一 我が物ゆゑに裸川
【本文】
口の虎身を喰み、舌の剣命を断つは、人の本性にあらず。憂ふる者は富貴にして愁へ、楽しむ者は貧にして楽しむ。
嵐は雲吹き、晴れて名月院の眺め。鎌倉山の秋の夕暮を急ぎ、青砥左衛門尉藤綱、駒を歩ませて滑川を渡りし時、いささか用の事ありて火打袋を開くるに、十銭に足らざるを川浪に取り落とし、向ひの岸根に上がり、里人を招き、わづかの銭を三貫文与へてこれを尋ねさせけるに、あまたの人足、松明を手毎に、水は夜の錦と見え、人の足手はしがらみとなつて瀬々を立ち切り、探しけるに、一銭も手に当たらずして難儀する事、暫くなり。「たとへ地を割き、龍宮までも、是非に尋ねて取り出だせ。」と下知する時、一人の人足、「仕合せ。」と一度に三銭探し当たり、その所を変へず、又は一銭二銭づつ、十銭ばかり取り出だせば、青砥左衛門、勘定合はせて喜ぶ事限りなく、その男には外に褒美をとらせ、「これ、そのまま捨て置かば、国土の重宝朽ちなん事、本意なし。三貫文は世に留まりて、人の廻り持ち。」と、下人に{*1}語りて通りける。
この理聞きながら、「一文惜しみの百知らず。」とぞ笑ひしは、智恵の浅瀬を渡る下々が心ぞかし。とかくは夜の儲けに、思ひ寄らざる事なれば、「今宵の月に集銭酒呑まん。」と、各々勇みをなせり。その中に、物の才覚らしき男の言へるは、「いづれもに心よく酒事さすは、我に礼を言ふべし。その子細は、青砥が落とせし銭に尋ね当たるべき事は、不定なり。時に某が利発にて、この方の銭を手廻しして、左衛門ほど世に賢き者を偽り済ましける。」と言ひければ、皆々横手を打つて、「さてはその方が働きゆゑ、楽遊びの面白や。」と盃始めけるに、又一人の男、興をさまして、「これ、更に青砥が心ざしにかなはず。汝が発明らしき顔つきして、人の鑑となれるその心を曇らせけるは、並びなき曲者。天命も恐ろし。我、老母を育む頼りに、この銭嬉しかりしに、今のあらましを聞き、なんぞこれを取るべし。その上、母、この事聞かば、誠を以て養ふとも、中々常も満足する事あらじ。」とその座を立ちて帰り、母に語るまでもなく、朝に疾く起きて、馬の沓を作りて、今日を成り合ひに暮らしぬ。
この男は言はねど、自然と青砥左衛門聞きて、その人足を捕らへて、厳しく横目を付け、身を丸裸に改め、落とせし真の銭に尋ね当たるまで、毎日過怠を言ひ付けるに、秋より冬川になるまで、いかばかり難儀して、世間もおのづから水涸れて、やうやう真砂になる時、九十七日目にかの銭残らず探し出だし、危うき命を助かりぬ。これ、己が口ゆゑ、非道を顕はしける。
その後、正道を申せし人足の事をひそかに尋ねられしに、千葉介が筋目、歴々の武士にて、千葉孫九郎といへる者なるが、子細あつて二代まで身を隠し、民家に紛れて住みける。「さすが、侍の心ざし」を深く感じて、青砥左衛門、この事を時頼公に言上申して、首尾よく召し出されて、再び武家の誉れ、千歳を祝ふ鶴が岡に住みぬ。
【輪講】
佐藤 「我が物ゆゑに裸川」といふのは、初めごまかした男が、悪い事が顕はれて、身を裸にされる仕置を受けてゐますから、それをとつて題目にしたのです。
口は恐ろしいもので、そのきき方一つで自分の身体を食ふやうになり、舌の使ひ方によつては、命を断つ事もある。これは、本心の欲する事ではない。人間といふものは、心配性の者は、富貴であつても心配してゐるし、楽しんでゐる者は、貧乏でも楽観してゐる。これから俳諧的に転じまして、「嵐は雲吹き晴れて」といふのから「名月院」といふ縁語を持つて来た。この字は「明」の方がいいんだと思ひます。
鎌倉時代の話ですから「鎌倉山の秋の夕暮」と言つたので、青砥左衛門尉藤綱が駒を歩ませて滑川を渡つた時、ちよつと用事があつて、火打袋を開けましたが、十銭に足らぬわづかの銭を川浪に取り落とし、向ふの岸根に上がつて、里人を呼びまして、そのわづかな銭を、三貫文与へて尋ねる事にしたところが、大勢の人足が松明を手毎に持つて捜すのに、その光が水に映つて夜の錦のやうに見える。人の手足はしがらみのやうに見える位、大勢で瀬々を断ち切つて捜しましたが、一銭も手に当たらないで、暫く弱つてゐた。
藤綱は、「たとひ地を割き、龍宮まで訪ねて行つてもいいから、是非捜し出せ。」といふ命令をしましたが、その時、一人の人足が、いい塩梅に一度に三銭だけ拾ひ当てた。「それでは、この近所だらう。」といふので、又一銭二銭と捜し当てて、遂に十銭ばかり取り出しましたから、青砥は勘定を合はせて、非常に喜びまして、その男には外に褒美を遣つた。さうして、「もしこのままに捨てておいたら、国土の重宝の朽ちてしまふ事が残念である。三貫文使ふのは無駄なやうであつても、これはこの世の中にあつて、人の廻り持ちになるからよろしい。」と下人に語つて通りました。ある人は、この道理を聞きながら、「一文惜しみの百知らずだ。」と言つて、青砥の事を笑つた。これは、笑つた方が下々の心であつて、藤綱の考へがわからなかつたのです。
とにかく人足達は、夜の儲け仕事としては、思ひも寄らぬうまい事なので、「月を見ながら銭を出し合つて酒を飲まう。」といふ事になつて、皆々浮かれて来た。すると、その中で才覚らしい男の言ふには、「諸君に愉快に酒事をさせるについては、自分に礼をお言ひなさい。その子細といふのは、青砥が落とした銭に尋ね当てるといふ事は、果たしてできるかどうか期待できない。だから、自分がうまく気を利かして、自分の銭を手廻しして、青砥左衛門ほどの智者を欺き済ましたのだ。」と言ひましたので、皆々横手を打つて、「お前の働きで、こんな楽遊びができて、面白い事よ。」と言つて、酒盛を始めた。
然るに、又一人の男が興をさまして、「さういふ事では、少しも青砥の志にかなはない。その上、母親がこの話を聞いたら、自分が誠を以て養つても、満足する事はあるまい。」かう言つて、その男は座を立つて帰りましたが、母親に委細を話すまでもなく、朝早くから起きて、馬の沓を作つて、その日その日を成り行き次第に――「貧にして楽しむ。」といふ程度に、悪い事や無理な事をしないで――暮らした。
この男は、別に何も言はなかつたが、この話は自然と青砥左衛門の耳に入りましたので、前のごまかした人足を捕まへて、厳重に監督をつけ、身を丸裸に改めて、青砥が落とした本当の銭が見つかるまで、毎日過怠を言ひつけたところが、秋から冬になるまで、どれ位難儀をした事か。自然もおのづから水が涸れて、やうやう砂地になつた時、九十七日目にやつと例の銭を残らず拾ひ出して、危うい命を助かる事ができた。これ即ち、「自分の口のために非道を顕はしました。」といふものである。
それから、「本当の事を言つた人足は、どういふ者か。」と言つて、ひそかに尋ねられたところが、元は歴々の武士で、千葉孫九郎といつた者であるが、わけがあつて二代まで身を隠し、民家の中に紛れて住んでゐたのである。「さすがに士の志は格別である。」と深く感じて、青砥はこの男の事を時頼に言上しましたが、その結果、首尾よく召し出されて、再び武家の誉れを上げ、千歳を祝ふおめでたい名の鶴岡に住む事になりました。
三田村 「川の中に落とした銭は、そのまま無用の物になつて、すたつてしまふ。」といふ心持ち、これは、一国を目安に置いた、治める人の心持ちなので、「少しの銭のために多くの費用をする、一身の損になるからいけない。」といふのは、自分を目安に置いて片付ける思想だ。
佐藤 これには義理がない。以下の四章には皆ありますが。まあ、正直に、真面目にした事が義理でせうか。
三田村 騙す、偽るといふ心では、藤綱の心に対して義理が済まない。正直、律儀といふ事は、自分だけで終わるけれども、義理には大抵、相手がある。
佐藤 相対的ですね。
校訂者註
1:底本は、「下人にて語(かたり)て」。『武家義理物語』(1993)に従い改めた。
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