し。とかく少年の時は、花をむしり、紙鳶をのぼし、智恵付く時に身を持ち固めたるこそ道の常なれ。七十になる者の申せし事、行く末を見給へ。」と言ひ置かれし。
師の坊の言葉に違はず、この者ども、我が世を渡る時節になつて、様々に稼ぐ程成り下がりて、軸すだれせし者は、冬日和の道のために、草履の裏に木をつけて履く事仕出しけれども、これも続きて世にはやらず。又、紙屑集めし者は、ちやん塗りのかはらけ仕出して世に売れども、大晦日にも灯し火一つの身代なり。又、手習ひばかりに精を入れたる者は、物事うとく見えけるが、自然と大気に生まれつき、江戸廻しの油、寒中にも凍らぬ事を分別仕出し、樽に胡椒一粒づつ入るる事にて大分利を得て年を取りけるに、同じ思ひつきにて、油がはらけと油樽と、人の智恵ほど違うたるものはなかりし。
校訂者注
1:底本は、「勧進すれども」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
2:底本は、「身にして嬉しさ」。『世間胸算用』(1989)に従い改めた。
3:底本は、「兄弟子どもすぐれて」。『西鶴世間胸算用詳解』(1935)に従い改めた。
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