三 衆道の友呼ぶ千鳥香炉

【本文】

 京都将軍、東山殿御時、世のもて遊び事、初めて取り立てさせられ、万人、華奢風流になりて、豊かに暮らしぬ。中にも名香の煙を好かせ給ひ、諸国より集まりて、六十種の名のみ面白かりき。折節、霜夜の更け行くまで、この木の御沙汰ありしに、明け方の嵐につれて、ききも馴れざる薫りに、いづれも心を澄まし給ひ、御屋形の内を尋ねさせられしに、御門を離れて外なれば、丹波守利清に仰せ付けられ、「このゆかり、いかなる方ぞ。尋ね参れ。」の由。
 手廻りの侍二人召し連れて、その匂ひに引かれて行くに、柳原遥かに過ぎて、賀茂の川原になれば、次第に薫りも深く、浅瀬を渡り越えしに、十一月末の六日の夜、いつよりは暗く、物の色合ひも見えず。星影のさざれ水に映り、これを頼りに向ふの岸に上がれば、汀の岩の上に蓑笠着たる人の、香炉を袖口に持ち添へ、気を静かにして座したる風情の心憎し。「いかなる事ありて、かく一人はおはしけるぞ。」と問ひけるに、「ただ何となく千鳥の声をのみ聞く。」と答へぬ。さりとは、変はりたる境界。これ、格別の楽しみ。只人とは思はれず。
 「いかなる御方。」と尋ねしに、「僧にあらず、俗にあらず。三界無庵同然にて、六十三になりける我、いまだ足も立ちける。」と言ひ捨てて、岡野辺の並松分けて立ち帰る。「さても気散じなる返答や。」となほ慕ひ、「某が頼るは、その木のゆかしく、参るなり。何といへる名香ぞ。」と聞きしに、「むつかしや。老人は知らず。すがりたれども、きき分け給へ。」と香渡して、行き方知らずなりにき。利清、立ち帰りて、あらましを申し上げしに、その身の取り置き羨ましく思し召されて、その人を色々尋ねられしに、更に知れざる事を本意なく思し召され、かの香炉を「千鳥」と銘を打たせられ、名物となりぬ。
 その頃、関東侍の一子とて、美形、都の花に勝り、桜井五郎吉といへる人、今年十六にて、姿ゆゑ召し抱へられ、近う御前を勤めけるが、千鳥の香炉見しより、物思ふ気色、人も見咎めける程に包みかねしを、或る人、ひそかに問ひしに、初めの程は言はざりしが、いつとなく次第弱りの身となり、「死ねば、言葉を形見。」と語りし。「この香炉の主とは、兄弟の約束深く出で合ひしに、『我、出世のためにならず。』と、古里を出て都の方に上られしを、忘れもやらず、いとしさにその跡を幕ひ、この御家に住む事、もしその人に会ふ事もありなんと思ふ折節、香炉は縁に見知りて、尋ぬる事のなり難き病気に冒されしは、是非もなき我が身。」と、袖に玉散る涙川、暫しも乾く事なし。この哀れを問ふ人は、同じ小姓仲間の樋口村之介といへる人なるが、常にも情け深く語り合ひしが、自然の事もあらば、良き友一人失ひけるを歎きぬ。
 かくて日数経る内に、五郎吉、頼み少なくなりて、息も絶え絶えの時に至りて、又もなき無心を申し出しぬ。「我、相果ての後、かの人に尋ね会ひ給ひて、その身、某に替はり、兄弟懇ろ、返す返すも頼む。」と言へり。この儀は、少し斟酌なる事ながら、「何事も命懸けて。」と申し交はせし義理にせめられ、この事請け合ひければ、嬉しげに笑みて、これを見納めの顔ばせ変はりて、終に空しくなりぬ。生死は世の習ひとて、歎く人もあり。又、身に掛からぬ人は、そこそこに悲しみて、鳥部山の夕煙となし、朝は白骨と消えぬ。世にこれ程はかなき事は、なかりき。
 五郎吉が亡き跡の事、病家の反古までも取り隠して懇ろに仕舞ひ、それより村之介は、五郎吉が遺言に任せ、千鳥をききし隠者の事を尋ねしに、今出川の薮垣のほとりにわづかなる隠れ家。組戸さし籠めて、夢の心に住みなせる内にも、東に別れける五郎吉が事ども忘るる日もなく、今日は時雨れてひとしほ淋しき折節、村之介、ひそかに入りて、五郎吉最期の次第を語れば、随分修めたる身を取り乱し、「こればかりは、世の偽りになれかし。」と男泣きの有様、見る目も共に歎かしく、暫しは物語すべき事も止みけるが、言はねば五郎吉が草の蔭なる恨みもうたてく、この隠者の面影をつくづくと見しに、六十に余れる人の形も卑しかるに、若念の契りを結ぶは、何とやら恥づかしき事にぞあれど、死人と言ひ交はせければ、是非なく子細を語り、「五郎吉になり替はりて、今より兄弟分と思し召して、かはゆがらせ給へ。」と言へば、この男、歎きの中に驚き、「これは、思ひ寄らざる契約。許し給へ。」と、中々同心せざりき。
 村之介、申し出しての赤面、「さては、一分立ち難し。」と身を捨つる覚悟に、とかくは五郎吉が申し残せしに任せ、又、恋を取り結び、「世に長く語り慰まん。」と言葉を固めて、その後は夜毎に忍びて通ひぬ。「訳なき事を頼まれ、心には染まざれども、義理ばかりの念友。村之介が心底、誠なるかな。」と、これを感じぬ。

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【輪講】

 京都将軍東山殿(義政)、この時に世の弄び事といふものが初めて行はれ出して、万人皆、華奢風流になつて、その日を豊かに暮らしてゐた。色々の弄び事が盛んになつた中にも、名香の煙をお好みになつて、諸国より集まつて来る六十種の名も、面白い事であつた。
 折節、霜の降る夜が更けて行くまで、香の話があつたのに、明け方の嵐につれて、今まで嗅いだ事もないやうな匂ひがして来たので、全ての人は心を澄まして、御屋形の内をお尋ねになつたが、どうもこの匂ひは、御門の外から薫つて来るやうである。そこで、丹波守利清に仰せ付けられて、「このゆかりはどういふ方であるか、尋ねて参れ。」といふ事になつた。
 利清は、手廻りの侍を二人連れて、その匂ひを慕うて行く内に、柳原は遥かに過ぎて、賀茂の川原まで来ると、次第に薫りが深くなつた。浅瀬を渡つて行くと、十一月二十六日の夜で、もう月が無いから、いつもより暗く、物の色合ひもわからない。星影がさざ波に映つてゐるので、それを頼りに向う岸に上がると、汀の岩の上に蓑笠を着た人が、香炉を袖口に持ち添へ、気を静めて坐つてゐる風情が奥ゆかしく思はれた。
 「どういふわけで、かう一人でおいでになるのですか。」と尋ねると、「ただ賀茂川の千鳥を聞いてゐるだけだ。」と答へた。世の中の人とは変はつた境遇で、これは格別な楽しみである。どうも普通の人とは思はれない。「どういふお方ですか。」と尋ねると、「僧でもない、俗でもない。三界に家なし同然で、もう六十三歳になるが、幸ひにまだ足が立つ。」と言ひ捨てて、岡野辺の並松を分けて帰つて行つた。「さても、のんき千万な返事である。」と、猶その後を慕つて行つて、「私が参つたのは、あなたが焚いて居らつしやる香が、ゆかしかつたのです。それは、何といふ名香ですか。」と言ふと、「難しい事は、老人は知らない。もうすがれて悪くなつてゐるけれども、きき分けて御覧。」と言つて、香を渡したまま、行方も知れずになつてしまつた。
 利清が帰つて、このあらましを申し上げると、その身の取りなし方を羨ましく思はれて、色々その人を尋ねられたが、一向に知れない。これを本意なく思はれて、その香炉に「千鳥」といふ銘を打つて、重宝の一つになつた。
 その頃、関東武士の一子で、都の何人よりも器量のいい桜井五郎吉といふ人があつた。今年十六歳で、姿が美しいために召し抱へられ、御前近く勤めてゐたが、その千鳥の香炉を見るより、何だか物思ひのある気色である。それが、人も見咎める程に包みかねた様子なのを、或る人がひそかに聞いてみたが、初めは中々言はなかつたが、いつとなく物思ひのために段々弱つたので、「こんなに弱つてしまつたから、死んだら、この言葉が形見である。」と言つて、子細を物語つた。それによると、「この香炉の主とは、深く衆道の契りを結んだが、『自分が兄弟分になつてゐたのでは、出世のためにならぬ。』と言つて、故郷を出て都の方に上られたのを、どうしても忘れる事ができない。その後を慕つて、今この御家に御奉公してゐるのも、『もしその人に逢ふ事もあらうか。』と考へてゐたのであるが、香炉が縁になつて、この辺に居る事はわかるけれども、尋ねる事はできない。病気になつたのは、是非もない我が身の上である。」と言つて、流す涙は、暫くも乾く事がない。
 この哀れを問ふ人は、同じ小姓仲間の樋口村之介といふ人で、不断から五郎吉と何事も打ち明けて語り合つてゐたが、「もし五郎吉が死ぬやうな事があつたら、いい友達を一人無くしてしまふ。」と言つて歎いた。かうやつて、段々日数が経つ内に、五郎吉はいよいよ頼み少なくなつて、息も絶え絶えの時に至り、村之介に向かつてこの上もない無心を言ひ出した。それは、「自分が死んでしまつたら、どうか、かの人を尋ねて、あなたが私に替はつて、念友の契りを結んで下さい。返す返すも頼む。」と言つた。
 これは、あまり不躾なやうな事だけれども、何事も命をかけて申し交はしてゐた仲だから、その義理にせめられて、その事を引き受けると、五郎吉は嬉しさうに笑つたが、それが見納めの顔で、俄に様子が変はつて、遂に亡くなつてしまつた。生死はこの世の習ひで、誰が死ぬかわからない。親しい人は歎くし、又、それ程でない人は、世間通り一遍に悲しんで、荼毘に付し、白骨になつてしまふ。世の中にこれ程儚い事はない。
 五郎吉が死んだ後の事は、反故のやうな物まで取り隠し、懇ろに後の始末をして、それから村之介は、五郎吉の遺言通り、千鳥をきいてゐた隠者の事を尋ねた。その人は、今出川の藪垣のほとり、小さい隠れ家に居つて、組戸をさし込め、夢の如く住んで居る内にも、関東で別れた五郎吉の事は忘れられない。今日は時雨が降つて、ひとしほ物淋しい折節、村之介がひそかに入つて来て、五郎吉の最期の様子を話すと、ずいぶん悟り切つたやうな人ながら取り乱して、「これだけは、嘘になつてくれ。」と言つて男泣きに泣いた。
 それを側で見てゐる村之介も、同じやうに歎かはしく、何と言つて話していいか、暫く黙つてゐたが、「言はなければ、草葉の蔭で五郎吉が恨むだらう。」この隠者の様子をつくづく見ると、歳は六十を越えて、年寄りの事ですから姿も卑しいので、この人に衆道の契りを結ぶといふのは、何となく恥づかしいけれども、死んだ五郎吉と言ひ交はしたので、致し方がない。子細をこの老人に話して、「今から五郎吉になり替はり、兄弟分と思つて可愛がつて下さい。」と言ふと、老人も、歎きながらも驚いて、「これは、思ひも寄らぬ事だ。その契約は、許してくれ。」と言つて、承知しない。村之介は、「恥を忍んで申し出た以上は、承諾してくれなければ、友達としての一分が立ち難い。」と言ふので、死ぬ覚悟をしたものだから、「それ程の事ならば、五郎吉の申し遺した通り、あなたと恋を取り結んで、長く衆道の契りを結ばう。」と堅く約束した。
 それから後といふものは、村之介は、夜毎に通つて来る。妙な事を頼まれて、自分の心には染まぬのだけれども、義理を重んじて念友になつた。「この村之介の心底は、誠に見上げたものである。」と言つて、皆人、これを感じました。
三田村  「六十種」は、名香が六十種ある、名香の全て残らずです。「この木」は伽羅を言ふ。「すがり」といふのは、焚いた香がもう終はり際になつた事で、香の立つのが少なくなつたのを言ふのです。この話は、心から出たのではないけれども、義理ばかりの念約をした。それは、嘘ではない。「義理ばかりの念友だから、嘘になりがちだけれども、それを本当にした。」といふのが眼目なので、そのために、「誠なるかなと、これを感じぬ。」とあるんでせう。「誠に見上げたものだ。」といふ意味ぢやないと、私は思ふ。
  「むつかしや。老人は知らず。」この「むつかしや」は、「小面倒な」といふ意味のぢやありませんか。
  お能言葉ですね。この話は何だか「雨月物語」みたいだな。
三田村  義理を端的に掴み出したのが身上なので、かういふのは、近松まで通つてゐる。その後の浄瑠璃も、やはりさうです。
楽堂追記)「むつかしや」は、鳶魚翁御釈の通りにて、謡の中にしばしば用ゐらる。なほ、「老人は知らず候。」など言へる詞もまた多し。