武家義理物語輪講
間民夫 和田曼子 野々村蘆舟 山崎楽堂 佐藤鶴吉 木村仙秀
三田村鳶魚 水谷不倒 柴田宵曲 森銑三 鈴木南陵
序
【本文】
それ人間の一心、万人ともに変はれる事なし。長剣させば武士、烏帽子をかづけば神主、黒衣を着すれば出家、鍬を握れば百姓、手斧使ひて職人、十露盤おきて商人をあらはせり。その家業、面々一大事を知るべし。
弓馬は侍の役目たり。自然のために知行を与へ置かれし主命を忘れ、時の喧嘩口論、自分の事に一命を捨つるは、誠ある武の道にはあらず。義理に身を果たせるは、至極のところ。古今、その物語を聞き伝へて、その類をここに集むるものならし。
貞享五年戊辰年楼月吉祥日
【輪講】
佐藤 それ人間の一心といふものは、万人共に誰々も変はることがない。長剣をさせば武士であるし、烏帽子をかぶれば神主になるし、黒衣を着れば出家、鍬を握れば百姓、手斧を使へば職人、算盤を置いて勘定すれば商人といふことを表してゐる。かういふ家業がめいめい一大事であることを知るべきである。殊に弓馬は士の役目である。自然の事のために知行を与へておかれるのだが、その主命を忘れて、一時の喧嘩口論、私事のために一命を捨てるのは、誠ある武士の道ではない。義理に身を果たすのが至極尤もなところである。その義理に至極した古今の物語を聞き伝へて、その類をここに集める。「ものである。」といふ意味を、「ものならし。」と言つたのでせう。
三田村 最初のところは、人間は何でも同じことだ、といふ意味が隠れてゐる。刀をさせば武士、烏帽子をかぶれば神主といふ風に、立場立場によつていろいろ違ふ。が、本来は一向違つてゐない。それが、「万人共に変はれることなし。」なんでせう。
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